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赤い安倍晋三 -「反戦・脱原発リベラル」はなぜ敗北するのか

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「国体の衣を着けたる共産主義者」岸信介

「陸軍赤化論」というものがある。これを世に知らしめたのは近衛文麿だ。敗戦直前、戦争遂行の可否に悩んでいた昭和天皇に奏上して近衛曰く、この戦争は「国体の衣を着けたる共産主義者」の陰謀である、と。そしてこれに同調したのが共産主義者の「新官僚=革新官僚」だったということだ。

敗戦は遺憾ながら最早必至なりと存候。以下此の前提の下に申述候。

(中略)

翻って国内を見るに、共産革命達成のあらゆる条件、日々具備せられ行く観有之侯。即ち生活の窮乏、労働者発言権の増大、英米に対する敵慨心昂揚の反面たる親ソ気分、軍部内一味の革新運動、これに便乗する所謂新官僚の運動、 及びこれを背後より操りつつある左翼分子の暗躍等に御座侯。

(中略)

これら軍部内一部の者の革新論の狙いは、必ずしも、共産革命に非ずとするも、これを取巻く一部官僚及び民間有志(之を右翼というも可、左翼というも可なり、所謂右翼は国体の衣を着けたる共産主義者なり)は、 意識的に共産革命にまで引ずらんとする意図を包蔵しおり、無智単純なる軍人、これに躍らされたりと見て大過なしと存侯。

 

この「国体の衣を着けたる共産主義者」として「アカの革新官僚」と言われた革新官僚の中心人物に岸信介がいた。

近衛の陰謀論は眉唾なもの(※注1)としておいておこう。しかし実際、岸は「社会主義者」であった。若かりし頃の岸は、天皇制の下の社会主義構想をぶちあげた北一輝の『日本改造法案大綱』を書写するほどに入れあげていたという。

北の国体改造論は、当時として極めて先鋭的な政治変革を示唆していた。

私有財産と土地所有の制限し、大土地所有者から取り上げた土地は小作人などの土地無所有の農民へ給付する。大資本を国家の統制のもとにおく一方、労働者の権利を確保し、8時間労働や休日の有給化を進める。貧困層の保護を国家の義務とし、義務教育を10年(当時の義務教育は小学校のみの6年)とする。そこでは男女の教育は平等とする。女性の人権を擁護し社会進出を進める。はては、今でいう労働分配も定め企業純益の1/2まで配当すべしとしている。

岸は国家総動員体制の中で経済官僚としてトップに上り詰める。これは彼が手掛けた満州の経済政策が評価されたからである。岸いわく「満州は私の作品である」。その満州の経済政策は当時破竹の勢いであったソ連の新経済政策「ネップ」に強く影響を受けたものだった。岸以外にもこの路線を続けていった官僚は多く、それは「新官僚」や「革新官僚」と呼ばれた。これらが導入した政策の数々は、かなりの国家社会主義的な政策であった。

当時、企画院(経済企画庁の前身)の事務官を務め、戦後も経済官僚として活躍した正木千冬(のちに鎌倉市長)は、もともとはマルクス主義の研究者であった。彼もやはり「アカ」と目され投獄まで経験した。

「ナチスの社会経済機構なんか研究してみたり、経済統制を強化するという線で提言してみたり、いまになってみれば本当に左翼的な立場で戦争を批判していたのか、あのような資本主義の生ぬるい戦争経済じゃ駄目だから、もっと戦時統制を強化しようという促進のほうに向いていたか、はっきりしません」

「その時分の革新官僚の連中は、ほとんど紙一重ですよ。ナチス的とも言えるし、社会主義的とも言えるし、真からの資本主義を信仰していないという点で言えば、彼らもアカだったと言えるでしょう。私もそこにいたんです」

『ずいひつ 鎌倉市長』正木千冬

 

白猫黒猫論 -三度失脚した鄧小平と岸信介


ナチスももちろん「国家社会主義」である。政権獲得から数年で第一次大戦の敗戦の混乱と世界恐慌から奇蹟的な復興をとげたナチスの経済政策は、ケインズをして「大英帝国はナチスを見習え」と言わしめたほどだった。北一輝と同じく、社会保障や労働者としての権利を進めたのもナチスであった。ナチスがドイツ国民から圧倒的に指示された背景には、この経済的な政策の際立つ成功がある。もちろん、北もナチスも、「戦いなき平和は天国の道にあらず」という世界観を前提としていたことは言うまでもない。

