国会議事堂前の「敗北主義」 -最後に笑うものが最もよく笑う・・戦後左翼史のなかの市民ナショナリズム


 

安保法制を巡って、その反対派が国会議事堂前でデモを行いました。過去最大規模だそうです。

その数は主催者発表で10万人超。警察発表では3万人だそうですが、この手の数字を警察が控えめに発表するのはいつものことですから、10万人は超えていなくともこれよりは多かったでしょう。

90_1_20150808071135c55さて、数字の大小はともかくも、このデモの結論は明らかです。

この法案は可決されます。間違いありません。

そして、このことは国会議事堂前に集まったすべての人は皆知っているはずです。

この類のデモというのは基本的に議会制民主主義の中では最初から敗北しています。法案を提出した自民党が議席の絶対多数をもっているのですから当たり前です。そしてそれでもやるというのは「敗北主義」です。

ここでいう敗北主義とは、負けるとわかっていてもやらねばならないという態度のことです。なぜならばそれが次につながるからです。そうすると、この敗北主義というのは負け方が重要なことになります。いかにうまく負けるか、それが焦点です。

ここで負けても実は最後には勝っている・・・それを目指すのが敗北主義の目的です。議会制民主主義を肯定するならばそれは当たり前の態度です。ここで安保法案が成立しても、次の選挙で勝てばいいだけですから。よって負け方が次につながらないと如何様にもならない。

ところが往々にして敗北主義なのに本気で戦って敗北してしまう人がいるのは政治の世界ではよくあることです。勝てるはずもない戦いに勝とうとすれば、それだけ傷も深くなる。もちろん動員のために、タテマエとして勝利を目標にするのはあるでしょう。だが、それをタテマエだとわからなくなってしまう人がいるのもよくあるパターンです。

ホリエモンという人が、デモに参加する学生は自分だったら採用しない、思想が理由ではなく仕事できなそうだから・・・みたいなことを言ったと聞きます。これはこの事を指します。敗北主義を本気になってやって、それ自体が何事かを成すと思いこんでいるのは、バンザイ突撃を繰り返して死屍累々の無惨を晒した日本軍と同じだと私も思います。

 

 

以下は、敗北主義における「負け方」を考えるための試論です。そのために過去を振り返り、日本の左翼史をざっくりとさらっていきます。

国会前に集まり抗議するのは、首相官邸前で抗議するのに動員をかけた3.11以降の反原発運動からの流れです。この首相官邸前抗議が、これまでの市民運動のスタイルから歴史的に隔絶されたものというのは気づいている人は多いと思います。それは思想もさることながら、動員のスタイルや人的リソースにまで及びます。

ネットなどを見ていると、右派サイドからあたかも新左翼の学生運動と似たようなものと捉えている人がいるようです。ですが、これには大きな間違いがあります。

さらに、この反安保法案の運動が、若者によって担われているところから、新しい運動のスタイルだと考えている左派サイドの考えも間違っています。これは反原発運動以来の流れを注視していればわかることです。

まずはここを戦後左翼史の文脈で整理していきましょう。読みとくためのポイントは国家と議会制民主主義に対するスタンスです。

 

新左翼の誕生 -もうひとつの「1955年体制」

 

まずは新左翼とは何かをざっくりまとめておきましょう。

一言で新左翼とは何かといえば、議会制民主主義を否定して「前衛」によって革命を起こして社会を変革しようとする人のことです。さらに新左翼運動が高揚するにつれて、国家を否定するインターナショナリズムを大前提とするようにもなりました。

ここでいう「前衛」とは何かと言えば、思想的に「正しい人」を指します。もちろん思想とはマルクス主義のことです。

〈民主〉と〈愛国〉―戦後日本のナショナリズムと公共性彼ら曰く、多数派が正しいわけではなく、それに頼っていてはいつまでたっても社会は変わらない、少数派であっても「正しい」思想をもっていればOK。体制は彼らを弾圧する。なのでその鉄鎖を振りほどくためには、暴力革命しかない・・・こういう理屈です。

よく1955年体制と言われます。言うまでもなく、これは1955年に出来上がった自民党と社会党の保革二大政党の枠組みのことを言います。

ところが、もうひとつの1955年体制というのもあり、こちらもその後30年以上も強い影響力を持ちました。1955年に共産党が武装闘争を放棄し、議会制民主主義で政権をとると方向を決めたことです。そしてそれに反発する「新左翼」が出てきたのが1955年です。

もともと、日本共産党は日本で武装闘争ができるとは思ってませんでした。当時の親玉であったソ連に批判され方向修正を余儀なくされたというのが実際のところでした。50年代前半には「中核自衛隊」「山村工作隊」などの組織をつくってこの準備を進めていました。

あの頃映画 日本の夜と霧 [DVD]ですが、この路線を進めて過激化しようとしたところで、共産党は選挙でパーフェクトな敗北をして、1952年の総選挙では、なんと議席数がゼロになってしまいます。

