タイトルの中の「自由」の意味 / 「この自由な世界で」 ケン・ローチ 【映画】

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西成でも山谷でも、ドヤ街の日雇い労働者を支配しているのは手配師だ。
だから、何かコトが起これば、真っ先につるし上げられるのも彼らである。彼らは日雇いの労働者からかすめとったカネで生活しているからだ。
しかし待て、何も搾取をしているのは手配師だけではないだろう?
彼らは単にわかりやすいだけだ。世の中はもっと巧妙な搾取の仕組みができていて、資本主義のルールと法律に守られたもっと悪い奴は世の中にたくさんいる。
そして、恐ろしいことに、それをこのルールの中に生きているものはすべて、この搾取の仕組みに加担しながら生きなければならないということだ。それを避けることは誰にもできない。
信じられないなら、今自分のはいているジーンズがどのようにできているか(「女工哀歌」)、今飲んでいるコーヒーはどのように市場に出回るようになるか(「おいしいコーヒーの真実」)、そんな映画を見てみるのもよいかも知れない。
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そう、ケン・ローチの「麦の穂をゆらす風」で、IRAの主人公が、なぜアイルランド「自由」国を承認せずに、かつての仲間同士の壮絶な争いをしなければならなかったのか?
主人公の視線の向こうには、栄養失調になった子供があったことを思い起こそう。
「この自由な世界で」のタイトルが示唆するのは、この「自由」の正体を、ケン・ローチが問題提議し続けているからだ。解決しなければならないものはまだ残り続けている。それがこの映画のタイトルの意味と考えてみよう。
女性アントレプレナーの起業話・・・が物語のスタート、しかもそれが外国人労働者の手配師であるところは、映画的な現代的仕掛けである。
日本にもこういう職業の人はいるのだろう。しかし、この映画はシングル・マザーが必死に生きていく末にたどりついたものと設定する。ここが脚本の巧みさだ。
そして、その物語に、社会の現状や環境から、なんとか脱出しようとタフに生きていき、しかしそれが悲劇を招く・・・というケン・ローチの映画の基本テーマが織り込まれていく。
物語の頭上に広がるのは、湿ってほのかに輝く光に満ちた空だ。ケン・ローチの映画の空は、己を主張しないつつましやかなものなのにら、いつも印象的だ。人物は、その空の光の下で生きていく。弱者でありながら、あくまでもタフに。
生き残るために、自分の幸せのために。
ケン・ローチが描く弱者の戦いは続いていく。そして、その戦いは新しい悲劇を招く。
自分たちの新しい船出を象徴する虹。
主人公は、それを自分の外国人労働者手配業の会社のロゴサインにした。
その虹を指差して、騙されて海外に出ることになるだろうポーランドの移民労働者の女性が、この虹に対する共感を語る。
虹を見ているものは皆同じで、その虹を見ているもの同士が、搾取されるものと搾取するものに分化していく。搾取されるものは、しかし搾取するものでもある。
悲劇は次々と連環しながら再生産されていくのだ。これが、「自由な世界」の正体である。
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現代的な問題を切り取り、現代的なシングルマザーの物語として仕立てあげ、そして淡々とした風景に調和させていく手さばき。ケン・ローチは職人である。
秀作。
FWF評価:☆☆☆☆

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