-->ネオナチと極右の草刈場となったサッカーと音楽 / 「ネオナチと極右運動-ドイツからの報告」 - Football is the weapon of the future フットボールは未来の兵器である | 清 義明

ネオナチと極右の草刈場となったサッカーと音楽 / 「ネオナチと極右運動-ドイツからの報告」

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1990年代前半のドイツにおけるネオナチおよび極右運動について概括的にまとめられた書籍。表紙がなんともはや独自のセンスなのではあるが、中身はそれなりにまとまっている。
ヨーロッパにおける極右主義は、白人以外の移民や旧植民地の人々との民族的な混交が進むにつれ、右肩上がりの状況になり、例えば近年のフランスのルペンのような存在も生み出している。
データはかなり古いのであるが、例えば1992年における欧州各国の議会に占める「右翼」の議会占有率は以下のとおり。

ドイツ・・・ 2.4%
デンマーク・・・ 6.4%
オーストリア・・・16.6%
スイス・・・ 7.5%
ベルギー・・・ 6.6%
イタリア・・・14.2%
フランス・・・13.9%
ポルトガル・・・ 4.4%

この中でドイツの構成比率が低いのは、この国ではナチス的な政治活動や言論が厳しく規制されているためで、そのため公に政治的な表面に出てくることができないためであり、そしてだからこそその活動は地下にもぐり、そして様々なテクニックを駆使しながら生き延びてきているし、そしてさらにその活動の場を広げつつある。

彼らは禁止されたナチズムの鍵十字を変形させてマーク化し、ヒトラー式の敬礼は指三本のみを突き出すことにより、それをうまくごまかし、これも禁止されているホルスト-ヴェッセルの歌は音域をわざと外して歌う。

「アウシュビッツの嘘」という歴史修正主義者の本は発禁になりながらも10万部以上が頒布され、スキン・ヘッズのロックバンドはあからさまな人種差別の歌をデモ・テープにして売りさばく。

自分がこれまでわからなかったのが、「極右」とか「ネオナチ」とか「スキンヘッズ」といったものの差異であり、例えばそれがフーリガニズムとどのような結びつきがあるかはさらによくわからなかった。

本書を読む限りでわかるのは、

・政治的な国家主義と排外主義者・・・極右
・これに加えて具体的にナチスの復興をめざすもの・・・ネオナチ
・基本的に徒党をなしたヤンキー集団・・・スキンヘッズ
・これのサッカー版・・・フーリガン

という2つの位相にわかれているということだ。

スキンヘッズやフーリガンといった荒くれ集団は、そもそも思想や政治的に統一性をもたず、だからむしろ多種多様なグループみたいなものがある。

その中にはナチを崇拝するものもあれば、単に人種差別的な言動をするものもあるし、アナーキストや左翼のスキンヘッズもいる。

ただし、ドイツでは、これらのスキンが急速に政治化しつつあり、それらは排外主義的な人種差別行為を繰り返し、そして暴力行為にいたる。

そして、それを極右のグループは、その連中に入り込みつつ政治化していく。

なお、極右とネオナチの違いは、その極度の排外主義や暴力肯定の政治思想をナチスの基本思想において語るか語らないかの違いであり、そういう意味でそのようなナチの宗教色を表に出すか出さないかの違いである。

サッカースタジアムにたむろする荒くれにもこの風は流れ込んでおり、さらにドイツではナチズムというおそらく彼らにとって居やすい思想のパッケージがあるため、そちらに流れるものもいる。

*白色人種は維持されなくてはならない。人種混交、過度の外国主義、国際主義が白人種を脅かしている。
*白色人種の敵は排除されなくてはならない。
*スキン・ヘッズは、自らを人種保護者と見ており、彼らは現代の突撃隊であり、差し迫った人種戦争における戦闘者であると感じている。
-フランスのOIミュージック(スキンヘッズのパンクミュージック)のプロデューサーの発言

そして、その戦闘とはどんなものかというとこういうことだ。

ドイツのための戦い -これは彼らには、スキンヘッズを「ダニ」と言っている左翼と外国人に対するテロを意味し、同性愛者、都会の浮浪者、障害者に対するテロを意味している。

ちなみに、この「外国人」とはドイツでの多数派移民であるトルコ人のみらなずアジア人も含まれる。

そのようなネオナチの活動と「スキン・ヘッズ」の活動は、サブ・カルチャーにまで進出している。代表的なものはサッカーであり、そしてロックである。

極右は新人募集計画をスタジアムの周辺で開始し、そしてスキンヘッズのバンドは強力に政治化する。

1983年10月26日、ドイツ民族には悪臭のするトルコのならず者との戦いが差し迫っている。それはサッカーのドイツナショナルチームがトルコのげす野郎とベルリンでヨーロッパ選手権のポイントを巡る対戦なのだ。・・・・この試合の背景には、とくにドイツ人の自国における職場をめぐる戦いがあるのだ・・・だから外人よ出て行け!・・・われわれが解放されるのは暴力のみである。われわれは始めなければならないのだ。敵チームはどこでもよい。野郎どもに対する戦いのためにベルリンに行くのだ

--ヘルタBSCベルリンのファンに対して呼びかけたビラ--

オレは路上に立ち/目を見開いて/トルコ人を待つ/そいつに一発かませて/そして俺の番が来たら/蹴りも入れてやろう/やつらはたかがトルコ人じゃねえか/ブタとかわらねえ
トルコ人、おまえら何をやったのか/トルコ人、なんでおまえらオレをそそのかす/
あいつらはいつもニンニクを食ってやがる/ブタみてえにくせえ/やつらはドイツに来て/ただで暮らしていやがる/やつらはドイツをクソまみれにしやがる/やつらは殺すしかねえ/それしかねえ
牢獄にぶちこめ/収容所に叩き込め/なんなら砂漠に放り出せ/とにかくやつらを追い出せ/やつらのガキをぶっ殺せ、やつらの女をやっちまえ/やつらトルコ人種を消せ

--OIバンド「最終勝利」の「外人野郎の歌」--

基本的にこのようなフレーズは日本のネットでもよく見る類のものなのだが(もちろん相手はトルコ人ではないのは周知のとおり)、これがある程度大手をふって世間に流通してしまうことはものすごいことではないかと思う。

※もちろん、これらの潮流に対するアンチも存在しており、むしろそちらが「世論」であることはいうまでもないのだが。

なお、この書籍の巻末には、ドイツにおけるネオナチ活動が、ユダヤ教をはじめとする異教のみならずキリスト教までをも敵対視するゲルマン異教(ナチスが信奉したもの)がバックボーンとして存在することを指摘している。このへんは非常に濃い話であり、単にベネディクト・アンダーソン式のモジュール理論のナショナリズムの理解では追いつくことができない。
なるほど、勉強になりました。

 

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