-->『田中角栄 -戦後日本の悲しき自画像』 早野 透 -周恩来にハッタリかました田中角栄- - Football is the weapon of the future フットボールは未来の兵器である | 清 義明

『田中角栄 -戦後日本の悲しき自画像』 早野 透 -周恩来にハッタリかました田中角栄-

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田中角栄 – 戦後日本の悲しき自画像 (中公新書)

本書、日中国交回復の政治交渉の最中の周恩来と田中角栄のやりとりで面白かったところが以下のくだり。

「周恩来は、日本に殺された中国人は1,100万人であると言って、どこどこでどれだけ中国人が殺されたかを言うんだ。大平(外相)も二階堂(官房長官)もたまげて聞いていたね。私は、死んだ子を数えてもしょうがないと口に出しそうになった。しかし田中角栄も政治家だ。黙っていた。
しかし黙っていてもしょうがないので、日中両国が永遠の平和を結ぶ以外に無いと話した。だけど、あなた方も日本を攻めてきたことが在ったけど上陸に成功しなかったでしょ、と言ってしまった。
周恩来は色をなして怒った。「それは元寇のことか、あれはわが国では無い、蒙古だぞ」という。そこで私は引き下がらない。1000年の昔、中国福建省から九州に攻めてきたではないか、その時も台風で失敗した、と言い返したら周恩来はたいしたもんだ「あんたよく勉強してきましたね」と鉾を収めた。首脳会談というのは、そういうものだよ」

えー、そんなことあったっけーと改めて調べてみると、「刀伊の入寇」(1019年)というのが確かにある。

今から1000年前の平安朝の時代に、女真族とみられる海賊が、対馬・壱岐・筑前に上陸したというもの。

ただし、当時の記録から考えても、これは領土侵略というよりも単に海賊の所業だし、さらには朝鮮半島経由で来たらしいので福建から来たのでもなく、しかも台風で失敗したのでもない。

どうやら、この海賊の略奪侵攻と元寇のエピソードをごっちゃにしているらしい。(第二回の元寇の兵の主力は浙江省から出立しているので福建省でもないのだが)

ともあれ、角栄はインチキでごまかしたわけで、史上漢民族が日本を侵攻したことは一度もない。

なんともはや、ほぼ土壇場の口からでまかせなわけですが、これもひとつの田中角栄の憎めなさにつながるところなのかもしれない。それにしても、日本に留学経験があり、それなりに日本史に通じていたはずの周恩来相手によくぞこんなデタラメを(笑)

こういう人間臭いエピソードは枚挙にいとまないのが田中角栄のポイントなわけで、そこがこの人の核心なのではないかと思う。
よきにつけ悪しきにつけ、立ち位置は「庶民」。だから55年体制の中で、鳩山-佐藤-田中政権のベースト基なった現実的政治としての護憲がフィットする。日米安保体制も実利を考えればなにも損なものではない。

このラインの自民党は、基本的に戦争なんてものはもう厭だ、原爆もかんべんしてくれという民衆の感情に立脚する精神があったわけである。

なお、角栄自身も一兵卒で中国戦線に応招されているが、病気で除隊するまで一発の弾丸を実戦で撃つこともなく、その思い出は上官による壮絶なイジメの話ばかりである。本書の著者も言う、名誉の戦死などバカバカしいというのが角栄の生き方であった。

上を向いて歩いていく物語をひたすら進んできた人だが、ベースはいつも田舎の百姓の視点。途方もない実務の才覚と人心収攬術で、堂々と戦後の価値観の中でのしあがってきた。

それは政治手法も同じであるからこそ、角栄のやり方は戦後日本の「構造」となる。小泉純一郎が「構造改革」とは何かと問われて、それは田中角栄の政治構造を変えることだと語ったことなど大変興味深い。

中公新書としては分厚い400P超。しかしこれでもこの人の人生をざっとたどっただけの感。最後となる1/3は、田中金脈問題からロッキード事件への転落。そしてさびしい晩年へ。このへんは読むのがつらい。活き活きとした青春時代から壮年までだったら、とても明るく滋味ある映画になりそうである。

 

 

 

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