香港における中国人差別「新型コロナウイルスの裏切り」 ロイター記事日本語訳

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新型コロナウイルスの裏切り
大陸出身の中国人民主運動家でさえ、香港では避けられる

ロイター4/16 記事


ミニー・リーとナンナンは緊張していた。パンデミックの中、マスクと手指消毒液を寄付するために香港のレストランに入っていこうとしていた。

新型コロナウイルスに感染してしまうことを恐れていたのではない。大陸の中国人の扱いをされたらどうしようかと不安だったのだ。

ある香港の民主派支持のレストランチェーンのオーナーは、北京語を話す人間の入店を拒否していた。オーナーはフェイスブックに次のように書いた。「お前たちが香港との境界を封鎖しようとしないのなら、私がこの店の封鎖する」

リーとナンナンは自分達で民主運動に参加していた。昨年香港を揺るがしたデモに参加したことを知られたら、中国当局の怒りを買う危険がありながら。レストランのオーナーは、反中の機運が高まる中で繰り広げられた「おとり捜査」を批難していた。その怒りは同じ民主運動側にも向けられていた。

彼女たちは、いたたまれない現実を突きつけられる。中国にはない「自由」を自分達はこの香港で大事なものとしようと思っているが、その自由によって彼女たちが大切にされるわけではないということを。

1月に香港に最初の新型コロナウイルスの罹患者が出たときから、これまで一緒に催涙ガスを浴びながらデモに参加してきた友人たちからも、「圧制者」とか「植民地主義者」と責め立てられるようになったと彼女たちは言う。

香港人と大陸中国人との緊張関係は、民主運動の大きな要因である。しかし香港の人たちの民主運動は、中国からの政治的な迫害をうけ、それは今や暴力的なものになってきている。香港機会均等委員会によれば、新型コロナウイルスがアウトブレイクして以降、中国人や北京語をしゃべっている人に対する差別の申し立てが約600件になるという。委員会によれば、これまでは「ごくわずか」だったそうだ。

100以上のレストランが、中国人や北京語を話す客に対して警告を発している。ある理容室では香港人しか髪を切りませんと言っている。

2月の初めに、中国との境界に爆弾と疑われるものが警察によって発見された時には、テレグラムでは匿名のグループがこの犯行が自分たちが行ったものだと主張し、「大陸のゾンビ」に「私たちは自分達で検問を封鎖することができる」と警告した。

わずかながらではあるが中国人が昨年の民主化運動に参加し、民主運動家と大陸の中国人がお互いを理解しあえるように取り組んできたことを想像するのは、偏見があって難しくなっている。その時に疑いのまなざしを受けることもあった。しかしそのことを通じて、民主運動に参加する香港の中国人は、中国共産党の統治が進むことに反対する香港人とのつながりを得てきた。

しかし今、それは片思いにすぎなかったと民主運動家の中国人の一人は苦々しく認めた。片思いはつらいものだ。

1月の春節に江西省の実家に帰る時、ナンナンは香港警察が香港のアパートの部屋を捜索しに来ないかが心配だった。そのためにスプレーや防護用品や民主運動のポスターなど、罪に問われるようなものを隠した。

中国の実家に着くと、菜園の庭でくつろいだ。香港の密集したビルの部屋は狭かったので、とてもよい気分転換になった。両親と一緒に山に登り、料理をして、遅くない時間にベッドに入る。それは彼女にとって「非常線で分断されていない世界」だった。

31歳の非営利団体の学芸員の仕事をしていた彼女は、家族に政治の話はできなかった。ほとんどが共産党員だったからだ。ナンナンは2014年の香港民主化運動で学んでいた。その時、彼女の父は親子の縁を切ると脅した。母は彼女が洗脳されていると決めつけた。

「ナンナン」というのはニックネームだ。中国人が民主化運動を支援しているとわかれば、中国に帰った時に尋問されたり逮捕されたりする危険があるからだ。彼女への愛情という名目で、両親が彼女の信念をおさえこもうとしているのはわかっていた。

