北朝鮮の「スリーパーセル」(浸透工作員)を描いた映画で、私が大変印象深く記憶にのこっているのは、映画『レッドファミリー』だ。
韓国に潜入し、暗殺も含めた特殊工作に従事する工作員が、一般人に浸透するために、郊外の贅沢な一軒家で生活を営む。家族という設定で、工作員同士でファミリーを偽装する。
仲睦まじい家庭を装い、隣家とも交流し、それぞれ職場や学校で普通の生活をする。そのうちに様々な韓国での生活を通して、堕落した資本主義社会ではなく、どこにでもあるような隣家の普通の家庭ぶりに、工作員たちは心が揺れ動く。
だが母国から課せられた使命を守ることが、北に残した本当の家庭のためだということもわかっていて、そのなかであるときはユーモラスだが悲哀に満ちた葛藤が繰り返される。
やがて、この工作員たちは脱北者の暗殺を実際に行うのだが、それは実は・・・
本来は重苦しいストーリーであり、物語は悲劇的な結末を迎えるのであるが、ユーモアと淡いヒューマニズムも映画のストーリーには流れ続けていて、なかなかの佳作であった。観て損はないクオリティであるので、皆さまもご参考に一度ご覧いただければ、と。
この映画が普通に公開されていることからもわかるし、数多くの北朝鮮の工作員(いわゆる「スリーパーセル」も含む)の映画もあるのだから、これらの工作員が韓国に多数侵入していて、何かがあれば、非合法活動をしたりテロを行うだろうというのは、韓国では一般的な認識だろう。危機感とも言ってもいい。韓国は軍政時代から工作活動防止のための各種の政策がとられてきた。そうして建国以来、そのような危機から一時たりとも逃れられていない韓国ではむしろ感覚は麻痺してしまってもいるかもしれない。そうしていつの日にか訪れるはずの和解の日を夢想する。韓国映画には、激烈な葛藤の末に訪れるだろう、そのような和解を希求するテーマの名作が多数ある。
「フェイクニュース」扱いされていた日本人拉致事件
さて、三浦瑠麗という新進の政治学者が、テレビのバラエティ番組で、日本国内にいるという「スリーパーセル」(浸透工作員)についての発言をしたことが問題となっている。
三浦の発言は韓国なら全く問題にはなっていなかっただろう。当たり前の話だからだ。
実際に北朝鮮はこれまで工作員によるテロを繰り返しており、それは枚挙に暇ない。そして、その協力者としていつもあげられるのは、現地の一般社会に入った「スリーパーセル」※の存在である。
(※この言葉は妙に現実離れした印象を与えるので以降は使わない。なお「セル」とは「細胞」の意味で、共産主義の活動家の用語で組織の単位を指す。例えばかつての学生運動の時代ならば「東大細胞」といえば、上部の組織が作った東大の活動家の組織を意味した)
直近でマレーシアでの暗殺事件でも、そのような現地で一般のビジネスに従事していた工作員が協力していたことがマレーシア当局によって明らかにされている。
既に逮捕されている北朝鮮国籍の男リ・ジョンチョルについては、外国人労働者の身分証明書「i-Kad」を所持しており、IT業界の会社で働いていると記載されていることが分かっているが、この身分証明書が偽装されたものかどうかはまだ調査中だということだ。もし、この身分証明書がマレーシア政府の発効した正規のものであれば、北朝鮮の海外労働者は原則的に家族と離れていることを考えると、リ・ジョンチョルが妻と子供らと一緒に暮らしていたことは、特殊な立場にいたことを示唆する。
現地メディア、ニュースストレートタイムズは、警察当局の消息筋の話として、リ・ジョンチョルが北朝鮮の偵察総局所属の工作員で、今回の事件との関連を示す強力な証拠を手にしたと報道している。
おそらく妻と子供も本当の家族ではないのだろう。まさに『レッドファミリー』である。
