-->サッカーにおける差別事件の根底にあるもの -Jリーグ黒人選手への差別ツイートについて - Football is the weapon of the future フットボールは未来の兵器である | 清 義明

サッカーにおける差別事件の根底にあるもの -Jリーグ黒人選手への差別ツイートについて

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ガンバ大阪のパトリック選手に対して、差別ツイートが書き込まれたことが波紋を広げている。

 

 28日に埼玉スタジアムで行われたサッカーのJ1リーグチャンピオンシップ準決勝の浦和―ガンバ大阪戦に出場して1得点したガ大阪のパトリック選手のツイッターアカウントに、浦和サポーターを名乗る人物から「黒人死ねよ」と書き込まれた。ブラジル人のパトリック選手はチームの通訳に頼んでツイッター上で「まさかこの国でそういう目に遭うとは思いませんでした。私や私の家族を傷つけました」と日本語で応じた。

ガ大阪によると、ツイッターのアカウントはパトリック選手本人のものだという。浦和の広報担当者は「差別は断固として許さない。どのような人物がどのような目的で書き込んだかは特定できないが、引き続き情報収集する」と話している。Jリーグは両クラブと連携して対応を検討している。

朝日新聞

 

この日Jリーグチャンピオンクシップの準決勝 浦和レッズとガンバ大阪の戦いがあった。この試合で延長後半にガンバの勝利を決定づける得点を決めたのは、このパトリック選手だった。

差別ツイートの書き手は、浦和サポーターを名乗っていた。この日の活躍に対して、差別ツイートを腹いせに書きこんだというところだろう。

これに対して、サッカー界の反応は早かった。

 

 

サッカー界のアクションはなぜ早いのか -欧州基準の人権思想

 

まず、この日の試合で敗北した浦和レッズの公式サイトは、いち早く「SNSにおける差別的な投稿について」として浦和レッズのこの問題に対するスタンスを明らかにしている。

発信者がどのような人物で何を目的に書き込んだかは特定できませんが、浦和レッズは差別を絶対に許しません。
昨年には、国際サッカー連盟(FIFA)総会の決議を尊重し「人種、肌の色、性別、言語、宗教、または出自などに関する差別的あるいは侮辱的な発言または行為を認めない」とする差別撲滅宣言をしました。

浦和レッズは差別を断固として許しません。
今後とも、サッカーファミリーの一員として、差別撲滅に向けた取組みを進めてまいります。

浦和レッズ公式サイト

 

ガンバ大阪の公式サイトもこれに続いた。

 

昨日開催されました、明治安田生命2015Jリーグチャンピオンシップ vs浦和戦の試合終了後に、弊クラブ所属・パトリック選手のSNSのコメントに対して、差別的な発言がありました。

Jリーグは「差別や暴力のない世界を」のスローガンをもと、人権啓発活動を行っております。
そして、ガンバ大阪も人権問題に関する啓発活動を日頃から行っている中、このようなことが起きたことは非常に残念でなりません。

ガンバ大阪は、いかなる差別的な行動も絶対に許すことはありません。

ガンバ大阪公式サイト

 

日本サッカー協会の田島幸三副会長も次のように述べている。

事実だとしたら、本当に情けなくて悔しい。どんな民族でも人種でも大切にし合おうとここ数年取り組んできたので、悲しく残念だ。

ハフィントンポスト

パトリック選手の所属するガンバ大阪のファン・サポーターのみならず、サッカーファンの非難の声も集中した。浦和レッズは当該のツイッターアカウントについて情報収集するとした。

このためか、このアカウントの主は、本日30日になって、謝罪をしたいということで姿を現したという。高校生だそうだ。親に付き添われて学校にやってきて、これを告白したそうだ。

 

私が最初にこの話を聞いて、アカウントの主の書き込みやプロフィール内容を確認して、最初に思ったのは、このアカウントの主が、浦和レッズの試合に熱心に通うようなサポーターではないということだった。

「浦和レッズのサポーター。でもマリノスとジェフも好き」がそのプロフィールに記載されているのだが、このようなことは、普通のサポーターは決して書かない。ライバルチームも好きだなどということはおおよそサポーター的な風習でいえば「ご法度」である。せいぜい最近になってサッカーに興味をもった「ファン」であるというステイタスぐらいだと、サポーターならすぐにわかる。

