『エアインタビュー』問題の本質 -サッカーメディアは「エンターテインメント」か「ジャーナリズム」か

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台風は去ったのに、サッカーメディア業界のごくごく端くれにいる筆者のまわりはいまだ暴風域である。なんのことかといえば、現在、ネットを騒がせている『エアインタビュー』問題である。

詳細は以下のサイトをご覧いただければわかるのだが、背景も含めて、まずはざっとあらすじだけまとめてみる。

 

『エアインタビュー』告発キャンペーン

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「サッカー専門誌「エア取材」横行か――作家の検証と告発」 より

 

フットボール批評issue12 今年の春、『フットボール批評』誌にて、海外サッカー雑誌のインタビューのかなりのものが、実際はインタビューしてない『エアインタビュー』などではないかという疑惑が記事になった。

現在、海外のビッグクラブでは選手や監督のインタビューなどに制限がかかっていて、そもそもこれが問題になっていたのにも関わらず、日本のサッカー雑誌は、次々と大物サッカー選手の単独インタビューをとってくる。しかも独占記事である。これはおかしいのではないか、ということで『フットボール批評』誌からこの疑惑の追及キャンペーンが始まったのだ。

ザ・キングファーザーこの疑惑の追及を続けている田崎 健太氏は、『真説・長州力』や『勝新太郎伝』などを手掛けるノン・フィクション作家であるが、サッカー関連の仕事も数多い。私は、三浦カズの実父である、納谷宣雄氏に密着した『ザ・キングファーザー』で初めてその仕事に触れたのであるが、正直言って、深く対象に食い込むパワーに圧倒された。近著では電通とFIFAの癒着ともいえる関係に迫った『電通とFIFA サッカーに群がる男たち』がある。

一方、この特集を組んだ『フットボール批評』は、業界屈指の硬派のサッカー雑誌で知られる。日本のサッカーメディアが決して触れようとしないテーマに食い込んでいくジャーナリスティックな切り口で評価を得ている。

例えば、今月号の『フットボール批評』には、「サッカーメディアに蔓延する捏造記事」と題して、本件エアインタビューに関して、田崎氏とやまもといちろう氏の対談が掲載されている他、Jリーグのクラブライセンス制度が、クラブの経営や人事までに介入する悪しき権力を生み出しているという批判記事を木村元彦氏が書いている。これは、日本サッカー協会やJリーグなどの批判記事はほとんど目にすることはないサッカーメディアの中では異色のジャーナリスティックな記事だ。これが『フットボール批評』である。

この『フットボール批評』、もともとは『サッカー批評』の編集を受け持っていたカンゼン社が、その『サッカー批評』の編集を外れてから立ち上げた雑誌だ。現在は双葉社が『サッカー批評』の編集を自ら行っている。そこには様々な事情があるようだが、ここでは触れない。現在、『フットボール批評』と『サッカー批評』が同じ版型で同じ「批評」というタイトルを冠して並んでいる。

この『フットボール批評』にエアインタビュー疑惑の記事が最初に掲載されたのは春からなので、もう半年近く時間が経過している。これが今週になって、ヤフーのニュースに田崎氏の告発記事として掲載された。ここで、いわゆる『炎上』となったわけである。げに恐るべきはヤフートピックスの破壊力である。

さて、このエアインタビュー疑惑のターゲットになったのは、もともとカンゼン社が編集していた『欧州サッカー批評』、それとこちらは別の会社がそれぞれ発行している『ワールドサッカーダイジェスト』『ワールドサッカーキング』である。

たぶん、流れはこういうことになるのではないだろうか。カンゼン社が『サッカー批評』の編集から外れたとたんに、海外有名選手のインタビューが次々と掲載されるようになった。前述の通り、欧州サッカーのビッグクラブの広報方針が年々厳しくなるなか、手を尽くしても取材申請が下りない選手がなぜこうもやすやすと独占インタビューがとれるのか。さらに、よくよく見てみると、これは『欧州サッカー批評』ばかりではない。これはおかしいのではないか・・・と。

そこで田崎氏が調査を開始する。その結果、やはりおかしい。事情を知る関係者に聞いても不自然だ。それがこのキャンペーンとなるわけだ。

『ワールドサッカー批評』の双葉社は、これに対して、早くから「取材ソースは明かせないが実際に取材を行っている」との回答をしているが、重ねてBuzzFeed Japanの取材に対しては「法的処置も検討している」と答えてもいる。これは今年の3月のことである。  しかし、それから『フットボール批評』の記事捏造告発キャンペーンは続いているのだが、現在までその「法的処置」は取られていないようだ。なお『ワールドサッカーダイジェスト』は本件に関して沈黙を続けている。