岸と新官僚は統制経済を進めたが、その政策があまりにも社会主義的であるということで、「赤化思想」との嫌疑をかけられて次々と追放されていくのだが、その政策のベースはそのまま残った。岸自身も失脚し、やがて当時の社会主義者である労農党の一派がつくった社会大衆党と結びつき、やがて戦時の大政翼賛会の枠組みから距離を置きながら政界入りを目指すようになる。この時につくった護国同志会という政党には、後の社会党や民社党に流れる社会主義者たちが多数いた。

戦後、巣鴨から出獄し公職追放が解除された当初社会党入りを画策していた。当時の社会党右派界隈には、彼と行動を共にしていた新官僚出身者がいたし、同志となっていた社会大衆党の人々もこぞって参加していたからだ。前述の正木とともに投獄された企画院などにも社会党右派や民社党の指導的立場になったものもいた。

しかしこれは実現ならず、弟の佐藤栄作の計らいで後に自民党の前身となる自由党に入党することになるが、この左派との人脈は続いていた。

岸はあくまでも現実主義者であり、当時は現実主義路線を歩む社会党右派の主導のもとに社会党を政権獲得可能な政党とし、イギリスのような二大政党制を目指していたわけで、彼にとってはイデオロギーは右でも左でもよかったのである。実際に彼と革新官僚は戦時体制の中でそうしてきた。そして、その社会党右派の画策により左右の社会党が統一し、岸の暗躍により保守合同が成し遂げられ、そしていわゆる「55年体制」が始まったのである。

「白猫であれ黒猫であれ、鼠を捕るのが良い猫である」(※注2)と言い切ったのは鄧小平だ。文革であれだけ走資派と指さされ政治生命を絶たれたにも関わらず、鄧小平は共産主義のタテマエとホンネを巧妙に使い分け、資本主義中国の躍進の基礎を固めた。

その鄧小平は三度失脚したと言われる。毛沢東の原理主義的な共産主義運動が失敗したあと、あくまでも現実路線を目指す鄧小平はそれ故に毛沢東のターゲットとなり、文化大革命に至り、毛沢東とこれにコントロールされた紅衛兵によって放逐され、古希にさしかからんとする年齢にも関わらずトラクターの修理工場で何年も働いていた。やがて国内の混乱の立て直しを望む同志の働きかけにより、毛沢東に許されて党に復帰した。しかし、現実路線で経済再生を目指すことは文革派からまたもや目をつけられ再び失脚。毛沢東の死後に、再び政権に復帰する。中国の現在の躍進が始まったのはここからだ。

一方、岸信介も三度「失脚」している。一度目は、近衛政権下の事務次官だったとき、当時の大臣と衝突した時。この大臣は岸を「アカ」だと公然と批判した。二度目は太平洋戦争時に時の総理大臣東条英機と対立した時。自宅には怒った憲兵が押しかけ軍刀を立てて、なぜ総理に逆らうのか、と詰問しに来るのを岸は追い払う。三度目は戦争犯罪人として巣鴨に収監された時。獄中で岸は出獄できるかわからない境遇の中で、戦後の日本の復興の計画を日夜考えている。岸は復活した。

そんな岸は鄧小平に教えを乞うまでもなかった。民主主義の社会で、その時々のヘゲモニーを握るのは思想ではなく、ネズミをどれだけ咥えてくるのかだ。岸信介は60年安保闘争の「悪役」だが、同時に最低賃金制・国民皆保険・国民皆年金の各種の社会保障制度をつくりあげたことでも知られる。

祖父の一高時代からの親友で、三輪寿壮という社会運動家がいた。労働争議関係の弁護士として活動し、1926年(大正15年)にできた日本労農党の初代書記長を務めた人物である。祖父と三輪は、目的は同じでも、そこにいたる道がちがった。三輪は目の前にいる貧しい人たちを救うために、弁護士として、また政治家として相談に乗り、運動した。しかし祖父の場合は、その貧しさを生み出している国家を改造しようとしたのである。

美しい国へ 』安倍晋三

三輪寿壮は、戦前の社会運動家であり日本労農党の書記長も務め、戦後の社会民主主義路線を進めた右派社会党のキーマンである。若き日は弁護士として労働者や小作人の支援で名をあげた。その三輪は岸の盟友でもあった。岸が公職通報解除になったときに、社会党入りを画策したのもこの三輪だ。その三輪をあえて安倍晋三は著書で取り上げている。

