採決までこれまでの数日間、国会前ではデモが続き、これに呼応するかのように主要野党による国会での強行採決阻止の動きがありました。
法案は通過しましたが、そもそもこれは防ぎようがなかったことです。
このことは「国会前の敗北主義」に書かせていただいたとおりです。はたしてうまく敗けることが出来たか、それは今後の世論の動き、そして直近の来年8月の参議院選で明らかになることでしょう。
ただ、自分はこのへんについては非常に懐疑的です。日本の有権者はエキセントリックに視えるものに対してバランスをとる傾向があります。国会での野党の不信任案動議や審議の時間を延ばすための国会戦術的フィリバスター(議事妨害)に対して、どのように有権者が評価するのか。
しかし、あくまでも自分の感触ですが、この強行採決までの各種の流れで、世論がかなり右振れしているような気がしてなりません。
有権者は安保法制を今後どのように受け止めるか
もともと集団的自衛権については各種世論調査で半数は支持していました。これがこの数か月で反対派が増えていったのは、それが強引なやり方で採決に進められているということに対する生理的な嫌悪からのものだと思います。法案に対して説明が十分になされていないという不満もあったでしょう。これもエキセントリックな事象に対する揺り戻しのひとつです。
そうするといったん採決されてしまったものに対して、世論はどう視るか。戦後史の流れを見るとおおよそ察しがつきます。
「もうできてしまったものは仕方ないから、それはそれで次のことを考えよう」
いい加減といえばいい加減ですが、これまでの安全保障議論ではすべて反対しながらも追認していくというのが日本の中ではスタンダードになっていますので、それの良し悪しはともかくそういうことになっていくでしょう。
そもそも、安全保障というものは現状では選挙の争点になりにくいということもあります。
右のグラフは、昨年2014年の衆議院選前の朝日新聞による世論調査です。
この時点で、集団的自衛権の行使容認の閣議決定がなされた後です。
この時点でもずいぶんと議論になりましたが、それでも選挙の争点としては非常に低い結果が出ています。もう圧倒的に景気・雇用対策なのですね。
この衆議院選が結局いわゆるアベノミクスの評価と信任についてが結局は一番重要だったということです。
結局は経済政策 -アベノミクスと左派リベラル
いわゆるアベノミクスに対する評価は割れるでしょう。ただ正直必ずしも的を得たとは言えない議論も一部にみられるのはどうかと思っています。「アベノミクスで格差が拡大した」という議論もどうにも眉唾で、これはもう少し時間を経ないとなんとも言えないというところが正解でしょう。選挙結果も不可でもなく優でもなくという結果に落ち着きました。
というわけで、たいへん申し訳ないんですが、この段階でアベノミクスは失敗した!とやっている人は、正直あまりにも近視眼的な人か、または政局目当てでなんでもかんでも安倍批判をしたいという人じゃないかと判断させていただいております。(もちろんだからといって、何も問題がないというわけではありませんが)
左派の方々の中には、安倍政権憎しのあまりに、景気が悪くなれと希望しているかのような発言を時々みかけてしまいます。政権打倒のために、生活者全体を巻き込むような話は全くついていけませんし、心底どうなのかと思います。ちなみに、かつてこれを左派の方々は「革命的祖国敗北主義」と呼びました。本当にカンベンです(笑)
いずれにせよ、次の選挙で大きな動きがあるとしたら、この経済対策に対する説得力ある施策が打ち出せなければどうにもこうにもならないでしょう。現時点での安保法制議論について国民の多くが懐疑しているものだとしても、来年の夏の参議院選挙でどこまで「怒りのマーケティング」が通じるかははなはだ心もとないものがあります。
左派サイドの方々の経済オンチぶりはまことに惨憺たるものがあります。マルクスが経済をベースに政治を考えたのと程遠い状態です。マルクスの相方だったエンゲルスは言っています。「共産主義は原理ではなく事実から出発する」と。
マルクスは経済が人間存在そのものを規定してきたとも言っています。いくら崇高な理念を唱えても今日何を食べるか明日のメシは食べれるのか、そっちの方が大事なのは当たり前のことなんですね。
マルクスの考えだと、国家というのは経済に優先する課題ではないのです。それなのに大概の左派のみなさんは国家の話ばかりしている。もちろんそれが捨て置ける話だということではないのですが、優先順位は経済だということは、ざんざんマルクスが口を酸っぱくして言い続けてきたことなのではないんでしょうか。
まあ、この話を始めると本当に左派のみなさんに対する当たりが強くなってしまい、それは本稿の本望ではないので切り上げます(笑)
以上を前提に、そろそろ先に進めます。そのため、左派リベラルのみなさんが好きな国家の話をしていくことにします。ずばり、左派リベラルが次の選挙に勝つための方法を考えていきます。
自衛隊へのタテマエとホンネ -真実は広大な灰色の中間地帯にある
今回の安保法制に関する議論の中で、安保法制賛成派の皆さんから出てきた批判の中で、残念ながら全く有効と思しき回答が見受けられなかったものがあります。
すなわち、そもそも「自衛隊は違憲」じゃないか、というものです。
全くそのとおりで、この集団的自衛権の問題をそもそも論で突き詰めていくと、どうしてもここにたどり着いてしまうわけです。アンタたち違憲違憲という言うけれど、そもそも自衛隊は違憲じゃないのかね?それを容認しておいてどのクチでそんなこと言えるの?