そのため日本共産党はこのソ連から押し付けられた武装闘争路線を放棄します。議会制民主主義で平和裏に政権を取るということです。

勘違いされている人も多いのですが、日本共産党はこれ以来、ずっと反ソ連です。これを当時は「自主独立路線」と呼んでいました。そのため、後には文化大革命が当時の人達が思っていたものではないのにいち早く気づき中国とも距離を置き、さらには北朝鮮やその日本における在外組織である朝鮮総連ともいまだに敵対関係にあります。

余談ですが、拉致問題がまだ都市伝説とされていたころに、この問題を追及してきたのはサンケイ新聞と日本共産党でした。なお日本共産党は尖閣諸島や北方領土問題では自民党より強硬な領有権の主張をしています。知らなかったでしょ(笑)

話を戻します。共産党で武装闘争路線に動員されていた人は突然の方針転換に戸惑いました。これまで自分の信じていたことがなんの前触れもなく頭ごなしに否定されたわけです。彼らは地下活動を進め、農村にもぐりこんだりしてゲリラ戦の準備を本気で進めていたわけですから。なお、このへんの事情は大島渚の『 日本の夜と霧 』に見事に描かれています。

新左翼とは何だったのか (幻冬舎新書)新左翼はここから始まりました。

日本共産党が放棄した、本来のマルクス=レーニン主義の革命路線を守り、議会制民主主義を否定して、直接革命を起こすというのが新左翼です。60年安保闘争は、これらの考えを持つ人々のうちの学生の急進派(「ブント」と呼ばれていました)が、大学の自治会をベースにして作り上げた運動です。

なぜ自治会かといえば、ここが資金源となるからです。当時の学生は自治会費というものを納めていました。これがけっこうバカにならない金額だったわけです。もともとは共産党や社会党系の学生組織がこれらの自治会を制圧していましたが、そのうちに反日本共産党・反社会党・・・つまり議会制民主主義を否定する側が全国の自治会を乗っ取っていきます。よく「全学連」と略されますが、その正式名称は「全日本学生自治会総連合」です。

 

60年安保闘争は「ナショナリズム」だった

 

この反日本共産党の「全学連」が60年安保闘争を始めました。ですが、それはコア部分がそうだったというだけで、その運動は凄まじい反響を呼び拡大していきました。

国会議事堂前に集まったデモ隊の最大動員は11万人と言われています。今回の国会議事堂前には13万人という主催者発表がありましたが、きっとこれを意識したものでしょう。

これは国会前だけの数字で、国会ではなく各地の労働者によるストライキも多発し、最盛期で480万人がこれに参加したといわれています。当時は「労働者が本隊」という考え方ですから、学生主体に集まった国会よりも多いのは当たり前のことでしょう。これに比較すれば、まだ今回のデモは規模として小さいものです。

この60年代の安保闘争には社会党系も共産党系もすべて参加しました。もちろんそれ以上に政治に関係ない人たちや、必ずしも左派思想を持つひとではなくとも参加しています。戦争の焼野原からまだ15年しか経過してないのですから、皆は軍事的な政策に対して今以上に過敏だったのです。

さらにポイントだったのは、この60年安保闘争が「民族主義」だったことです。なお、ちょっと右派の民族主義と混同してしまう可能性があるので、ここからこの民族主義というのを「ナショナリズム」と呼ぶことにします。

60年安保を新左翼とは違う側から支持したイデオローグのひとりに丸山眞男がいます。丸山の思想は一言でいえば市民ナショナリズムです。

丸山眞男セレクション (平凡社ライブラリー700) 自立した個人が自分のスタンスで政治に関わっていくことが必要という主張です。彼はリベラルですが、必ずしも左派というわけではありませんでした。自立した個人が自由を求めて出来たのが国民国家であるという考え方を持ち、その市民主義的な国家をどのようにつくりあげていくのかが彼のテーマでした。

そのためか、福沢諭吉の研究でも知られるとおり、その意味で明治までの日本を評価していました。このへんは明治までの日本は良かったという「司馬史観」ともつながる話です。・・・というか司馬は丸山の影響を受けていたのではないかと自分は推測しています。なお、先日に発表された安倍総理による戦後70年談話は、明治までは良かったが、その後に道を間違えたという、見事に司馬史観を反映しています。

さて、その丸山はいわゆるコスモポリタニズムを無責任なものと断じていました。それはまずは国家があっての話だろうというわけです。丸山のような立場の人達はむしろ多数派だったようです。つまり国民として日本の平和を守るためには、その方が良いという判断です。東西冷戦真っただ中で目の前で朝鮮戦争が起きて、マッカーサーは原爆を使う寸前までいったのは、この60年安保のほんの数年前です。どちらにも与することがないという選択肢は、徒に空想的な理念ではなく、当時の政治的判断として現実的なものだったのではないかと私は思います。このへんは議論の余地がありそうなのですが、先に行きますが、このへんの詳細を知りたい人は、名著である『〈民主〉と〈愛国〉―戦後日本のナショナリズムと公共性 』を読んでみてください。