このような工作活動には日本を舞台にしたものも当然ある。このなかで確実に明らかになっているケースでもっとも知られているのは文世光事件(朴正煕大統領暗殺未遂事件)と数々の日本人拉致事件のテロ行為だ。この二つの事件は金正日によって北朝鮮が行ったことが明らかにされただけではなく、この遂行にあたって朝鮮総連が組織関与していたことがほぼ確実となった。
しかし、拉致事件は当初は都市伝説まがいの「フェイクニュース」扱いされていた。
特に拉致事件では本国の意を受けた浸透工作員による犯罪だということが今や明らかになっているが、当時、この問題に触れるのは人権問題になりかねないとされ、アンタッチャブルなことになってしまっていた。また北朝鮮や朝鮮総連と絡む出来ごとに関しては、人権問題ではないかとの非難が続き、結局はそのままうやむやになってしまうことが続いている。なお、朝鮮総連は拉致事件についても文世光事件に関しても、現在までひとつの総括もできないままだ。もちろん被害者に謝罪もなされていない。
まだ拉致問題について都市伝説扱いされていたころ、それでも在日朝鮮人の良識派からは、意を決して血の滲むような内部告発はあった。元朝鮮総連の幹部であった張明秀もそのひとりであった。彼は北朝鮮の帰国事業がいかに欺瞞に満ちたもので数多くの被害者をつくり、今でもなおそれを引きずり続けていること(帰国事業で「本国」北朝鮮に帰った人々だけではなく、日本に残ったその家族はあたかも人質を取られえたようになり、本国およびその日本における在外公館である朝鮮総連の意向に逆らえない)、さらに朝鮮総連が北朝鮮の指導の下、どのような非合法な行為に手を染めているかを赤裸々に暴露した。
なお、この張明秀の著作の編集者で、あわせて朝鮮総連とそれを擁護する左派リベラルの批判を当時行っていたのは、映画評論家の町山智浩だ。町山は次のように書いている。
僕は無署名のオピニオン・コラムを一人で執筆していて、毎号そこで『噂の真相』などの左翼ぶりっこを揶揄していた(中略)。 その他に、張明秀先生の朝鮮総連内部告発の連載を担当した。
張先生の兄弟をはじめ北に渡った在日僑胞の多くが粛清で殺されている事実を暴露し、日本人の拉致や北からの工作員上陸に総連が関わっている事実を告発した。
また、和田春樹や岩波書店の安江社長がいかに北朝鮮の事実を捻じ曲げて報道しているかを検証し、彼らを「金日成の手先」呼ばわりしたので、先方の弁護士から内容証明もいっぱいもらった。返事は僕が自分で書いた。
安江社長には僕が直接電話して『世界』が北朝鮮を天国のように報道してきたことの責任を追及した。そのやりとりは連載を単行本にしたこの本で今も読めるはず。
この連載は92年だが、すでに辛光洙(シン・ガンス)の対日工作の詳細を告発していた。しかし、当時はまだ日本のマスコミや社会党は北朝鮮による拉致や工作を否定していたので、まったく話題にならなかった。なにしろ同じ宝島社で大韓航空機爆破事件を韓国の自作自演とする本が出ていた時代だ。僕は、知り合いの雑誌や新聞に本を送って取り上げて欲しいと頼んだが朝日、毎日はもちろん、読売や新潮や文春も載せてくれなかった。
「北朝鮮による対日工作を事実と断定しているが、まだはっきり実証されたわけではない」と言われたことすらある。
書評で取り上げてくれたのも産経新聞だけだったので本当に失望した。社内的にもまったく評価されず、僕は『宝島30』をクビになり、社内に居場所がなくなって(文字通りデスクを窓際に回された!)、子会社に出向。96年末に退社して渡米した。
マスコミが拉致問題を事実として報道するようになったのはその後だ。13年前、『宝島30』で辛光洙のことをあれほど騒いだ時は誰も相手にしてくれなかったのに……。早すぎても、ほんと、損するだけだよ。
拉致問題の発覚で、総崩れとなった「リベラル」
町山が言及している辛光洙(シン・ガンス)は拉致工作の主要な工作員のひとり。
