そんな単純な「歴史戦」なのか? -映画『主戦場』へのモヤモヤ感

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初出 ironna(産経新聞)

 

サンダカン八番娼館』(山崎朋子)を二十年ぶりに読み返した。「からゆきさん」と呼ばれた、東南アジアなどで娼婦として働いていた日本人女性の物語だ。熊井敬監督による映画化もされているので、こちらのほうがなじみがある人がいるかもしれない。ネットで安く視聴も可能なので、映画のほうにご興味がある方はぜひとも。栗原小巻、田中絹代、高橋洋子の主演の1974年の映画である。原作にほぼ忠実で、映画のつくりとしても古びていない。

 

娼婦の出自、慰安婦の原型 /「サンダカン八番娼館 望郷」 熊井啓

 戦前の日本は、明治のころから海外に多数の日本人娼婦を送り出していた。まだ日本が南洋にさしたる貿易もなかった時のことだから、これは異彩をはなっている。例えば、明治19年にシンガポールに在留していた日本人は約千人。そのうち900人以上は女子であり、そのほとんどすべてが「醜業婦」であったことが、当時の駐シンガポール日本領事員が記録している。特筆すべきはその多くが誘拐されてきたものと領事員が記録していることである。この「誘拐」というのが、どういう行為なのかは注意が必要だが、高い給与を提示して甘言を弄して、前渡金のもとに拘束的な身分条件をつけて働かされていたのが、おおよその状況であったと言われている。貧しい家の娘が売られていくという話である。

『サンダカン八番娼館』の主人公である女性も、そのようにして売られていった一人である。もちろん商行為のような契約は交わされているが、それは幾ばくかの前渡金を渡され、それを家元に置いていき、その借金を払うまでは売春を強制されるもので、当時でも違法である。この主人公の場合は、「外国さん行けば、毎日祭日(まつりび)のごたる、良か着物ば着て、白か米ン飯ばいくらでも食える」と聞かされて、やはり極貧の生活の中にあった友人たちを誘って、業者の後をついていったのである。その仕事というのが売春とは彼女たちは知らない。当時彼女たちは10歳になったばかりである。

当時はそのようにして「給料のよい稼ぎ口がある」と騙されて売られた日本女性が、多数の東南アジアの町にいたのだ。インドネシア、マレーシア、シンガポール、フィリピン、タイ。これらの国々には探していけば当時の日本人墓地があるのだが、その朽ち果てた小さな墓標にはことごとく女性の名前が刻まれている。そのほとんどが娼婦であろうと推測されている。私はシンガポールと香港のそうした日本人墓地を訪ねたことがある。現地の日本人会によって今でも手入れされている墓地は南国の明るい日差しと緑に囲まれていて平穏である。その女性たちの墓標はせいぜい20-30センチのものばかりで、それが延々と続いていた。明治の中頃の香港の日本人はやはりそのほとんどが女性だったという。もちろんそれは売春婦である。

日本人が海外に進出するときに、まずは売春業から取り掛かるというのはどこでもそうだったようで、明治の初期の釜山などでもそうだったらしい。先ごろ香港は司法制度の改悪に抗議する民主勢力のデモで200万人で埋め尽くされたが、そのデモ隊が終結した湾仔(ワンチャイ)は、今では香港人の集まる香港屈指の繁華街であるが、当時は日本人売春宿が軒を並べているところだったということだ。こういう事情から、東南アジアの港町では、たいがいは日本人の居住者のうち女性のほうが多かったのである。

明治2年、日本政府はこれまでの法体系を整理して、文明開化の道を歩むための刑法の整備に着手した。そのときに早くも人身売買の問題が取り扱われている。すでにこの段階からして、婦女子が借金や多額の前渡金によって人身拘束されてしまうことが問題視されていたのだ。曰く「人を売買することは古来あるまじき事なり。和漢西洋ともに、古来から人を売って奴婢(奴隷)とする悪風がある。奴婢は人を牛馬と同じで、人道開明が広がるにつれてなくなりつつある。ところが皇国には今なお娼妓がいて、それは期限を区切って売られたものである。牛馬と同じである。娼妓がいるため、女子を売買する悪風がある。」(『人身売買』牧英正著/岩波新書より)


このため明治三年の段階から、人を売春目的で売ることや、奴婢(奴隷)とすることは違法されていた。ただし自由意志であればそれは致し方ないともしているのは欧米でもそうだったからだろう。のちに国家が売春の商行為を管理するようになる。これが公娼制である。ここでも、建前上は前借金により自由を拘束されるようなことは禁じられてきた。しかしこれはあくまでも建前であった。事実上、借金を支払わぬ限りは、彼女たちの自由は制限されてきた。

日本では長らくこのような人身売買が平然と行われてきたわけである。これは江戸時代から戦前にいたる様々な娼妓・娼婦をめぐる物語によって広く伝えられていることでもある。そして、それは悲劇的であるとともに、美談のようにさえ扱われてさえきた。親の借金を支払うためにけなげに働く孝行ものというように。「おしん」のような、年少者の奉公や富岡製糸工場の女工も、このひとつのバリエーションである。