市民主義的な国家があって、そのうえでの安保反対というスタンスがこの60年安保闘争では主流ではありましたが、ところが全学連の新左翼は違いました。彼らは議会制民主主義ではなく、本気で革命のための動乱を起こそうと考えていました。自分はその是非はここでは問いません。ひとつ付け加えると、一方で自民党は暴力団と右翼を糾合させて国会前のデモ隊を襲撃させたりしていました。これも酷い話です。

国会に突入したりした全学連の新左翼もこれが勝てる戦いだと思ってはいなかったでしょう。彼らはこれを「革命的敗北主義」と呼びました。だが実態は無計画だっただけと言われても仕方ありません。国会への突入は、穏健な議会制民主主義路線を進めたい共産党や社会党はおろか、ほとんど全てのメディアに批判されました。ですが、その思想的なインパクトだけは残りました。そうです。思想的なインパクトだけです。

60年安保ではこれを進めていた岸内閣は退陣することになりましたが、政権交代後の衆議院選挙では自民党は296議席の確保しています。これが60年安保の議会制民主主義の結論です。何がいけなかったのか?そう内省する前に、思想的なインパクトだけが走り始めます。

 

その後の学生運動 -1968年からの3つの潮流

 

60年安保闘争は新左翼にとっては「敗北」と総括されました。確かに敗北でしょう。

ただ一概にそれが後につながらない敗北だったとは言えません。ここで市民が政治を動かすという理念に共鳴した人達は多かったはずです。これが、様々なリベラリズムを高揚させたということはあると思います。実際、自民党はこれ以降しばらく右派よりの政策を立てづらくなっています。しかし、それでも新安保条約は締結されます。これが良かったのか悪かったのか、それもまた別の議論ですので控えましょう。

さて、60年安保の「敗北」という総括から出てきたのが、より急進的な新左翼です。

1968年 (ちくま新書)彼らは「スターリニズム」としてソ連を批判します。このへんは日本共産党と同じですが、ここでより過激な闘争に映る過程で、トロッキーを信奉する人たちも出てきます。中核派や革マル派と呼ばれる人達はこの流れです。もともとソビエト革命の過程で権力争いで敗れて暗殺されたトロッキーですから、「トロッキスト」といえばもともとは単なる罵倒用語でしたが、ソ連に対するアンチとして、この時代には逆にトロッキストを自称する人が出てきたのです。

このトロッキーの思想の一番の特徴は「世界革命」です。社会主義というのは一国では成立しないので、ソ連とか中国というのは国家になってしまった堕落した社会主義である・・・というスタンスです。当時、チェ・ゲバラがキューバを離れて「国際的革命闘争」にコンゴやボリビアを転戦しています。ゲバラがキューバを離れたのはソ連に対する反抗でした。革命は一国では成就しない。当時のゲバラが残した言葉は世界中の左翼に伝わっていきました。「ひとつふたつと数多くのヴェトナムをつくれ」と。

こうして新左翼は日本を世界革命闘争のひとつの舞台として考えるようになります。ここでは国家主義は否定されるものとなります。議会制民主主義はいうまでもありません。トロッキスト以外もこの思想に近接していきます。

ですが、この闘争は学生たちの「反抗」という域を出ませんでした。それなのに事態は拡大し過激さを増していきます。1968年が学生運動の最盛期となります。テレビで見たことがあるでしょう、あの東大安田講堂の攻防戦はこの翌年1月のことです。

こういう時にありがちですが、より過激なスタンスが支持を集めていきます。そのうちの一部は本気で武装闘争を目指していきます。全く勝算はありません。しかし、運動自体が自己目的化し、教条主義の解釈を競うようになった彼らは止まることを知りません。もうこのへんは改めて語るまでもありません。大失敗になります。

新左翼運動は全く妄想としか言いようがない武装蜂起や国際的な連帯を目指して自滅します。現在細々と生き残っているのはトロッキストの末裔。すなわち中核派や革マル派などです。70-80年代に100人以上のヤクザの抗争顔負けの死者数を出して、やっと手打ちしたと推測されるのは90年代になってからです。

ちなみに、今、また分裂騒動になっている山口組の最大の内部抗争は山一戦争と言われています。この80年代の5年に渡る抗争では死者が27人でましたが、一方で中核(革労協)vs革マルでは74年からの5年間で52人の死者を出しています。思想をやっているやつらにはかなわんと、ヤクザがいうのもわかりますね(笑)