後に別の対韓国への工作で韓国当局に逮捕された。が、韓国における在日韓国人政治犯釈放の要望を日本の左派リベラルが行った際に、この辛光洙が釈放要望リストに入っていたため、拉致事件が明らかになったあと、日本の右派政治家から厳しく批難された。拉致加害者の工作員の釈放要望をするとはどういうことか、と。
当時北朝鮮と友好関係にあった日本社会党や北朝鮮シンパの人権活動家は、この拉致事件についてもこれを完全に否定していた。唯一この問題を追及していたのは産経新聞と日本共産党である。日本共産党は1960年代から北朝鮮と対立し始めており、その「極左冒険主義」に対する批判の急先鋒でもあった。
2002年に拉致問題が明らかになったとき、人権問題と称して拉致問題をフェイク扱いしていたリベラル陣営はいわば総崩れした。変わって、これまで北朝鮮批判をしていた右派が発言力を強める。これが、拉致問題にお先棒を担いでいたようなリベラルは信用できないという右派のキャンペーンになり、この問題には解決能力がないという世論のバックファイヤーを招き寄せた。
今回の一件では、このかつての失敗をまた繰り返してしまっているのではないかと私には思えてならない。
なお、自分の知りうるかぎり、このような工作員の話はいわば在日韓国人・朝鮮人社会では当たり前に囁かれている話で、実際にそのような体験をもつものもいる。
北朝鮮が工作員を日本に送り込み、様々な非合法活動や犯罪に関わり、朝鮮総連やその他の従北系民族団体が様々な形で協力している。これは何十年も前からよく知られていることである。それを指摘されたところで差別だのヘイトだのと騒ぐ奴らのみみっちいエゴなど、私に言わせれば侮蔑の対象でしかない。
— KangKim 김 강 (@SleipnirAtNet) 2018年2月13日
かつて北朝鮮の工作人に仕立て上げられた私の父や伯父は、正にそのような工作員と接触していた。今回の三浦某の発言など、現代日本の風物詩レベルで当たり前の事実である。そこで仮定の話を持ち出したのがあまり適切ではなかった程度にすぎない。
— KangKim 김 강 (@SleipnirAtNet) 2018年2月13日
余談ながら、私個人も学生時代ソウルで北朝鮮の工作員からの接触を受けている。どこでどう調べたか下宿先に電話してきて生き別れた祖母の話をして釣り上げようとしていた。父の件で私の監視をしていた保安司令部の担当者に即連絡して対処してもらったので、北朝鮮に連れ去られることもなかったが(笑)
— KangKim 김 강 (@SleipnirAtNet) 2018年2月13日
もうひとつ参考までに。在日コリアン社会をテーマに数々の話題作を撮り続けているヤン・ヨンヒ監督の「かぞくのくに」も、このように北朝鮮の工作員に実の兄からオルグされるシーンが出てくる。これはもちろんドラマなのであるが、このエピソードも含めて監督本人の体験した実話がベースとなっている。こちらも映画として秀作である。
なお、これらのエピソードはいわゆる「スパイ」の話で、三浦が言うようなテロではない・・・という意見もあるだろうからあらかじめ書いておくと、大韓航空機事件・文世光事件・ラングーン事件・金正男暗殺事件などを浸透工作員がかかわったテロ事件としてあげておく。これらは純然たるテロである。ここでは長くなるので個別には触れないのでそれぞれお調べください。
さて本題に戻ろう。三浦瑠麗の発言についてである。
拡大解釈という「差別」 -三浦瑠麗の発言はなぜダメだったか。どう進めるべきだったか
私の結論として、三浦のバラエティ番組の発言が不用意だったことは間違いない。では、三浦の指摘した事態が「フェイク」なのかといえばそれもまたどうなのだろう。正直、三浦の主張については、自分はそれが存在するべきものだと考える。これは今まで見てきたとおりである。おそらく、三浦の話はフェイクではない。