よって、むしろこの話でとばっちりなのは浦和レッズと、この高校生と同類として扱われてしまった浦和レッズのサポーターであるといえる。

ご承知のとおり浦和レッズは、“JAPANESE ONLY”と書かれた横断幕をゴール裏のサポーターが掲出したことが昨年に大問題となり、これによりJリーグ史上初の無観客試合のペナルティを受けた。あれ以来、浦和レッズはクラブとサポーターともども、反差別の取り組みを続けてきていた。

もちろんこれがスタジアムでのことならば別である。自分たちの責任範囲内で起きたことになるからだ。そこにおいて差別が行われたならば、それを責任もって排除することは、欧州の人権思想を体現したようなサッカー界の差別問題への取り組みからすることは当たり前なのだ。

この事情について、私は弁護士神原元の著作のインタビューで、”JAPANESE ONLY”事件でJリーグが下した処分をめぐって次のように語ったことがある。

サッカーの協会の組織構造はピラミッドになっています。日本サッカー協会(JFA)は国際サッカー連盟(FIFA)の下部組織です。サッカーのルールから運営方法など様々な指針はFIFAから降りてきます。

人種や民族や国家に対する問題に直面しているFIFAは、普段から先進的な取り組みをしています。欧州のサッカースタジアムでは、黒人選手に対してバナナをあてつけに振りかざしたり、差別的なヤジを飛ばす差別行為が長らく問題となっていました。これに対応してFIFAが差別行為に対する厳罰化やクラブの事前取り組みのためのガイドラインをつくりました。そして、それを2014年に日本のJリーグは今年はじめに彼らの規約の中に組み入れたところでした。差別行為には「ゼロトレランス」(一切の猶予を許さず、例外や容赦のない対応をする)という方針です。

もちろん、Jリーグトップの決断力もありましたが、考えてもみると、ヨーロッパの人権意識がそのまま日本社会でストレートに反映された稀有なケースです。事業責任者はその事業領域で差別を排除する義務があるという断固とした考えですね。日本社会で、ヨーロッパの人権意識がここまで反映され、罰則はじめ対応策を支える哲学やノウハウを持っているのは、サッカーだけかもしれません。サッカーはナショナリズムが表れやすいなどの危ない側面もありますが、同時に排外的なものとも闘ってもいるのです。

ヘイト・スピーチに抗する人びと (神原元)

 

だが、今回はインターネットでの出来事である。しかも日本には欧州サッカーからその人権思想を学んだにも関わらず、欧州のように差別問題を取り締まる法律もない。浦和レッズにもJリーグにもこれはいかんともしがたい。

「(投稿者を)特定する立場にない。こういう問題をなくしていくべく、繰り返し声を上げるしかない」(Jリーグ村井チェアマン)

ニッカンスポーツ

 

「アフリカ系の人にバナナを突き出すと、なぜ差別行為になるのか」を自信を持って説明できた人は29.9%

 

実際にJリーグは組織としてそれに取り組んでいる。それはどういうことか。

黒人選手に対する差別問題として、横浜F・マリノスのサポーターによる「バナナ事件」というのものがあった。これも昨年のことである。マリノスのゴール裏のサポーターが黒人選手にむけてバナナをかざしてアピールしたというものだ。明らかな黒人に対する差別である。

事件後、私はこのサポーターに話を聞く機会があった。詳細は次著に書く予定だが、この彼は別にこのバナナをさしむける行為が黒人に対する差別だという罪悪感が希薄だったと言わざるをえない。だが、その彼も普通の平凡な大学生だった。彼としては、対戦相手がスポンサーにひっかけて行うバナナを使ったイベントを茶化すつもりだったという。もちろんゴール裏にいるようなサポーターだから、欧州で黒人選手をからかうためにバナナが持ち出されて、それが問題化していることを知らなかったわけではない。だが、その知識が自分の行為と結びついていなかった。

黒人選手にむけてバナナを差し出すことが差別になるとわからない。単なる揶揄した気分だったのが、実は人種や民族に対する深刻な差別行為であることがわからない。これが、自称浦和サポーターとバナナを出した大学生に共通するのであろう。そして、それが社会的制裁になり、まわりのものを巻き込んで大きなことになることもわかっていない。

