アイ・リメンバー・石井聰亙 / 『生きてるものはいないのか』 石井岳龍


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『生きてるものはいかいのか』公式サイト
最初から最後まで気になったのは、アフレコがなんだかヘンなこと。
別にヘンなのではないかもしれないのだが、違和感が残りまくる。妙にクチパクと音声のズレとかが気になって仕方ない。
ここまで気になってしまえば、これは映画としての残念なこととなるのでしょう。
セリフをもってして、滑稽なすれ違い滑稽さ、奇妙なシュール感を出そうとしているのに、そのアフレコがなんだかチグハグなんですよ。
サウンドスケープが凝っているので、さらに違和感倍増。迫真性やまくしたてるセリフの必死さという脂身が、かえってまとわりつくような感触になってしまっているわけです。
予算の関係もあるんでしょうが、同時録音で役者をきっちり追い詰めないと面白さが出ないと思うんですよね、この映画の場合。
だって、これってようするに石井聰亙・ミーツ・サミュエル・ベケットみたいな不条理劇をやりたかったわけでしょ・・・と映画館を出て、チラシをはじめて手にとってよく読んでみて、はじめてこの原作が戯曲だということを知りました。
なるべく映画は事前情報ゼロの状態で観ることにしている自分ですので、ここで気づくわけです。まあ、戯曲のスピード感や迫真性やセリフのリズムなどを重視することを映画でそのまんまやる必要もないでしょうけど、それをとったらダシがきいていない味噌汁みたいなものですよ、残念ながら。
原作者や脚本家はさぞや不満タラタラでしょう。
オープニングの青空に黒の明朝体のスタッフロールは新鮮だったのをはじめ、映像の小技は効いてたので、そこを楽しむということも出来るんでしょうけどね。音楽もしかり。
自分は『高校大パニック』や『狂い咲きサンダーロード』が好きです。こんな虚妄と嫌らしい欲得にまみれた世界は滅ぼしてしまえ!そんな呪詛とバイオレンスが、逆説的な正義を生み出しながらも破滅していく主人公たち。
「砂漠は清潔だ」と、アラビアのロレンスは言いました。石井聰亙のバイオレンスの果ての荒野に、自分は何か清潔感のようなものを感じていたのです。
この映画は主人公はいません。韓国映画のよくある核(コア)みたいに「謎のアメリカの細菌兵器」とかも、結局はデマにすぎません。中心にあるべきものがなく、そこにはなんだかわからないウイルス?があるだけです。
そしてどこからか聴こえてくるのです。「こんな世界は滅ぼしてしまえ、こんな人間は殺してしまえ」
おお、これこそが石井「聰亙」監督の声ですよ。最後に残った喫茶店の店員の視点は、どんなに人が死んでころがっていようが、あんなバカバカしい人間たちを消し去ってしまった清潔な世界でした。
そんなわけで、悪い仕掛けの作品ではないと思いましたが、冒頭のとおりセリフの面白さをうまく演出できなかったことにより、なんともいえない作品となりました。

そしてなるほど、石井岳龍さんは教授になられていましたか。あのパンク映画野郎が教授とは。。。
FWF評価:☆☆★★★

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