まあおっしゃることはよくわかります。自衛隊の存在と憲法第九条が矛盾するのは誰の目にも明らかなわけですから。で、これに対する合理的な反応はおおよそ3つに分けられます。
(1)違憲だから自衛隊は廃止するべきだ
(2)いや違憲ではない必要最低限の自衛権は憲法9条と反しない
(3)違憲だから自衛隊を認めるように憲法改正する必要がある
現在の自民党は(3)です。「結党以来の党是」と言っている人もいるくらいですから。ただ「駐留外国軍隊の撤退に備える」という大義名分はどこかに行ってしまってますけどね(笑) まあ憎まれ口を書くのはやめておきましょう。これ、この後また取り上げます。
日本共産党は基本的に(1)でした。ですが、2004年の党綱領の改定により、国民の合意に基づき段階的に縮小して廃棄する、とスタンスを改めました。かなり現実的です。ただし、日米安保廃棄と自衛隊廃止というのは目指す方向としては変わってません。社民党もほぼこれと同じですね。
民主党はどうなのかというと、これはこっそり改憲派(3)です。彼ら曰く「未来志向の憲法」だそうです。このスタンスは維新も同じです。彼らはもうちょっと大っぴらですが。
公明党も改憲派です。「自衛のための必要最小限度の実力組織としての自衛隊の存在の明記」のための「加憲」だそうです。
で、これどういうことかというと、今日本の議会政党の主要な議席は、ほとんど憲法9条改憲派ということなんですね。
衆議院でいうと、社民と共産党を除いた452/475議席(95.1%)。参議院でいうと、228/242議席(94.2%)。もうパーフェトなまでに改憲派の圧勝です。かたや護憲派の議席数といえば、例えば納豆にマヨネーズを入れるとか梅干しを入れる人の割合(全国納豆協同組合連合会調べ)と同じくらいです。ね、少数派でしょ(笑)
おふざけはともかく、もちろん、これは至極当たり前のことなのです。
右の円グラフは内閣府の「自衛隊・防衛問題に関する世論調査 (2015年1月)」からのものです。
自衛隊に対する良い印象をもっているは「どちらかといえば」を含めて92%。
これがすなわち自衛隊の存在を支持することになるかといえば、ちょっと違うのかもしれませんが、一番信頼できそうなデータなのでこのまま使います。
もう世の中で自衛隊は必要なく廃棄すべきという人は極々少数派だということでFIXでよろしいでしょうか。
さて、共産党が2004年の綱領で自衛隊は国民の合意によって廃棄する・・・と定めたのには理由があります。
これは共産党がことによっては連立政権・・・彼らの言葉によると「民主連合政府」が樹立できるのではないかと政局への対応を柔軟にしたということです。つまり、彼らも国民の同意のもとに自衛隊が廃止できるなんて思っていないのですね。よって「自衛隊は廃棄する」というのは現状ではタテマエにすぎません。
こういうタテマエとホンネは日本社会ではうまく機能するときがあります。かつて田中角栄は言いました。「真実は広大な灰色の中間地帯にある」と。
憲法改正に賛成か反対か。この問いのはほとんど憲法9条と自衛隊の問題だと言って過言ではないでしょう。
そしてこれが真っ二つに割れている。
そして、先の自衛隊肯定のデータを合わせてみれば、おそらく半数の「憲法改正は必要なし」という人の考えは次のとおりとなるでしょう。
憲法9条と自衛隊は矛盾しているし違憲だが、現状それでうまく行っているのでいいのではないか
まさに灰色の中間地帯です。グレーです。
これだと、確かに憲法改正の国民投票を呼び掛けても、必要な2/3は集められそうにはありません。ですので、今の政権は解釈改憲で集団的自衛権を位置づけることになったわけです。どのみち自衛隊も「解釈改憲」じゃないの?皮肉な笑みを浮かべながら、そう安保法制賛成派は言うわけです。これはごもっともというしかありません。