 

現実主義のリベラリスト -安倍晋三は保守ではなく左派である

 

安倍晋三は岸の直系を自負している。

 

93年に政治家になった安倍はその影を追うように、まず取り組んだのが社会保障政策だった。
安倍は99年10月、党社会部会長に就任。党内に反対論が根強かった介護保険を00年4月から円滑にスタートさせる役割を担った。
経済再生相の甘利明に、安倍はよくこう話すという。
「自分も社労族(厚労族)の端くれです」

朝日新聞

 

例えば、金融緩和と財政出動による「アベノミクス」のリフレ政策は、むしろ理論的に本来は左派が得意とする政策である。

 

安倍晋三は極右ではない。安倍晋三の金融緩和やらの政策は欧州の社会党やらの左派がしていること。安倍晋三が極右であるのならば、欧州左派は極右なのか?軍隊で言っても、欧州左派は軍隊の運用面を批判していて、軍隊自体を否定していない。少なくとも、経済の軸で考えれば、安倍晋三が極右なはずがなく、むしろ、日本で最も現実的な経済リベラル政策を打ち出したのが安倍晋三。この面から見ると、安倍晋三は日本で最も現実的なリベラリストと言うことも出来る。
デフレ下での正しい経済政策なのに、民主党の海江田は金融緩和自体を批判している。共産党も安倍自民党の経済政策を批判している。経済が上向いて中小企業も潤って、労働者の賃金も上向く政策を共産党も批判している。はてなの知性劣化の象徴のはてなサヨクは共産党を支持しているのが見受けられるが、マルクス主義経済学の松尾匡や稲葉振一郎が共産党にリフレ政策を主張していることなど一切知らないのだろう。

労働者を守る保守と貧困層を苦しめる左派の知性の衰退

欧州の左派のリフレ政策では例えばポルトガル共産党やギリシャ急進党左派連合などの主張に典型的だが、これが日本ではリベラルと保守が完全にねじれている。

 

自国通貨の価値を毀損してまで流動性を供給するとか、公共投資を増やしてケインズ的な効果を狙うというのは、国際的な常識から見れば極めてリベラルな経済政策に属します。ですから、現在の安倍政権というのは政治的には保守ですが、経済政策は相当に左寄りだということが言えます。

反対に、「目先の景気よりも、中長期的な財政規律」を心配する態度であるとか、自国の通貨を防衛しようという立場、あるいは公共投資などの支出を抑制しようと言う姿勢は、保守の経済政策になります。ですから、安倍政権と比較すると、その前の民主党政権というのは政治的にはリベラルでも、経済政策は保守ということになります。円高を放置したり、ハコモノ行政を「仕分け」しようとしたりしただけでなく、社会保障と税の一体改革を志向し、その際には給付増や再分配でなく財政規律を優先したというのは、明らかな保守政策です。

「日本の経済政策は、なぜ右派と左派でねじれているのか?」冷泉彰彦

さらに同一労働同一賃金や最低賃金を時給千円に引き上げることについてもすでに表明している。

最低時給の引き上げは、反原発・反安保法制、そして反安倍を旗印にあげて国会前に集まった人々の一派「AEQUITAS (エキタス) 」が精力的にデモなどのアピールを繰り広げている。左派の中でも先鋭的な主張といえる最低時給の引き上げはおろか、同一労働同一賃金までも先に安倍政権が手を付け始めた。左派はやられたのだ。

それでは急迫性のある真の問題とは何でしょうか。

実は原発や安全保障をはるかにしのぎ、景気対策へ迫り(2012年で20.6%、2014年で25.1%)、複数回答式で採用された2015年の10月24日・25日の調査では景気(89.1%)も安全保障(74.4%)も抜きトップとなったのは(89.6%)争点があります。社会保障です。

その点、安倍政権はあなどれません。介護離職対策を、アベノミクスパート2の柱にして、まがりなりにも介護職員の給金をあげようとしてますから。

湯浅誠氏が2015年11月10日付「朝日新聞」朝刊紙面批評で、総スカンをくらった一億総活躍社会には、難病患者や障碍者をも包摂する地域や家庭環境へ変えてゆくという一項があったが、朝日はこれを報じず、非難したと指摘しました。