さて、この新左翼がこの武装闘争路線に失敗したのは、マルクス主義に欠陥があったという部分もあります。

1968〈上〉若者たちの叛乱とその背景 マルクスは賃労働者、彼らがいうところの「プロレタリア」は搾取される存在で、資本主義が発達すればするほど絶対的に窮乏化していくと考えていました。ところがそうはなりませんでした。学生運動がピークを迎えたのが1968年と書きましたが、この年、日本は西ドイツを抜いてGNPで世界第二位となりました。60年安保闘争で倒閣された岸の後を継いだ池田内閣は、所得倍増計画を立案しました。わかりやすく「月給二倍論」とも言います。これが完璧にあたります。なんと、60-69年にかけて10年間で4倍増となったのです。

これにより、彼らが言うところのプロレタリアは革命なんてどうでもよくなったわけです。まさに「現金」ですよね(笑)

そこで出てきた新左翼の理論は次のとおりです。

先進資本主義の国は、国内の労働者を搾取するのではなく、第三世界の安い賃金の人達を搾取することによって、国内の労働者を富ませる。つまり、日本の労働者も貧しい第三世界の人達を間接的に搾取しているというものです。これを現代の言葉になおすとずばり「反グローバリズム」です。

ただ、この時代の日本の左翼の理論だと、グローバリズムのために日本の労働者が貧困に陥るというものではありませんでした。実際、日本の労働者はこの時代どんどん豊かになっていくんですから。

そこで、この第三世界の人達や世界中の搾取されている人達と連帯して戦って世界革命を起こそうというものになります。

ここで崩壊した68年をピークとする新左翼運動は次の3つの方向に流れていきます。
すなわち

(1)武装闘争での世界革命路線を日本国内で目指しながら、実際は内ゲバを続けてきたトロッキストとその一派たち(中核・革マルなど)

(2)第三世界の貧困や差別されているマイノリティや抑圧されている人と連帯して革命を起こそうという人達(赤軍派とそのシンパ)

(3)心情的には(1)、特に(2)に理解をしめしつつも、議会制民主主義の中で自分たちのスタンスで個別の社会正義を目指そうという人達

(1)のうち中核派は市民団体をフロントに立てて、まだがんばっていらっしゃいます(笑) 革マル派は労組への加入戦術などで大きな影響力を保持しています(と思われます)。

たださすがにもはや68年に学生だった人達もすでに70歳という年齢です。もはや武装蜂起など考えられないでしょう。

(2)の人達が唱えたのが『窮民革命論』と言います。アラブ民族主義や民族的マイノリティと結びついて活発な活動をした時期もありました。当時の彼らが唱えたスローガンは「辺境最深部に向って退却せよ!」です。そうして彼らはパレスチナや沖縄やアイヌと連携します。そうした民族マイノリティの人達にとってこれは良かったところもあれば、却ってよくなかったこともあるでしょう。これも別議論になるので端折ります。

いずれにしても、豊かになった日本のブロレタリアートなどあてにならん!むしろ日本そのものが敵である!という理屈を70年代に打ち立てるわけです。正しく彼らは「反日」だったわけですね(笑)

ところで、これが不思議なのは、もともとマルクスもレーニンもトロッキーも、民族主義には批判的だったということです。なにせ「インターナショナリズム」ですから。彼らにとって宗教も民族も、抑圧されてきた人々がすがったもので、社会主義が始まればその必要がなくなる・・・ぐらいに考えていたのです。つまり、このへんで、ほとんど彼らの思想にはマルクス主義はなくなってしまっているのです。このへんは別項の『演歌というイデオロギー』をご覧ください。演歌という概念は、この彼らがつくりあげたものといっても過言でありません。

 

1968年の敗北主義の「勝利」 -心情左翼の陣地戦

 

さて、問題はこの(3)です。というか、実のところはこの議会制民主主義を否定して武力闘争やインターナショナリズムで革命をやろうということを70年代後半以降も考えていたのは極々少数派なのです。圧倒的な多数派は(3)でした。

この人達は高度成長の波にのって自分たちの職を得て、そして学生運動を昔のこととして平和な家庭を築いていきましたsim。彼らをこういう風に呼ぶひとがいます、つまり「心情左翼」。彼らは自分たちの暮らしのために議会制民主主義は尊重し、空想的な革命は現実主義の裏側に隠しました。

 

おかあさん革命は遠く去りました
革命は遠い砂漠の国だけです

『毒虫飼育』黒田喜夫

そうして企業戦士となって高度経済成長に乗り、バブルを演出したのはこの世代です。だが、彼らは心の中では窮民革命論やインターナショナリズムにはシンパシーを抱いてきました。もちろん自民党には批判的です。夕刊ゲンダイ的な価値観ともいえるでしょうか(笑)

この人達は、革命が云々というのはもう言いだしません。それを追うのがどれだけ非現実的なことかわかったからです。

グラムシ思想の探究 --ヘゲモニー・陣地戦・サバルタン (21世紀叢書)そうして、彼らは自分のポジションや生活の場で、小さくとも正しいと思われることを彼らなりに追及するようになります。