残念ながら、自分の予測では次回の選挙で集団的自衛権が選挙争点とはなるものの、政権を左右するようなものになるとは思えません。
いくら「民主主義的な手続きを経ていない」という一点突破の争点をあげても、残念ながら自衛隊廃止を唱えている政党への投票は、強引なやり口の自民党にお灸をすえさせる程度のものになるだろうと思います。また日本共産党に関しては日米安保に関する考え方もあまりに違いすぎるでしょう。
右のグラフは、先にあげたのと同じ内閣府の2015年1月の調査です。
日米安保を評価する人は83%、現在の日米安保と自衛隊での安全保障を求める人は85%。この状況で共産党や社民党が政権担当能力があるとみなされるはずがないというのは誰にでもわかることです。
マヨネーズ入り納豆が一般家庭の食卓のメニューにのることがないように(笑)
本当に過半数の人は集団的自衛権に反対しているのか
それではこのままでいいのか?というと、それでは左派リベラルの皆さんも納得いかないでしょう。
私もそうです。イラク戦争への派兵は明らかに間違っていました。現在の「イスラム国」の跳梁はイラク戦争の失敗が招いたものです。大義名分もなく、国際社会の理解もなく、アメリカの単独行動主義に追従しただけです。国連PKOなどの活動にはケースバイケースで自分は判断していますが、イラク派兵に関しては誰がどう見ても強引なものでした。アメリカの単独行動主義は極めて危険なものと理解してよいと思います。
おそらくこのイラク戦争のことも想起しているのでしょう。集団的自衛権に関する世論は大きく揺れ動いています。
例えば、先の内閣府の調査によると、自衛隊の海外活動やPKO活動に対する評価は肯定的で、これも非常に高い数値が出ています。自衛隊の海外活動を評価するのは89.8%。PKOも90.3%が取り組みに肯定的です。
ところが、これが集団的自衛権なると劇的に変化します。右は朝日新聞の2015年3月の調査です。あ、朝日新聞だからといって偏向しているとか言わないでくださいね。いや、ちょっとはあるかもしれませんが、せいぜい数ポイント・・・だと思います(笑)
ただし、これが「集団的自衛権」だからということで反応が劇的に変化するというのではないとも感じられます。
以下は集団的自衛権に関する各社の世論調査の比較です。
「統計はウソをつかないが、統計を使う人はウソをつく」という言葉があるが、そのとおりだ。各社の世論調査を虚心坦懐に眺めれば、集団的自衛権の行使につ いて、3割は強い賛成、3割は強い反対で、残り4割はどっちでもない。ところが、正当防衛のように「必要最小限度」が加わると、4割は弱い「賛成」になる のだ。
過半数の人が「集団的自衛権」に反対している・・・というのは、いわば「アメリカが攻撃された時に”無制限”に参戦する」という懸念から過半数に達しているだけで、実際の反対は3割程度と見込んだ方がおそらく正確なわけです。そうすると3割の賛成派と拮抗しているというのが実情になります。これを安保法制反対の「風」が吹いていると理解してよろしいものか。私はかなり心もとないと思います。
つまりこの4割はどちらにでも転びます。そしてその4割の正体は、そもそも自衛隊の存在と安保条約を肯定し、自衛隊の「国際貢献」を評価し、PKOすら取り組みを支持している層と考えてほぼ間違いないでしょう
まさしくグレーゾーンです。これらの灰色の中間地帯が日本の政治のいわばショックアブソーバーとなっているわけです。エキセントリックな政治手法を嫌悪し、行き過ぎにはノーを言う。しかし現実主義的で、理念と現実なら現実を優先するため、それが結果的に良く動いていれば多少の矛盾は許容する。そして優先課題は経済です。