安倍晋三は祖父岸信介の政治的DNAを継承しているとよく言われます。そのときDNAとは安保重視のタカ派志向をいうのが普通ですね。しかし、岸信介には、世界に冠たる国民皆保険・国民皆年金を実現した功績もあります。東大法学部トップの秀才だった学生時代、北一輝を訪問して心酔したいわれる国家社会主義でもあるのです。

「反戦・脱原発リベラル」はなぜ敗北するのか』 浅羽通明

これを指して、浅羽通明は「社会主義者晋三」と呼ぶ。私は「赤い安倍晋三」と呼ぶことにしよう。

日本の左派は名もなき庶民のための白猫黒猫の「猫論」を理解しえない。イデオロギーの白か黒かを優先する。だが、それは本当に民衆の心に響くものなのだろうか。浅羽氏の著書『「反戦・脱原発リベラル」はなぜ敗北するのか』はこの点、徹底的に厳しい。それは彼らの「世界観内のバーチャルなゲーム」にすぎないと切り捨てる。 原発はあれだけの反対があったのにも関わらず再稼働し、特定秘密保護法案も安保関連法も可決された。一方で「民主主義を守れ」と国会前の「群衆」は叫ぶ。そうしなければ「民主主義は死ぬ」と。待ってくれ、いったい戦後何回「民主主義の死」は繰り返し繰り返しかたられて、そしてその都度、あたかもなかったことのようにまた同じ言葉が繰り返されているのか。

 

リベラルのバーチャルな理念の戦いと空疎な「勝利宣言」

日本は同じ民主主義でも議会制民主主義だ。もともと民主主義は様々な意味で必ずしも万能ではないのだ。わざわざ「議会制」民主主義となっているのには訳がある。

直接民主制はそもそもギリシアの昔にすでに衆愚政治として破たんした。カントは最高度の国家形態を共和制としたが、同時に国家統治の方法としての民主性を欠陥あるものとした。そこでは代議制(議会制)だけが悪しき民主主義的な専制に陥らないとして、共和主義と代議制の組み合わせこそを最善のものとした。

つまり「民意」を必ずしも反映しない民主主義が議会制民主主義なのである。議会制民主主義には、民意とズレが生ずることによってショックアブソーバーとなる仕掛けがめぐらされているわけだ。こうした議会制民主主義のいわば「顕教」と「密教」(『右翼と左翼』浅羽通明)のカラクリを解かなければ、いつまでもバーチャルな戦いの中で空疎な「勝利宣言」を繰り返さざるをえない。

赤い安倍晋三はそれをおそらく理解している。

わかっていないのは国会前で負けを承知の戦いを続けてきた「敗北主義」の反安保法制のデモの一群のほうである。そうした左派の心情倫理に感じる一種の居たたまれなさを昨年夏の反安保法制のデモに即して「国会議事堂前の『敗北主義』」と「優しい左派リベラルのための『憲法改正』のすすめ-心情倫理を抱きしめて」としてまとめたことがある。

本書においても、国会前に集まったと十数万人の「反原発」「反安保法制」の左派リベラルの地に足のつかなさは揶揄され、筆者は徹頭徹尾挑発的である。だが、むしろその批判に耳を傾けなければならないのは、著者の言うように敗北を「勝利宣言」にすり替える人達だろう。「眼を覚ませ」ということだ。

 

1940年体制 -戦前のリベラルは何も解決できなかった

思いおこそう。戦前の「リベラル」(自由主義者)の政党政治は、庶民の苦境や貧しさを結局何一つ理解することが出来ず、有効な手段をとることが出来なかった。戦前の日本経済は今などよりもはるかに自由主義的であったからだ。株主が強く、労働者の終身雇用もほとんどなく、労組も一般的にはまだ力がなかった。社会保障なども二の次だ。これはおかしいと社会改造に走ったのはむしろ右派と軍人だった。前述の近衛の上奏文にあるように、「職業軍人の大部分は中流以下の家庭出身者」であり、世界恐慌で零落し、極貧極まって幼い娘を芸娼妓に売りに出す貧農を近くに見ていたのは、富裕層がなるのが当たり前だった政党人ではなく、軍人の彼らだった。彼らからは「リベラル」は単に特権階級でしかなかったのである。