左翼の用語では、これを「陣地戦」といいます。「国家権力」の転覆をめざし、警察・軍隊・官僚機構と武装闘争の末に革命を起こすような時代はもはや遠く去ったわけです。それよりも、個別の社会正義のために思想を問わずにそれぞれの場でケースバイケースで連帯していくことを彼らは選択します。

1968年の学生運動は敗北だったけれど、実はそれから30年以上も日本を動かしてきたので、実質勝利である・・・というのは、すが秀実の主張(『1968年』 )です。

確かにそういうところはあります。右派の跳梁を長らく抑えてきたのは、これらの人達の世論があったからです。また日本社会の様々なところで、社会正義が実現されてきたのも、かなりの部分が彼らの手によるものと考えてもいいと思います。一方で右派サイドからすれば、これは目の上のたんこぶであり続けてきたわけです。よくネトウヨの皆さんが、メディアはサヨクに支配されているというのはコレのことですね(笑)

いずれにしても、新左翼の運動の結論は、革命を放棄して議会制民主主義の中で豊かな生活を目指しながら社会正義を実現するというのところが生き残ったのです。これは今でも大きな勢力でしょう。帝国軍にいったん負けながらも、連邦軍とともに辺境からのゲリラ戦をするジェダイの騎士みたいなものです。カッコよく言えばですが(笑)

以上で1955年から90年代くらいまでの左翼史のおさらいです。長くてすみませんでした・・・。

マルチチュード 上 ~<帝国>時代の戦争と民主主義 (NHKブックス) ちなみに、もうひとつ90年代以降に出てきた潮流として、新左翼とは断絶しながらも、国家と議会制民主主義を否定してインターナショナリズムをやろうとする左派もあります。

ゲリラ的に資本主義を否定していく「闘争」をする「アウトノミア」という運動です。90-00年代に元気だった高円寺系左派の人達がこれです。

また新左翼が唱えていた『窮民革命論』は、後にかなり近い考え方で「マルチチュード」と装いを新たになり、世界的な流行になります。

ただしこの二つとも自分から言わせれば、まだ実効性は非常に低い状態です。これからこの思想は煮詰められていくでしょう。

小難しくなると書いてるこちらも面倒なので、またもや端折ります。いつかまたまとめて書くこともあるでしょう。

 

安保反対勢力は中国のまわしもの?

 

さて、ここまで長々と日本の1955年以降の左翼史を振り返ってきました。

整理しましょう。

左派を大きく分けるのは、国家と議会制民主主義を肯定するのか否定するのかというところです。

マルクス主義は基本的に否定します。そしてこれを否定する根拠に「前衛主義」というものを使いました。

共産主義は正しい。それが歴史の法則である。それがわかっているのは私達「前衛」だけである。大多数のわからない人たちは、この前衛が率いていく必要がある・・・というのが前衛主義です。前衛というのはシステムとしては「党」ということになります。一党独裁とはこうやって出来上がるわけです。そして、この前衛主義の成れの果てが中国や北朝鮮です。また連合赤軍事件のようなものは、内在的にこのへんが影響しているのではないかとも思います。

そして、これまで見てきたとおり、日本では新左翼の人達がこの前衛主義に該当します。

日本共産党の研究(一) (講談社文庫)
一方で、本来は前衛主義だった日本共産党は、これまで見てきたとおり、1955年から議会制民主主義に転じました。これは今後動くことはないと思いますが、一応「敵の出方」というスタンスは残っているようです。ようは「敵」である体制が自分たちを弾圧してきたら、また武装闘争に戻るということですね。ただ、こうなることは考えにくいでしょう。

社会党は事実上なくなってしまいましたが、もちろん今ある左派と目される政党は議会制民主主義を擁護します。当たり前ですが。

新左翼が分解して、その多数派となった心情左翼のみなさんも議会制民主主義です。

そうすると、日本の左派の中には現在議会制民主主義を否定するような危険なサヨクは、もう細々としか残ってないわけですね。たぶん、あと10年くらいで死滅してしまうでしょう。もうお年ですから。

現在、国会前で安保法制反対のデモを行っている数万人の人達も、議会制民主主義が前提です。よって、新左翼とは完全に方向性が違うわけです。

ひとつ付け加えておきましょう。安保法案に反対しているのは中国や北朝鮮のまわしものだという陰謀論についてです。

これまで見てきましたね。日本共産党は60年代から中国共産党と距離を置いています。文革当時、喧伝される「若者の革命」の暗部は、この日本共産党から伝わってきました。一方、新左翼は米中接近したあたりから、資本主義の走狗として中国共産党を否定しています。

北朝鮮については、日本共産党が対立してきたことも書きました。今でも仲は極めて悪いです。

新左翼のうち赤軍派が北朝鮮にハイジャックで行ってますが、あれはほとんどあそこにしか行くところがないという話で、国家社会主義のスターリニズムの失敗社会主義国家という新左翼側の規定から外れたところの話です。