もちろん両名ともに、今となっては身をもってその意味を理解することになっただろう。バナナ事件の大学生も今では真剣に反省しているし、差別ツイートの高校生も自ら名乗り出たことで反省しているだろう。自分は彼らにまた好きなチームを応援してもらい、スタジアムに足を運んでもらいたいと思っている。

そして同時にこの問題の根底の部分がどこにあるかもはっきりとわかるのだ。

マリノスのバナナ事件があったとき、「サッカーは敵意を煽るスポーツで、だからこのような問題が起きる」という声があった。これを定量的に調査・検証したマリノスのサポーターがいた。

 

「アフリカ系の人にバナナを突き出すと、なぜ差別行為になるのか」を自信を持って説明できた人は29.9%

調査結果から見えるバナナ事件の真相 マリーシア感情的サポ論

 

「教育が悪い」と言ってしまっては身も蓋もない話なのだが、実際に多くの人は差別行為に対する罪悪感をもっていないというのが現状だ。

この調査では、学校での外国人差別や在日外国人差別に対する理解度や、自分の周りの環境に差別行為や発言をする人が少なからず存在することも明らかにしている。この状況の中で、別にサッカースタジアムがこの差別問題の原因ではないというのは歴然としている。

また、この調査結果をうけて、その調査を企画したサポーター石井和裕氏との対談で、自分は次のように述べている。

清:いずれにしても、今後もこういうことは残念ながらまたJリーグでは起きてしまうと思う。突発的な個人の行為は止めようがない。Jリーグやクラブはむしろ先に動き出さないとダメだと思う。もちろんこれはサポーターも含まれます。

マリノスサポ、“バナナ”事件から考える

 

 

スタジアムにおける、この差別問題は必ず繰り返す

なお、高校生の差別ツイートの問題が大きく報じられたのは、その中傷を浴びせられたパトリック選手本人が声をあげたのが大きい。

ブラジル人のパトリック選手はチームの通訳に頼んでツイッター上で「まさかこの国でそういう目に遭うとは思いませんでした。私や私の家族を傷つけました」と日本語で応じた。

これに呼応して、心あるサッカーファンとJリーグが一丸となって、声をあげたというわけだ。

だが、皆、知っていて知らないふりをしているのか不思議なのだが、これが黒人サッカー選手で、彼が自ら声をあげたというだけの話で、ネットでは匿名の差別発言や誰がみても明白な差別言説が横行しているではないか。特に在日韓国人・朝鮮人選手やコリアンのサッカー選手はほぼ日常的にこのようなことが書き込まれている。彼らはこれに耐えているだけだ。

サッカー選手という有名な立場だからこそということもある。どれだけ罪もない在日外国人が言われない差別をネット上で受けていることか。

これが欧州の人権思想をサッカーを通じて学んできたサッカーファンには排除され糾弾されるべきものとなっているだけで、そのサッカーファンですら、ネットに蔓延する差別には声をあげようとしない。これで、サッカースタジアムとサッカー選手にだけは差別がダメだというのは本来おかしいことなのだ。

人権意識の先進国のように言われているアメリカでさえ、つい50年前までは国是として高らかにうたわれている「自由と平等」というスローガンは、ただ白人にだけ適用されていた。黒人もユダヤ人もわれわれアジア人も、この権利の枠外にあった。パトリック選手を擁護する声は、本当に頼もしい。だが、それらの差別が実はネットにはあふれていて、他の民族に対してはまったく野放しになっているのだ。このことは忘れてはならない。

そして、これが横行しているうちは、またサッカースタジアムでもネットでも同じことが繰り返されるだろう。

Jリーグは今年から2ステージ制を導入し、年間優勝を決めるチャンピオンシップというトーナメント戦を鳴り物入りで復活させた。それはもちろん、観客動員やメディア露出に苦戦するJリーグが、サポーターの反対を押し切って導入したものだ。トーナメント戦にふさわしいともいえる意外な結末となったガンバとレッズ両雄の死闘の結果は、本来であればもっと試合内容や選手の活躍とともに語られて報じられるはずが、この差別ツイートでかき消されてしまった。