 

取材ソースを明かした反論の妥当性

 

こういう状況のなかで、ヤフーでの『エアインタビュー』の記事が出て、はじめて一般の方々を巻き込んだ『炎上』となり、告発されていたもうひとつのサッカー雑誌『ワールドサッカーキング』が、その編集長によるコメントを出したわけだ。ここで事態は混沌とする。

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この反論のポイントは以下のとおりとなる。

・取材はそれぞれ現地の信頼できる記者によって行われている。

・本来、ニュースソースはメディアの生命線ではあるが、今回は疑惑を晴らすために公開する。

あくまでも『サッカーキング』に関してはだけは、このように取材ソースが公開されたのである。これをもってして、「エアインタビュー」疑惑が晴れ、かつ取材が足りないのは、むしろ告発キャンペーン側ではないかという反論がなされている。

しかし、実際そのようなものなのだろうか。

この反論をよくよく読むと、残念ながら、結局は「インタビュワーが信頼できる人物なので大丈夫」という答えにしかなっていないの気づく。

もちろん、この歯切れの悪さにも理由はあると思う。これは各社が本当にインタビューしたとしても、大っぴらに回答しづらい理由でもあろう。つまり、別に広報やエージェントを通さないで個人的な関係でインタビューしてそれを記事化することもあるということだ。実際、前述の反論記事によると、『サッカーキング』は本来であるならば正規のルートを通さなければならないメッシのインタビューを、この手法で掲載して、日本での権利元からののクレームに対して結局は引き下がって、単独のインタビュー記事から、選手のコメントから構成した記事に変更している。

いちいち許可が出るかも出ないかわからないインタビュー申請に頼るよりも、各クラブについている、いわゆる番記者にほぼ日常レベルで聞いている話を「インタビュー」としてしまったほうがいいというわけである。確かにそうであるならば、エア疑惑をされている他の媒体も、取材ソースを明かすことは難しい。それがクラブやエージェントの許可を得ていない場合もあるからだ。

しかし、これを敷衍して言うならば、これらの「インタビュー」のソースを明かさないというのが隠れ蓑になることもあるということだ。正直言って、海外サッカー界というのは魑魅魍魎が入り乱れている世界である。実際、これでインタビューがエアだったというのは過去にいくつか事例がある。だから、取材源を開示できないというのは、やはり信憑性という部分で、読者の判断に委ねるしかないことになる。

 

取材ソースの信憑性の担保

 

あの頃ペニー・レインと (1枚組) [DVD] 『あの頃ペニーレインと』という映画があった。ロックの話だが、同じエンターテインメントとして参考になると思う。ローリングストーン誌で仕事を得た音楽ライター志望の青年が、とあるバンドのツアー同行の独占記事を書く。それを手にした編集部は、録音テープがあるのかを問いただし、そのうえで記事チェック担当者はバンドのマネージメントにまでその事実を確認する。その映画ではツアーの途中に本当にあった飛行機墜落寸前のアクシデントをバンドのメンバーが否定してしまったため、青年の記事はボツになってしまう。

ようするに、ローリングストーン誌は掲載するインタビューがエアであるかないかを編集部がひとつひとつ確認しているということだ。

このようなケースを鑑みると、信頼できる実績があろうとなかろうと、取材の事実を確認できないのならば、残念ながら甘いのではないかといわれても致し方ないと思う。そして、これに対して読者がこれはエアではないかと疑いの声をあげることは正当な権利であろう。さらには、その読者に変わって、別のメディアがその疑問を追及していくのもこれまた真っ当なことである。

さて、これまでの話を整理して本件を考えるにあたって、以下のような3つのステータスを設定してみる。

(1)そのインタビューは本当に行われたのか
(2)それはインタビュイーの利害関係者も含めて権利関係をクリアしているものなのか
(3)読者に対して、そのインタビューがどのような種類のものなのかを説明してあるものなのか

今回のエアインタビュー疑惑は、この(1)について疑義を呈している。

そして、それに対して『サッカーキング』の回答は、(1)は事実であるが、(2)はグレー(もちろんまがりなりにも「報道」なのだから、これらの権利を無視することも可能である。ただしこれにより取材先との関係は悪化する)、そして(3)については口を濁すというところなのではないだろうか。