つまり、中国や北朝鮮の回しものという話は、このへんの事情がわからない人が流している陰謀論にすぎません。陰謀論、本当に面倒くさいですね(笑)

それでも昔の社会党は極めて怪しい・・・とは言えますが、これもまた別項にて。

 

帰ってきた丸山眞男 -復権する市民ナショナリズム

よくネトヨウ筋のみなさんが、国会前のデモを見て新左翼の過激派ガーみたいなことを、この方々に言いますが、これまで見てきたとおり、これは大きな間違いです。さらに、これらの反原発から、途中に秘密保護法反対と、現在の安保法制反対に至る潮流を「新しいムーブメント」という人もいます。これはある意味で当たっていますが、基本的にはハズレです。

NO FUTURE―イタリア・アウトノミア運動史ある意味あたっていると書いたのは、現在の国会前のデモの中心の人達が、00年代までの左翼運動とほとんど断絶していることです。

自分は2003年前後のイラク派兵反対のデモに顔を出していましたが、これは今考えるとまるっきりオールド左翼(政党や新左翼のフロント団体等)のデモのやり方でした。変わったのは、もちろん3.11の反原発の官邸前抗議からです。

ここでさらに切断がおきます。渋谷でナイキパークの建設反対運動をしていた人たちや麻生邸見学ツアーのようなものを行ってきた、自分の言うところの高円寺系アウトノミアが、この反原発の方針を巡って切り離されます。これにはもちろん人間関係の累積や、反原発の運動に右派をいれるか(民族派右翼が共闘していました)などもありますが、なんといっても、国家と議会制民主主義に対するスタンスが抜本的な問題だったのではないかと思っています。アウトノミアの皆様は、革命フェティシズムが強い。権力と戦う!というのを現実性無しに振り回すタイプが多すぎるのです。現実解決能力が著しく低いと言わざるを得ません。これは世界のアウトノミアの共通傾向です。

後述する反差別運動のしばき隊界隈の人が、彼らを「ヘサヨ」というのは、これが原因です。ちなみに勘違いしている人もいますが、新左翼の人達をしばき隊界隈の人は同じく排除してますが、これは「ヘサヨ」とは言いません。なにせ、彼ら気合い入って何十年もやってますからね(笑)

ただ、新しいという意味では、アウトノミアの人の方がより新しい。スタイルとしても斬新なところがありましたし、これはこれで00年代には説得力があったわけです。

それに比べて、むしろ国会前の思想は古い。新左翼のように議会制民主主義を否定もしないし事実上追認しているうえ、アウトノミアのように反権力でもなく、むしろ議会制民主主義を肯定しながら特に組織の力も借りずにやるというのは、60年代のベ平連(ベトナムに平和を!市民連合)に近いスタイルです。

国会前のみなさんは、やたらとキーワードに60年安保が出てきて、これを目標にしているようですが、あれのコアは議会制民主主義否定していて、大学自治会にベースにした新左翼全学連がコアになっていますので、少し違います。また、あそこを目指すべきではないでしょう。

また丸山眞男も彼らの有力な思想の参照元になっているはずと目星を付けていたのですが、SEALDSの皆さんが彼の活動を理解するうえで読むべき推薦図書みたいなものをあげていた中に、丸山眞男が入っており、やっぱりということになりました。つまり彼らの方向は、既存左翼路線から脱した市民ナショナリズム=保守リベラルなのです。

丸山は、新左翼の思想とは全く相反していました。国家を前提とした市民主義は、むしろマルクス主義者にとって打倒すべきブルジョアの思想だったからです。ですので、丸山の思想は新左翼にとって、悪しき「戦後民主主義」の象徴となりました。

若者を見殺しにする国 私を戦争に向かわせるものは何か「丸山眞男」をひっぱたきたい–31歳、フリーター。希望は、戦争。』という赤木智弘による素晴らしい論文があります。これが発表された当初、赤木は右派的志向の持ち主とみなされ批判されることがありました。もちろんそんな話ではないのです。

戦争中、インテリ学者として当局に目をつけられ、二等兵で召集された丸山は、低学歴の貧しい農村出身の上長や古参兵にいじめ抜かれました。これを高学歴アカデミズムに対する反知性的な下剋上だったのではないかというのが、赤木の主張です。この下剋上は戦争のみが可能にする。そうすると学歴も収入もいったんリセットされる。

なるほど、徴兵制の軍隊を「疑似デモクラシー」と呼ぶ人もいます。徴兵制の下では、いったんすべての人間は兵士としての素質のみで判断され、平等になるからです。

そして、それは格差社会が広がるなかで、そのデモクラシーは戦争が起きないと実現されないのではないかという考えをもとに、鬱屈が溜まったひとたちは戦争を希求するという考えです。こうして右傾化していくというわけですね。もちろん、そうならないためにはどうしたらいいのかという主張を裏に携えているのが、この赤木の論文です。