家は心地よかった。しかし、彼女の村にいる時間は長くなかった。香港で医療関係者のストライキが始まっていたからだ。医療関係者は、感染が香港に広がらないように、中国との境界を完全に閉鎖するように要求していた。

このままだと村にずっといることになるだろうとの恐れから、ナンナンは香港に列車のチケットを買った。ウイルスが蔓延していない香港に戻ると決めたのだ。彼女は10時間の列車の旅の間、食べたり飲んだりせず、そのためにマスクを外すことはなかった。

しかし、ナンナンの部屋をシェアしている同居人の何人かに連絡したとき、彼らは帰ってこないようにと彼女に言った。

香港の友人がナンナンを泊めてくれると言ってくれた。1-2週間の自主隔離期間が必要だったからだ。1時間後に友人のところに着くと、近所の人たちが、北京語をしゃべっている人間がいると大家に通報した。シンガポールから彼女は来たと、友人が嘘をついた。

これでなんとかなった。

落ち着いたところで、ナンナンはフェイスブックをチェックし始めた。ある友人が、インターネットミームを投稿していた。それは中国共産党に支配されている中国人を哀れだと思っていたのが、今では全員死ねばよいと思っているというものだった。さらにスクロールさせると、「感染した中国人がドアの前にいる」そして「植民地主義者め!」と続いている。

「彼らは中国人は人間ではないと思っています。そして死ぬべき存在だと」ナンナンは言った。「新型コロナウイルスのせいで、差別がさらにあからさまになってきています」

外に出れるようになっても、隔離された気分は続いた。

「以前の友人たちは私をのけ者にしようとはしませんでした」ナンナンは言う。「広東語の発音がおかしくても、それは笑いのネタになるだけでした。けれど今は、広東語を間違えただけで楽しい時間ではなくて、危険な時になります」

そして現在、彼女は初めて香港を離れようかと考えている。「絶望したんです」とナンナンは言う。

ミニー・リーは、香港教育大学の社会学の講師だ。民主活動家として知られている。

昨年6月の100万人以上が参加したデモで、彼女は約60人の中国人とともに「民主化への道をともに歩もう」と書かれた横断幕を先頭にして歩いた。数日後にはハンガーストライキにも参加し、90時間後に救急車で病院に担ぎ込まれた。

リーは中国に生まれ、12年前に香港に移り住んだ。1月には病気の祖母のために中国に帰ろうとしたが、友人や夫に止められたと彼女はいう。危険だからだ。彼女の写真は中国のTwitterである微博で拡散されていた。写真には「この顔を忘れるな。祖国を裏切った女をやっちまえ」とコメントが付けられていた。

しかし今では、そのリーが愛する香港から攻撃されている。一緒にハンガーストライキに参加した仲間でさえも、中国人に対する恐怖を煽っていた。

リーのフェイスブックのアカウントにはたくさんのフォロワーがいるが、ナンナンと香港のレストランに行った時のことを紹介すると酷いコメントが数百も寄せられた。

「おまえらにはイライラさせられる。なにをしようとしまいと、おまえらは植民地主義者だ」
「北京語をしゃべる人間の利益を守る政策で得をしているだけ。もしわざとそうしているのではなくても、おまえには持って生まれた原罪がある」

ある時にリーがケガをした中国人の生徒と病院で北京語で話していると、他の患者がそろって怯えた様子でこちらを見ていた。「まるでウイルスを見るかのようでした」とリー。

リーは香港の民主化運動が、さらに排他的になってきていることを心配している。

「民主化運動を支持していると皆さんは言いますが、何を支持しているかがわかっていないと思います」とリー。

「その時、自分自身を非中国人化しなければならないのです。ウイルスと同じようなものなのですから」

(以上、引用終了)

このあと、文中のナンナンが、ミニー・リーの創作した架空の人物ではないかと疑惑がかけられたため、ナンナン本人が香港01に動画で登場している

ナンナンは「一緒に戦わなければならないのに、なぜ香港人と中国人をわけなければならないのか」と言っている。

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