しかし、だからといって、三浦の発言が許容できるものかというと話は別である。
なぜなら、この手の話は確かに差別問題を招き寄せる可能性が高いからだ。それを回避して議論を進めるには難しい判断となる時がある。
こう考えてみよう。
1.ある特定の属性や集団Aの中に、(a)という小集団がある。
2.(a)について語る時、A=(a)では必ずもない
3.(a)はAの部分に過ぎない。
4.だからといって(a)が存在しないわけではない。
問題はA=(a)とする短絡的な拡張解釈自体である。この短絡的な拡張解釈を「差別」という。今、ネットに溢れかえっているヘイトスピーチやヘイトクライムはまさにこれだ。
一例をあげよう。排外主義団体で、これまで数々のヘイトクライムを扇動して、数々の裁判で罪を問われてきた在特会(在日特権を許さない市民の会)をはじめとする右派系グループによる京都朝鮮学校襲撃事件では、朝鮮総連に所属する小学校が授業中に街宣活動を名目に襲撃された。この時、子供たちに浴びせられたのは、「北朝鮮のスパイ養成機関、朝鮮学校を日本から叩き出せ」や「日本から出て行け。何が子供じゃ、こんなもん、お前、スパイの子供やないか」等のヘイトスピーチであった。
そもそもこの白昼に授業中に生徒のいる学校に街宣活動を行い、実力行使で目的を遂げようとした抗議活動の正当性についても筆者は大いに疑問があるが、百歩譲ってその主張に理があるとしても、子供たちには一切関係のない話なのではないか。これこそまさにA=(a)の拡張解釈である。これは(a)がAという母集団に依拠するがゆえの錯誤によってそう見えてしまうこともあるが、確信犯的にAという母集団を攻撃するために行われることもある。在特会はじめとするいわゆる「ネット右翼」が、ヘイトスピーチやヘイトクライムを引き起こす装置がこれである。
だからといって、その拡張解釈の恐れがあるから(a)については語るべきではないとか、その(a)自体なかったことにするというのも間違いでもある。ではその(a)についての議論はありえないのかというとそれは違うだろう。それが社会的に問題であることならなおさらだ。すると、拡張解釈自体の危険性を前提に(予防)して(a)を語るのは、あってしかるべきことなのではないか。
今回の一件の結論として、三浦の間違いは拡張解釈の危険性を予知していなかったことといえる。
バラエティ番組という面白ければよかれというフレームで、なんの留保もなく、また情報ソースも十分に言及できないものを、拡張解釈の危険性を全く考慮してなかったのだから、これは危険だと言われても仕方なかろう。よって三浦を私は弁護できない。
しかし、だからといって(a)は幻というのもまた違うだろう。つまり、三浦が成そうとした議論が無意味とも思えない。
ここではっきりさせなければならないのは、このようなセンシティブで憎悪扇動に陥る可能性が高い事象に対する議論の仕方である。
拉致問題では、この母集団(A)への配慮や拡張解釈の恐れから、(a)が幻とされた。ところが実際に(a)は存在したことが明らかになり、それまで(a)まぼろし説で正常な議論が行われていなかったため、その反動で(a)まぼろし派は決定的な信用棄損をうけ、そればかりではなく(A)への拡張解釈を逆に強めた。つまり逆に差別に対する口実を結果的に与えたのである。
そうすると(a)に対する議論は別途必要とされるならば、(A)=(a)という拡張解釈をしないゾーン(A)≠(a)の中ですればよい(実際、公安などをはじめとする行政機関はそうしているだろう)。
実際、日本社会は短絡的な拡張解釈を過去に行っており、現在でもその危機の萌芽はある。それではそれを避けるための一般的に方法について考えてみよう。
拡張解釈(差別)を引き寄せない議論の方法
方法1.議論をゾーンの中で行う
