日本が関東大震災から学んだこと -災害時のデマツィートについて

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横浜の元町や中華街から運河を上ってほど近い現在の中村町のあたりはドヤ街だった。

関東大震災 (文春文庫)関東大震災発生してすぐに、食料を確保するとの名のもとに、ある政治チンピラがこのドヤ街の労働者を糾合して「横浜震災救護団」という自警組織をでっちあげた。もちろん彼らは日本人である。そして、彼らがやったことといえば救護でもなんでもない。食料供出の名のもとに、民家や商店を武装して荒らしていたのだ。

関東大震災の朝鮮人虐殺を引き起こしたデマの出所を調べていた横浜地方裁判所は、これがこの風評のきっかけだったのではないかと結論づけた。

以上については、この震災の二つの悲劇、すなわち震災とその直後の大火、そして一般の民衆が殺戮に走った朝鮮人虐殺を丹念に検証した『関東大震災』に記録されている。

『関東大震災』 吉村昭 -デマの出所と第二の悲劇

 

大火の悲惨もさることながら、このデマと群集心理による想像を絶する暴力の記録をつらつらと見るにつけ、当時の日本人の民度や情報リテラシーの低さ、群集心理の暴走など、本当にネガティブな感想しか湧いてこない。阪神淡路震災や東北大震災を鑑みると、時代は変わったと思う。

九月、東京の路上で 1923年関東大震災ジェノサイドの残響 もちろん未曾有の災害のなかで狂気に陥った群衆に誰しも手をこまねいていたわけではない。

当時の警察は比較的に冷静な対応をしていた。いち早く、情報がデマであったということを察知し(実際にに朝鮮人による暴動や略奪行為などひとつもなかったのだから当たり前といえば当たり前)、危機が及びそうになる人達を安全のため確保していた。一部にデマを信じた犯罪の予防拘束という処置も見受けられたのだが、あのパニック状態の中ではある程度はこれも致し方なかったと思う。

しかし、それを乗り越えて暴徒は警察を襲撃していた。警察力は彼らの狂気を防ぐのにいっぱい一杯だった。

さらにはその警察でさえも、震災のパニックを利用した憲兵とつるんで、裏では社会主義者をなんの容疑もなく検挙して、殺してきたという事実もあるのがなんともはやではあるのだが。

このような災害があるにつけ、日本は学んだんだなと思う。出所怪しい情報にはひとまず確認するということが出来るようになっているし、その情報を信じてしまうことが後から省みて正しいことになるのか、いったん落ち着くことができる。

もちろん、それはネットで相変わらず「地震に乗じて外国人が犯罪をするので云々」とデマを流して扇動する一部のネットの不見識かつ全く学んでいない愚かな人達を除いて。

 

 

 

※この最後のツィートにある写真は、「中国人または韓国人が震災直後に復興支援の名のもとに金庫破りをしている」というデマのもとになった写真。
この写真の出所はAP通信がとったもので、キャプションには「地元の人間が流された自分の飲食店の金庫を開けているところ」とある。
そもそも火事場泥棒ならば写真を撮らせるところでおかしいというのは冷静に考えればわかるはずなのだが。これも小さな錯誤からデマになって伝わっている。

 

彼らはきっと自分自身が愚かだとは考えていないのであろう。むしろタイムリーな「からかい」を言って、からかってやろうとしているぐらいなのかもしれない。

しかし、パニックの心理状態の中では、どのようなインパクトをもってこのような真偽定かならぬ情報が変形されながら広がるのか、社会心理学を学ばなくとも私達は知っている。

彼らの言は、もうまごうことなき「ヘイトスピーチ」であり「差別扇動」なのではあるが、それに加えて災害時のような緊急事態にデマを意図的に流すという社会的に許されない行為でもある。様々な災害復旧などの業務を妨害したとして刑事訴追されてもおかしくない話である。

関東大震災から1世紀が立とうとしている今、願わくば、このような輩が社会から糾弾されんことを。

 

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