この損失は少なくない。

サッカー界は、”JAPANESE ONLY”事件や、バナナ事件のあとに、差別根絶のための啓蒙活動を自主的に取り組んできた。これでまた起きてしまったのは不幸としかいいようがないが、今後も続けていくしかない。いかにそれが無駄になろうとも走り続けることによって、チャンスをつくったり、危険を防ぐということをサッカーに関わるものならば誰でも知っていることだ。

浦和レッズが”JAPANESE ONLY”事件後に取り組んでいる国連の友アジアパシフィックは、以下のとおり今回の事件に触れてコメントを出している。

差別の心を撤廃し寛容の心を広めることは、言葉で言うほど簡単ではなく、完全なる差別撤廃は長く険しい道のりです。しかし諦めてしまえば世界は不寛容な社会に陥ってしまいます。

SNSにおける差別的な投稿について

 

長く険しい道のりであっても、それを続けていくうちに、ピッチとスタジアムを超えて、社会的な影響を与えることが出来る。それを信じていくしかないのだ。

 

差別問題とサッカーは日々戦っている

 

石井:サッカーそのものが悪いんじゃないというのは今回の調査結果でわかるとおりだと思いますが、実際どうなのかといえば、こんなにメディアで報じられたら「サッカーってどうなのよ」となってしまっていると思う。

このまま放置しておけば、サッカー界はイメージがどんどん傷ついて、ただ損し続けていくだけだと思う。差別について学んだことがない、それに対する理解がないという人がこれだけいるんだから。

そこで原因をスタジアムの外においても仕方ない。サポーターを含めたサッカー界が、逆に差別がなくなるようなメッセージを発信していくしかないと思う。

マリノスサポ、“バナナ”事件から考える。

サッカーを通じて、日本社会全体に差別行為はダメなことで、それをやってしまうと相応の社会的な制裁を受けるんだよというメッセージを発信することで、社会そのものに影響を与える。それこそがサッカーのチカラなのである。

そうでなければ、このような「加害者」ですら「被害者」であるようなことは社会のいたるところで続いていくだろう。

今回の問題に通じるものとして、私がジャーナリストの安田浩一氏と、同じくジャーナリストの木村元彦氏との対談の中での一節を問題提議として加えておこう。

 清 日本の社会がこれを機会に、こうした差別問題を起こしたときには、このように処罰を受け、かつ、一つの法人なりサービスを提供するものが、その責任の範囲内で差別を許した場合には、見逃した人間も間せられるのだということを、学んだと思います。

しかし「ジャパニーズーオンリー」の数百倍レベルで酷い横断幕やブラカードを、街中で掲げている人たちがいます。これはおかしい。これを「言論の自由」ということで、OKにしてしまっている。少なくともサッカー場に関しては、言論の自由を一部制限することになったとしても、ダメなものはダメ、という一つのケースが出た。これを機に、いろいろな人に学んでほしい。

安田 そうですね。「ジャパニーズオンリー」という文言そのものの害悪はもちろんですが、それを表現の自由という範囲に閉じ込めていいのか。あの表現によっ て、沈黙を強いられている人がいる。誰の表現の自由が奪われているのかということを考えたときに、本来あるべき表現の自由を守るために、僕らは差別ときちんと向きあい、それを破り捨てる覚悟があるかが問われている。

NOヘイト! カウンターでいこう! (のりこえブックス)

 

このような「事件」はこれからも起きていくことだろう。サッカースタジアムの外でも。それに立ち向かうのは、国家や法だけではない。それを目の当たりにした個人である。

長らく差別が娯楽にでも化してしまったかのようなイングランドのスタジアムで、もはや差別的なコールやチャント(応援歌)やヤジはほとんど聞かれない。

欧州のサッカーサポーターのポリティカルな事情に詳しい哲学者ガブリエル・クーンに私はなぜそれがなくなったか、なくすために何が重要だったのか、と質問したことがある。イングランドにおいてサッカーを通じた社会的な啓蒙が進み、スタジアムにおいて、差別的な言動をすることをファンそれぞれが取り組むようになったことを説明してから、人種差別とサッカーが日々戦っている状況を教えてくれた。

そのうえでガブリエルは、差別問題をなくす一番重要なアクションについて次のように述べた。

 

隣人を注意することだ。あなたの隣人のレイシズムをやめさせるようにあなたが動くことだ。