方法2.全体コミュニティの(A)=(a)の拡張解釈を許さないような議論の枠組みをする。
方法3.(a)に対する議論に(A)を通して行う。または巻き込む。
方法1.議論をゾーンの中で行う
方法2.全体コミュニティの(A)=(a)の拡張解釈を許さないような議論の枠組みをする。
方法3.(a)に対する議論に(A)を通して行う。または巻き込む。
三浦はこれのいずれの手立ても打たなかった。稚拙と言われても仕方ないし、本人の意図とは別に差別扇動と言われても致し方ない。
ところで不思議なのは、この三浦の発言のあったわずか一週間前に、やはり北朝鮮の工作員活動について触れていたのに、これは全く問題にされなかったことだ。
もちろんこれは三浦のように不用意に特定の地名を述べたり、テロとの関係に直接に触れなかったということもあるだろう。ただ池上は全くこの手立てを打たなかったのに問題はなかったのは、複数の角度から、特に韓国の声を織り交ぜながら紹介したのがむしろ大きい。これは先ほどの方法3に該当する。
トランプやルペンのような排外主義を招き寄せたのはだれか
朝鮮総連という組織は二つの側面をもつ。ひとつは民族の互助団体としての側面で、異国の地の同胞のために生活や文化、さらには経済的なフォローや人権問題に取り組むというもの。私はこの活動に心の底から賛同する。
しかしもう一つの側面もある。それは北朝鮮の事実上の在外公館、つまり北朝鮮政府の組織であるというものだ。この側面には負の部分を担ってしまっているところがあるのではないか、というのが大方の意見であろう。実際、拉致事件でもその組織的関与は当たり前のように疑惑を持たれている。
これも方法2のように切り分ければいい。民族の互助団体としての側面は評価し、非合法活動をする側面は批判する。または方法3のように母集団の意見や視点を借りればいい。
拡張解釈を警戒し、しかし問題には適切に議論を重ねること。これが出来なかったために、人権問題が隠れ蓑になり問題は放置された。これが拉致問題を通じて日本の右傾化が加速した原因のひとつであると自分は特に強く言いたい。
これは日本ばかりの話ではない。人権問題にプライオリティを過剰に置きすぎ、問題に対処できなかった欧米社会は、排外主義を育て、その果てにトランプやルペンを招き寄せた。イギリスはEUから離脱した。これはリベラルの失敗である。
先に紹介した、拉致問題の犯人に対して、その釈放運動をしてしまった土井たか子や菅直人をはじめとする左派リベラルを「極めてマヌケ」と評したのは、現総理の安倍晋三である。
菅前幹事長は、自らのホームページの中で「13年前の130数名の超党派の国会議員の要望書に私の名前があるということで痛烈に批判している。当時の記憶をたどると、要望書は韓国の民主化運動で逮捕された東大生など在日韓国人について韓国政府に対し釈放を要望するという趣旨で同僚議員から賛同を求められたもの。対象はあくまで民主化運動に関係した在日韓国人の政治犯と説明され、この中に日本人に成りすました北朝鮮の工作員シンガンス容疑者が含まれていたことは当時全く知らなかった。事実関係を再調査しているが、シンガンス容疑者が含まれた政治犯釈放の要望書に名を連ねていたとすればそれは私の不注意。お詫びをしたい」と説明している。
この二の舞にならないことを希望するが、現在のリベラル勢のネット上に現れている議論を見ると、彼らは学んでいないということを私は残念ながら認めなければならないことになる。
もし本当に北朝鮮工作員によるテロが起きて、それが「スリーパーセル」の仕業だったとき、リベラルはまた謝り、右派はその主張を強め、そしてまた拡大解釈、つまり特定集団に対する憎悪を招き寄せるだろう。それを私は強く恐れている。しかしリベラルの過去に学ぶことのない姿を見せつけられている今は、ただ予感が的中しないことを祈るしかなさそうである。