そしてこの悪習は、東南アジアの各地にたくさんの娼婦を送り込み、やがてそれを植民地である朝鮮や台湾にも広めていき、さらには戦時になると軍がこの慣習を利用して従軍慰安婦制度をつくっていった。

従軍慰安婦について、様々な議論がなされているが、私がまずはこのような日本国内の事情についてまずは考える。国際的な認識からすれば、これは奴婢と同じ(奴隷制度)であり、人道開明が広がる(人権意識が高まる)につれ、許されないことになりつつあるというのは、もう150年前からわかっていながら、なおも日本人はそれを必要悪として許してきたのである。慰安婦問題の根底にはこの事実がある。


 

映画『主戦場』を観た。

 

従軍慰安婦というのは「娼婦にすぎなかった」として日本軍の責任はなかったとする、いわゆる保守の慰安婦否定派に、様々な角度から批判を与えるドキュメンタリーである。慰安婦は「性奴隷」などではない、という否定派の意見も小気味よく反論されていく。整理された論旨は非常にわかりやすい。ドキュメンタリーというのは残酷である。書き言葉とは違い、微妙な言葉のニュアンスや子細な表情までをも映し出してしまうし、インタビュイーの服装や髪形までの総合的な情報までもが提示される。それらが多角的にスクリーンに提示されながら結論が導き出される。従軍慰安婦問題を日本の戦争加害のひとつとして解決しなければならない問題として考える人には痛快で胸のすくようなドキュメンタリー作品となっただろう。

しかし、本当にこれでいいのかというモヤモヤ感は私は残り続けている。ここまでそんなに単純なものなのだろうかと。

もちろんこのドキュメンタリーでも提示されているように、慰安婦否定派の程度の低い議論もあるのは確かである。まだ当事者が存命である人権問題を、あたかも歴史認識の問題のように取り扱うところに、これらの慰安婦否定派の最大の錯誤がある。歴史であるからには多面的な見方が必要であり、現代の人権意識で判断されるべきではない。当時の認識からいえば、あれは致し方なかったことだ。恥じる必要はない。そもそも日本が先の戦争は正義の戦争であったし、その一部として理解するべきだ。それに彼らが申し立てていることはウソばかりじゃないか。こういう思いが否定派の根底にある。私はこの見方にほとんど賛成はできない。しかしそれでも歴史は多面的に見なければならないというところについては同意せざるをえない。ただし、人権問題としての慰安婦問題とは切り離していくことを前提なのだが。

では慰安婦問題について、わたしたちの政府はどのように対応してきたかといえば、それは必ずしも現在韓国側が責め立てるほどに酷いものとは思えないというのも一方にはある。映画にも少しだけインタビューされている朴裕河氏(『帝国の慰安婦』朝日新聞出版 2014)や松竹信幸氏(『慰安婦問題をこれで終わらせる』小学館 2015)は、日本政府のこれまでの謝罪や事実上の賠償の方法について、そこまで非難を浴びるようなものではないと論じてきている。

私はこの見方を妥当なものとする。慰安婦問題が政治問題として浮上したのは1991年のことだが、この日本軍関与の責任を認めた、いわゆる「河野談話」は1993年のこと。この見解を右派の慰安婦否定派から歴代引き継いできている。国際世論を考えると今後も変更することは当面あり得ないだろう。(参考:「慰安婦問題に対する日本政府のこれまでの施策 」外務省 )

補償問題にしても、日韓基本条約の枠組みを維持しながら事実上の政府補償を行った「アジア女性基金」を河野談話の良く翌年には早々に立ち上げている。アジア女性基金は、日本と同じように「戦時補償は解決済み」とするドイツが、かつてアメリカ在住の戦時強制労働者への補償を行った際の方法と同じものだ。こうして詳細に見ていけば、日本政府は解決にむけて、いたずらに冷淡な態度に終始してきたわけではないというのはわかるはずだ。

ところが、これは韓国ではまったく響かない。そればかりかますます問題が悪化するばかりである。そしてそこには韓国側のもつ、解決することができない因子、ナショナリズムの存在が見え隠れしてしまう。

世界中を見渡せば、隣り合った国で歴史問題や領土問題が存在しないほうが珍しいことではある。ましてや「植民地」に(朝鮮は植民地ではないという右派の議論があるようなので、「併合」と言い換えてもいい)した国とされた国の間で、非難の応酬があるのは全く当たり前のことだ。よく韓国の「反日感情」だけが特殊であるかのような議論を見かけることもあるが、いたって井の中の議論でいると言わざるをえない。イギリスとアイルランド、セルビアとクロアチア、ギリシアとマケドニア、インドとパキスタン、タイとミャンマー、フィリピンとインドネシア・・・と例をあげていけばキリがない。そうして、双方が歴史の中でどちらが正当な歴史観をもつか、延々とさや当てを続け、それは時に流血の惨事にまで発展する。戦争にもなる。