その丸山は、敗戦直後の「戦後民主主義」のなかで華々しく登場し、しばらくはその市民ナショナリズムの思想は光を放ちます。ところが、今度は新左翼に攻撃されます。そんなのは国家主義にすぎないではないか、というわけです。そして、彼らもやはり戦後民主主義を否定するために、丸山を「ひっぱたく」わけです。それはマルクス主義という名の知性のように見えて、実は極めて反知性的な下剋上です。丸山眞男、ひっぱたかれてばかりですね(笑) でも彼は戻ってきました。

その丸山のいわば復権の意味するところは明らかです。議会制民主主義と国家主義の肯定です。

 

市民ナショナリズムとは何か -反差別の「愛国主義」

 

こうして、現在の国会議事堂前では、3.11以降に入ってきた人達によって人員リソースがつくられたという意味では新しく、しかし議会制民主主義と国家主義を肯定する思想という意味で、古いということになります。そして、それはアウトノミアや新左翼とも切断されている。

ただ、こうしてみるとひとつ否定できない事実があります。つまり、この主張は日本共産党と同じなのです。そのためネトウヨ筋のみなさんが民青(日本共産党の青年組織)ガーというようなことを言っています。この国会議事堂前のデモの主催者とされるSEALDSを指して「志位るず」と揶揄しているのもありました。面白いです(笑) そしてこれは実際そういうメンバーもいるでしょう。まるっきりそうとは思いませんが。実際は無党派層の左派リベラルのコラボというのが実態なのでしょう。

それと、「国家主義の肯定」が特徴と書きましたが、これはこっそり追認しているという方が正しいでしょう。おおっぴらにはナショナリズムは出していません。このへんは左派としては打ち出しにくいからでしょう。私みたいに嫌がる人いますからね。ここは60年安保闘争との大きな違い。また、国家主義というと誤解を招くかも知れません。市民ナショナリズムといってもしっくりいきません、が、そういうようなものを目指しているというのは間違いないと思います。

ヘイト・スピーチに抗する人びと 「しばき隊」という反差別運動がありました。この運動はいろいろな意味で画期的でした。なにが画期的かというと、従来の反差別運動がマイノリティの側から行われていたり、それに連帯する形で行われていたのに対して、別の方向性を打ち出したからです。

前者のマイノリティが自ら行う反差別運動は民族主義と親和性が高く、難しい言葉でいえば遠隔地ナショナリズムと三者関係モデルの摩擦を生み出しやすい性質を持ちます。これについては「朝鮮学校無償化除外問題にみる遠隔地ナショナリズムのゆくえ」をご覧ください。

後者はそのマイノリティと連帯して行う運動で、前述の『窮民革命論』を思いだします。もちろんこれもアリだと思います。

ところが、それを前提にしばき隊が主張したのは、「自分たちは必ずしもマイノリティのために反差別を唱えているわけではない」という理論でした。これはどういうことかといえば、ようするに市民ナショナリズムです。「市民」というのはもともと民族や宗教を超越した存在で、それがフランス革命の理念でした。国家と契約する人達はすなわち市民であるというものです。さらに市民概念が拡張されるにつれ、国籍と市民というのは別概念とみなされることが多くなってきています。その国に居住する人は市民であって、その全体がひとつの国家を形成するというのが、欧州の考え方です。日本はドイツのような血統主義的で民族的ナショナリズムしか知りませんので、これがピンときません。

マイノリティのために反差別の運動をするのではなく、国家のために市民主義を貫く、それが結果としてマイノリティのためにもなるし、健全な市民社会を維持することで自分たちのためにもなるという考え方です。

ナショナリズムというと、それだけで否定的な反応を示す人がいます。かくいう私も実はそうなのです(笑)  が、ここは人の話をしているので、それは置いて続けるとしましょう。

ナショナリズムとは何かといえば、それはリベラリズムの結果として出来たものです。その国の民衆がその国の責任を持つ。国家の主人は民衆である・・・というのがナショナリズムの原型です。この概念はフランス革命で出てきたものです。その成員についてはいろいろな考え方があります。ドイツではフランス革命の影響を受けて、これに「民族」という概念をミックスさせました。日本はこちらを明治期に主に参照して国家制度を構築しました。 だからわかりにくいのですが、そもそもナショナリズムとは民族や宗教を超越したものなのです。しばき隊の市民ナショナリズムはこれです。これを保守リベラリズムと言い換えてしまってもいいでしょう。

しばき隊はやはり反原発界隈から出てきた人達がつくりあげたものです。そこに、陣地戦の概念で個別の社会正義を実現したい人が集まった。それは左右混淆のものでした。これも古いコンセプトをリニューアルした概念です。丸山眞男のリバイバル的コンセプトと言えます。実際に、しばき隊とその周辺のアクティビストのかなりの部分が民族派の新右翼でした。

 

