かつてサンタクロースは火あぶりの刑に処せられたことがある。
1951年フランスの古都ディジョンで刑は執行された。集められた子供たちの目の前で、異端者の審問にかけられたサンタクロースがサン=ベニーニュ・ド・ディジョン大聖堂の壮麗なゴシック建築の伽藍に吊るされ、聖職者がその罪を宣告したうえで火がつけられた。
この時期、毎年毎年クリスマスに関する議論は高まっていた。カトリックはクリスマスが神聖な降誕祭の儀式を異端化するサンタクロースという人物を告発してきた。プロテスタントもこれに追従し、この異教徒のけがれた祭典が家庭に入りこんでくるのを阻止しようとした。
ディジョンでの刑の執行のあと、聖職者たちは厳かに告げた。
「虚偽と戦うことを望む、教区内のすべてのクリスチャン家庭を代表して、二百五十名の子供たちが、ディジョン大聖堂の正門前に集まり、サンタクロースを火あぶりにした」
あたかもキリスト教の祭事として認知されているが、そもそもクリスマスというのは異教の祭りである。本来はキリスト教と何も関係がない。もともとは古代ヨーロッパの先住民であるケルトが信仰する多神教であるドルイド教の季節祭事から始まった。そこに様々な古代の宗教的な儀礼や要素が時代と共にミックスされた。
特に有力なのは、ギリシア神話の農耕の神から由来するサートゥルヌス祭である。この祭りは毎年12月17日に行われていたのだが、それが盛り上がるにつれて期間が延長され、ついに1週間の長きにわたるようになった。すると、キリストの生誕祭の前夜である12/24にこの祭りは達する。後発の宗教であるキリスト教は、自分たちの信仰であるキリストの生誕祭にこれをあわせるようにした。いわば、古くからある祭りにのっかったのである。
サンタクロース、トナカイ、橇に満載されたプレゼント、クリスマスツリーなど、それらはすべてこの混淆された文化儀式が途中から編み出した風俗で、歴史を振り返るとほとんど途中から付加されたものばかりで、キリスト教とは関係が薄いものばかりだ。
キリスト教は後発の宗教として、様々な祭典や儀式を地域の信仰とミックスさせてきた。これは日本だと神道と仏教の関係に似ているともいえる。宗教の学術用語では、これを「習合」という。だから振り返って歴史的にこの「起源」を辿ると如何様にもならない。サンタクロースが赤い服を着て、グリーンランドからトナカイに乗ってやってくるというのは、以下の時代も地域もバラバラな意匠が習合=ブリ・コラージュしたものだ。つまり、赤い服はコカコーラのあのコカコーラ・レッドをあしらった広告デザインからで、グリーンランドから来るのは第二次世界大戦の進駐軍だったアメリカ軍がそこに駐屯していたからで、トナカイはルネサンス時代のイギリス人の戦利品で、柊の葉はローマ時代の魔除けである・・・というように。
よって厳格なキリスト教徒からすれば、クリスマスなどいかがわしいことこの上ない異教徒の祭なわけである。
明治維新は「国学」と呼ばれる復古主義神道がイデオロギー的な原動力となったが、直後に、この国学の神道原理主義者ともいえる側面が暴走し、廃仏毀釈という狭量なムーブメントが起きたことがある。こうして庶民のおおらかで素朴な信仰心は原理主義から批難される。異教徒のそしりを受けたのは庶民ばかりではない。そうして天皇家の宮中から歴代の祖先を奉じる仏壇が取り除かれたのもこの時期だ。
ハロウィンもクリスマスと同じく、キリスト教徒にとって異教の祭りである。こちらも古代ケルトの祭りで収穫祭と季節の分かれ目を祝う季節儀礼から始まっている。ようはお盆のようなものである。ところがカトリックは11/1の「聖人の日」の儀式を、クリスマスと同じようにケルトの祭りにのっけってミックスさせた。ここにあわせたのである。だからそもそも宗教的にはいい加減なわけである。
キリスト教徒がケルトの祭りを意味も分からずに楽しんでいる・・・しいて言うならば、これがハロウィンやクリスマスの意味合いなのだ。
ハロウィンの愉しみも厳格なキリスト教徒からは戒められている。それを薄々知っていながらも、楽しけりゃいいじゃん!というのが、そもそものハロウィンなのである。
しかし厳格な宗教的な異端審問の末に火あぶりの刑に処せられるための象徴的な存在がハロウィンにはない。
いかにもヨーロッパ多神教時代の祭りで、素朴な日本古来の民俗神道を思わせる節操の無さである。野菜を動物に見立てるのは日本のお盆だが、かたやカボチャであるから、これを焼けばいいのだろうが、これでは単なるベイクド・パンプキンである。甘く香ばしい火刑である。
さて、日本のハロウィン。こちらも負けず劣らずいい加減である。
民族学では、文化刺激伝播という説がある。
どういうことかというと、文化が伝わっていくときに、その外来の文化はそのままその地域の人々に伝わるのではなく、その形式だけを模倣しながら、古くからあった習俗や伝統を知らず知らずのうちに呼び起こしてミックスして広がるという考え方だ。
日本におけるハロウィンを見るにつけ、「ええじゃないか」や突発的若者のわけわからん祭りや練り歩きの日本的風習を、ハロウィンは呼び起こしていると思う。民衆が宗教的儀礼の形式だけを拝借し、ただ単に自分たちの形にならない熱狂を作りだすというのは、あらゆるエンターテインメントの原型である。良識ある人達に眉を顰められながら、宗教的には異端であると言わずもがななことを指弾されながら、しかしそれが時代を経ていくと立派な「伝統」になっていく。
天保十年のハロウィン 『蝶々踊図』小澤華嶽 pic.twitter.com/I8I1kBXh8U
— ピコピコ (@picopicoshimbun) 2015, 10月 26
習俗や風俗というのは、それを好んで熱狂する若者の方がいつも正しいというのは歴史が証明することである。
ロックだって歌舞伎だってサッカーだって演劇だって、元々はちょっと足りない若いヤツの街中でのバカ騒ぎがその始まりだ。
そして、楽しんだものが勝ちなのだ、ということも、いわずもがなな有史以来の普遍的法則なのである。