特に歴史上弱い立場にあり、征服されたり同化されそうになったりした経験のある国家は被害感情を露骨に表に出す。その被害感情は隣国にまた自由を奪われるような事態が起きるのではないかという恐怖を核にして、国民の統一した意思を紡ぎだしていく。犠牲者のナショナリズムと呼ぶべきか、被害感情のナショナリズムというべきか、そのような弱者として自分たちをとらえて国民統合を図る。なお、日本の原爆文学や空襲や飢えなどの戦争体験も、このような被害者ナショナリズムのひとつだということができるだろう。ただし日本の場合はこれがいたって内向的な風景に収斂されてしまうのだが。一方の韓国はどちらかというと、これが世界的には普通といえるように日本の過去を断罪し、これでもかと追及し続ける。

私はこれを二つの側面から理解する。

つまり人権問題として解決するべき必要があり、それは繰り返してはならない歴史として日本は認識すべきものだというのがひとつ。かたやもうひとつは、これが被害者のナショナリズムとして過大に扱われる危険性についてである。ナショナリズムの高揚は、もうひとつのナショナリズムにぶつかりあうことで、そちらも激しくさせてしまうからだ。日本の慰安婦否定論の跋扈はこれが原因といっても過言ではない。

『主戦場』では、挺対協という慰安婦支援の活動団体の代表のインタビューもあった。「これは『反日』という話ではなく、あくまでも人権問題なのだ」と、これがナショナリズムとは関係ないことのように否定するのだが、これには過去の挺対協のふるまいを知っている私は素直に聞くことができなかった。

昨年、『主戦場』に先立ち日本で公開された『沈黙-立ち上がる慰安婦』というドキュメンタリー映画があった。

 

これも日本の右翼勢力からの批判を浴びたということだが、私にはその妨害がありながら公開されたこの映画に、ひとつ注目するべきポイントがあった。

この映画で取り上げられている慰安婦支援団体は、先の挺対協と分裂して出て行ったグループの事を扱った映画なのである。どうしてこの団体が挺対協と対立することになったかといえば、日本政府が関与した「アジア女性基金」からの補償金を、この団体が支援する元慰安婦たちが受け取ったからである。これを挺対協は「民族の裏切り者」として非難し、のちに様々な嫌がらせともいえる活動で追い込んでいる。支援者団体の代表はこれがために韓国に入国拒否されかかっている。挺対協からすれば、日本政府の謝罪や補償はまやかしのものであり、これを受け入れるのは、娼婦が金銭をもらうのと同じこと、というような論旨を展開する。

民族の裏切り者? 補償金を受けとるか受け取らないかは本人の自由意志のはずで、ましてやそれが「民族」という名前で非難されるのは、首をひねらざるをえないし、これを個人を犠牲にして全体のためにつくすという押し付けが、悪しきナショナリズム以外のなにものでもないと思わざるをえない。

私はソウルの慰安婦像も、釜山のそれも、さらには香港にも最近できた慰安婦像も見てきた。韓国第三の都市である大邱では慰安婦歴史館も訪れたことがある。慰安婦像の横には誰も座っていない椅子がある。それはまだ未解決の名もなき慰安婦たちの存在を意味するということだ。韓国の人たちはそこに腰かけて笑顔で記念撮影をする。悲劇や悲壮感は感じられない。日本で広島や長崎や沖縄の戦跡でそのような記念撮影の仕方をしたら不謹慎だと一喝されるのは間違いないだろう。そこで感じられたのは、あっけらかんとした被害者との連帯意識である。大邱の慰安婦歴史観では、慰安婦がつくったよく韓国通と言われる人たちがいう「恨」の感情とは無縁のものだ。私はこの光景に何か私たちが理解できず、かつ慰安婦問題が決して解決に向かうことがない理由のひとつが隠されているような気がしてならない。

映画『主戦場』はそうした慰安婦問題に秘められた韓国ナショナリズムの謎を解く材料はひとつもなかったと言ってもいい。たしかに人権問題としての慰安婦を論じる素材としては確かに優れているかもしれない。そしてこの映画は「歴史修正主義者」による戦前回帰について警鐘を鳴らす。安倍政権批判にこれが収斂されていくのだが、自分はなにをかいわんやの気持ちとなり、映画館を出ていくことになった。慰安婦問題で否定派と慰安婦支援派の間にある溝を埋めるのに、これでいいのかといいう鬱屈した気持ちにならざるをえない。

『サンダカン八番娼館』の物語に戻ってから本稿を閉じたい。この作品には、人身売買されたからゆきさんと作者の出会いから別れまでが綴られているのだが、これに後日談というのもある。サンダカンには、多くは人身売買された、韓国の従軍慰安婦と同じ境遇のからゆきさんの墓があるというのだ。ボルネオの南洋の山の中に、作者はこの墓を探し当てるのだが、その墓はこぞって日本の方向を向いていなかったというのだ。国家は無縁のまま死んでいった彼女たちに何もしなかった。韓国は慰安婦問題を国をあげて支援し続けるという。ただし、個人の自由意志は国家によって許されない。私はこういう対照的に見えて、相似的な輪郭を描く光景を、映画『主戦場』のようにわかりやすく説明することはできない。

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