ファシズムとはリベラリズムが進化したものである

それではそろそろ国会議事堂前に戻りましょう。

デモは最初から敗北主義だと言いました。もちろん違う種類のデモもあるでしょう。独裁体制の民主化デモなどはそうですね。

ですが議会制民主主義がキチンと機能しているのではあれば話は違います。

仮に今回安保法案が通ったとすれば、どうすればいいのか。次の選挙でひっくり返してこの法を廃棄すればいいだけです。

この民主主義的な道理を理解していない・・・わけないですよね。国会前の彼らもわかってます。では、それが難しいと思っているんじゃないでしょうか。そうすると、これを止めるには議会制民主主義をひっくり返すしかない。60年安保で国会に突入した新左翼のように。それとも「前衛」を集めて武装闘争しますか?しかしそんなつもりはないでしょう。国会前の皆さんも議会制民主主義と国家は前提です。

国会前のみなさんのなかには、現政権を指して「ファシズム」という人がいる。自分は必ずしもそうは思いませんが、実際にそうだったとしましょう。

そうすると、まだマルクス・レーニン主義の革命フェティシズムに染まっている人は、権力を倒せという。国家は一部の人に支配されていると思いこんでいるからです。

しかしファシズムというのは一部の人が大多数を支配するようなものではないのです。議会制民主主義の果てにファシズムがあります。リベラリズムの結論が18世紀にはナショナリズムで、それをさらに突き詰めたのがファシズムです。

ファシズムの正体とはそこいらにいるオッサンオバサン有権者のことです。

スーパーで野菜が高くて困るとか、ダンナの給料の上がり下がりに一喜一憂したり、ランチの値段を比較しながら美味い店を探して昼休みにオフィス街をうろついたり、ヤフーニュースを読んで単純な義侠心から韓国けしからん!と思っていたり、中国の株式市場の動向を不安そうに見つめていたり、ニッポンは外国でこんなに評価されているというテレビを見てちょっと嬉しくなったり、3.11の後に自民党じゃなきゃやっぱりダメだと民主党から鞍替えしたりする人です。国会前でまた左翼が騒いでいると思っている人もそうです。

議会制民主主義を肯定していくならば、このオッサンオバサンたちを味方に引き入れるしかない。それに国会前の敗北主義がプラスになるかならないか。問題はそこの部分なのです。

 

「最後に笑うものが最もよく笑うものだ」

 

すでに見てきました。60-70年代の新左翼の前衛主義(少数派でも正しいことを言っている自分たちが正しく、わからない人たちを先導していくという考え方)は大失敗しました。だが、陣地戦に入り、自分の生活範囲内で地道に活動してきた無党派は確実にリベラルとして存在し、勢力として今でも強いです。

ここで負けても実は最後には勝っている・・・それを目指すのが敗北主義です。議会制民主主義を肯定するならばそれは当たり前の態度です。よって負け方が次につながらないといかようにもならないのです。

復刻 人しれず微笑まん―樺美智子遺稿集

「最後に笑うものが
最もよく笑うものだ」と
でも私は
いつまでも笑わないだろう
いつまでも笑えないだろう
それでいいのだ
ただ許されるものなら
最後に
人知れずほほえみたいものだ

『人しれず微笑まん』から「最後に」 樺 美智子

 

はたして最後に笑うのは誰でしょうか。

 

 

内閣支持率46%に回復、70年談話「評価」42% 本社世論調査不支持40%

日本経済新聞社とテレビ東京による28~30日の世論調査で、内閣支持率は7月の前回調査から8ポイント上昇し、46%に回復した。不支持率は10ポイント低下して40%。7月は2012年12月の現在の安倍政権発足後、初めて支持と不支持が逆転したが、8月は再び支持が上回った。

内閣支持率が上向くのは4カ月ぶり。支持、不支持とも6月とほぼ同じで、7月の安全保障関連法案の衆院通過を巡る混乱の影響は続かなかった。

安倍晋三首相の戦後70年談話を「評価する」は42%で「評価しない」の33%を上回った。自民党支持層の64%、無党派層の26%が「評価する」と答えた。

日経新聞2015.8.30 (国会前デモ当日)

 

思い起こすべきなのは、60年安保の発効直後の衆議院選、自民党は296議席。もっとも学生運動が熾烈だった69年の衆議院選では288議席。これが60年安保や新左翼の学生運動の敗北主義の結末です。考えるべきは、ホリエモンに言われるまでもなく、敗北主義に酔って自らの変革を目指さないほうでしょう。

 

 

 

呼子と口笛 最後に以下を国会前の若いみなさんに送ります。

此処にあつまれる者は皆青年なり、
常に世に新らしきものを作り出だす青年なり。
われらは老人の早く死に、しかしてわれらの遂に勝つべきを知る。
見よ、われらの眼の輝けるを、またその議論の激しきを。
されど、誰一人、握りしめたる拳に卓をたたきて、
‘V NAROD !’(民衆のなかへ)と叫び出づるものなし。

はてしなき議論の後(二)」 石川啄木

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