革新官僚や穏健派の社会主義者はこれらと結びついて社会的な改良を行おうとした。むしろ彼らは軍人たちの社会的な出身層に近かったからなおさらだ。そしてなし崩し的に戦争に協力することになってしまった。

戦時体制としてつくられた統制経済は、同時に日本型の終身雇用制度や企業の労使協調路線などを導入したことでも知られる。国家総動員体制は、そのもの社会主義的政策で、つよくソ連を意識してつくられたものだ。その中では、企業というのは社会的な存在で、労働者とともに繁栄するべきで、株主が利益を得るだけの存在ではないという考え方がベースにもあった。当時の自由主義的で強すぎる株主の力を削いで、雇用者側から経営陣を選ぶ仕組みや、地主や資本家の権利を制限し、労働者に有利な借地・借家法が出来たのも、この時。ほとんど奴隷的ともいえる搾取から農民を解放した農地改革は戦後のことだが、これに先立ち戦時体制のなかで小作農の救済のため、食糧管理法が施行されてもいる。これにより小作制度は農地改革前にすでに激変していた。各種の社会保険や年金制度が体系化されて普及したのもこの時期である。

これらは戦後まで引き継がれて、統制経済の仕組みはそのまま日本社会に残っていった。かつて「世界でもっとも成功した社会主義は日本である」とまで言われていたことがある。この仕組みを実は戦時中の革新官僚によって行われた社会主義的政策が始まりだとして、これを指して「1940年体制」ともいわれる。

岸信介たちは当然国家の戦争遂行のためにこれらを行ったことは間違いないであろう。だが、同時に戦後の日本の繁栄の基礎をこの時点で準備していたともいえる。最終的に鼠をとってきた猫は彼らだったのである。

 

7月の審判 -大衆は蜂起したか

浅羽通明の『「反戦・脱原発リベラル」はなぜ敗北するのか』 では、国会前のデモについて徹底的に批判的である。もちろん自分にとってどうかと思う記述はいくつかあるのだが、概ね認識は一致している。デモ自体がダメなのかといえばそうではないというのが、浅羽氏も自分も共通するところだろう。自分は、デモが民主主義の重要なアクションであることもわかるし、その組織維持のために空疎な「勝利宣言」をせざるを得ないということも理解できる。

しかし、あまりにも目指すところの基本認識が違いすぎるのである。笠井潔は「3.11後の叛乱 反原連・しばき隊・シールズ」にて、「大衆は蜂起した」というが、その革命趣味に満ちたロマンチックなドラマのシークエンスより、大衆の心変わりはもっと速い。このことは、前述の「優しい左派リベラルのための「憲法改正」のすすめ -心情倫理を抱きしめて」にて書いたとおりである。

かつてマルクスは組織化された工場労働者による革命を夢見て、それ以外の極貧の生活者を「ルンペンプロレタリアート」として切って捨てた。彼らは理想も何もなく簡単に目先の利益に釣られて「反動」となるということからだ。今、「大衆の蜂起」という言葉の中で、切って捨てられているのは、国会前の出来事など何も興味を抱かず、郊外のジャスコに自家用車で乗り付けてきて週末を楽しむ若者や秋葉原でサブカルチャーの洪水のなかで知らず知らずに世界とつながるオタクたちや日々の生活に不安を抱え続ける非正規労働者たち、そしてそれ以外の様々な生活者である。

経済政策も21世紀的ケイジアンの路線をとる安倍政権に、対案なく「アベノミクスは失敗した」とだけ言い募るものたちに、現代のルンペンプロレタリアートは心をよせるだろうか。それこそ「国民なめんな」ということにならないだろうか。その時、大衆の蜂起で吊るされるのは旧態依然たるリベラルとならないだろうか。

答えはもう目の前に近づきつつある夏に下されるだろう。

 

 


 

この論評は、「月刊ちくま」に浅羽通明氏の『「反戦・脱原発リベラル」はなぜ敗北するのか』の書評として書いた『赤い安倍晋三―「民主主義」はネズミを捕る』を大幅に加筆したもの。

原文はコチラでも読むことが出来ます。

 

※注1:陸軍赤化論では後の首相となる吉田茂がこれを流布したとして逮捕されている。この陰謀論の陰謀論たる所以については元東部憲兵隊司令官大谷敬二郎の証言が的確な説明をしている。

※注2:実際は「黒い猫でも黄色い猫でも」と言ったらしい。通称は「猫論」。