「ジダン本人とマンツーマンでインタビュー取材をした上で、ボリューム的に足りないところを、囲み取材及び記者会見のジダンの言葉から補足している」

と『サッカーキング』側は反論の中で触れているが、もしこれが事実だとしたら、いくら基本がマンツーマンのインタビューだとしても、それに囲み取材、ましてや記者会見の言葉まで入れ込んでしまったら、それは構成されたもので「インタビュー」とは言いづらいし、文脈に沿って質問の一連の流れを読みこんでいくだろう読者の期待を裏切っていることになる。言わずもがなだが、囲み取材は単独インタビューではないし、記者会見は「インタビュー」という言葉に該当しない。

わかりやすく例示すると、日本のJリーグの選手のインタビューと称した記事に、記者会見のコメントが混在していたら、読者はすぐにそれに気づき、物議を醸すだろう。海外選手のインタビューにこれが許されているのは、ただそれは言葉が通じにくいという環境を逆手にとっているだけのことだ。

これにより上記の反論を踏まえてなおも「エア」だと言われる余地は残念ながらあるのではないか。

 

 

サッカーメディアは「エンターテインメント」か「ジャーナリズム」か

 

さて、この問題は、結局は日本のサッカーメディアが、ジャーナリズムなのか、それともエンターテインメントなのかという、そもそも抱えていた問題に行きつくのではないだろうか、というのが筆者の考えである。

取材源を秘匿し、権利元も知らないルートをもとにコメントを取るというのは、それはそれで十分にジャーナリスティックなことではあるが、もしこれを『あの頃ペニーレイン』でのように、インタビュイーや権利元が知らないと言ってしまえばどうなるだろうか。また、記者そのものがエアをしている可能性は、いくら信頼しようしてまいが、読者の側からは否定できない。

以前、くだんの『サッカー批評』がカンゼン社が編集していた時代、サッカーメディアの編集長クラスによる「サッカー界におけるジャーナリズム」というテーマの座談会で、『サッカーキング』の反論を書いた岩本氏は、自身のサッカー誌の編集方針が「ジャーナリズム」でなくともよいということを断言していたことがある。

実際、そのメディアはエンターテインメントとしてのサッカーが編集方針であり、そこには批評性というようなものは排除されている。これは別に『サッカーキング』に限らない。ほとんど全てのサッカーメディアのほとんどがそうなのだ。先に、『フットボール批評』のJリーグのクラブライセンス制度の悪しき権力化についての扱った記事に触れたが、こういう真っ当な批判がサッカーメディアが本格的に扱っているのはほとんどない。クラブに対する批判もほとんどない。もちろんジャーナリズムの世界ならばよくある、メディア同士の批判もない。

ところがジャーナリズムの側は批評精神がなければならない。その批評精神が空回りにしないように「インタビュー」というのはこういうものだという倫理がある。取材ソースに対する考え方もしかり。もちろん言った言わないでトラブルになる現実的な理由があるが、ライターすら全面的には信用されてはいない。

一方、スポーツというエンターテインメントメディアの考え方であると、記事は、読者のニーズと取材先とのパワーバランスでつくられるのが当たり前のことだ。芸能メディアではもっとこれが極端だろう。架空のインタビューなどたぶんざらにあるのではないか。もちろん本人も含めた利害関係者がそれでよしとしているからだ。

今回のエアインタビューにしても、掲載したメディア側はいかようにでも善意の第三者となることはできる。それはインタビュアーがあげてきたものだから信じるしかない、という理屈だ。しかし、それを読み手から真実ではないのではと言われてもそれは仕方がないことだ。その判断はただ読者に委ねられることになる。

サッカーメディアが、エンターテインメントなのか、それともジャーナリズムなのか、たぶんこの『エアインタビュー』疑惑があるのは、その認識の差が根底にあるからだろう。そして、その差をどう理解するかは、ただ読者の権利となる。その読者が望むならば、疑惑の追及もまた当然の権利となろう。それがそのメディアにとってマイナスになるならば、あらかじめ疑惑がかからないような誌面をつくるしかない。もちろんその疑惑や批判をものともしないということも、また自由である。こちらも読者次第である。

 


 

最後に。

この「エアインタビュー」の疑惑についての議論の正否とは別に、本件に関わるどこそこのメディアとはつきあうなというような話が、出入りする業界関係者に伝えられているとも耳にする。これが事実であるとすれば大変残念であるし、関係者にとって迷惑な話である。そしてフェアではない。法の話を持ち出すのも野暮で無粋な話だが、それでもいわせてもらえば、「独占禁止法違反」ですらある。こちらについては本題とは別に特に記しておこうと思う。

 

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