私はいわゆるアベノミクスを評価する一方で、安倍政権の歴史修正主義的な動きや行き過ぎた対米従属に強く警戒をしている一人です。
おそらくこの右寄りの傾向は続いていくでしょうし、自分の予測通り次の参院選で自民党が敗北することがなければ、自民党の総裁任期の2018年までこの政権は続くでしょう。総裁任期延長論も出ているようです。ですが、正直なすすべは現状ありません。
おそらく、左派リベラルが政権をとる展望は向こう10年くらいはほとんどゼロなのではないでしょうか。
ひとつだけ可能性があるとしたら経済的な失政ですが。これは自分はカンベン願いたいと思います。よってアベノミスを現状では支持しています。
日本のデモクラシーの現実性 -心情倫理と結果倫理
さて、マックス・ウェーバーという日本で大変人気のある政治学者がいます。この人が「心情倫理」と「結果倫理」という概念を提唱しています。
ざっくり解説すると、「心情倫理」というのは理念が正しければ結果を度外視していいという考え方です。むしろその純粋性が重要なわけです。「キリスト者は正しきを行ない、結果は神に委ねる」という態度ですね。
一方「結果倫理」というのは、仮に手段が多少なりとも悪しきものだったとししても、その行いの結果を予測して行動することです。ある目的のためにはその結果を想定し、それに応じた手段を選んでいくという態度のことでもあります。
申し訳ないのですが、左派リベラルの一部の方々はあまりにも心情倫理で行き過ぎていると思います。
心情倫理家は、純粋な心情の炎、たとえば社会秩序の不正に対する抗議の炎を絶やさないようにすることにだけ『責任』を感じる。心情の炎を絶えず新しく燃え上がらせること、これが彼の行為――起こりうる結果から判断すればまったく不合理な行為――の目的である。行為には心情の証しという価値しかなく、またそうであるべきなのである
よくネトウヨの皆さんが「お花畑」と揶揄したりしていますが、あれ実際しょうがないですよ。憲法9条維持といいますが、みなさん違憲の自衛隊を認めているわけでしょ。で、現実的に国民のほとんどがその必要を認めているわけですよ。日米安保も同様です。それをいらないって言っているのは、納豆マヨネーズなみの少数派(しつこい)ですよ。それで世の中動かせるというのでしょうか。
したたかに考えていかざるをえない人は、結果倫理で行きます。それは当然のことでしょう。それが日本の議会制民主主義の議席配分に表れています。そうです、国会議事堂前のみなさんにならって言えばそれが日本の「デモクラシー」をつくっています。
心情倫理を抱きしめて -左派リベラルのための改憲議論
ここから結論です。
マックス・ウーバーは心情倫理と結果倫理について、それは対立するものではないとも言っています。双方を考えながらエッセンスを巧みに取り入れていくこと、それがすなわち「政治」なわけです。
それゆえに、左派リベラルのための改憲議論を始めなければなりません。
それしか現在の流れを断ち切ることは出来ないでしょう。左派リベラルは心情倫理の迷宮に迷い込んだまま、いつまでも少数派の「反対政党」に甘んじるのが永遠に続くだけです。
憲法9条の部分改正で自衛隊と個別自衛権を法制度に落とし込むこと。そのうえでの日米安保を前提としながら欧州型のノーと言える対米自立を目指すべきです。合理的に本当に左派リベラルが道を開くのはこれしかありえません。
すでに民主党はこの路線です。維新も同じです。どう見てもおかしい自衛隊の存在を合憲にして、個別自衛権のみ認めていく。日米安保も限定的なものとして、ヘンな戦争には巻き込まれないようにケースバイケースで対米自立を目指していけばいいのではないでしょうか。
日本共産党はそもそも現在の日本国憲法が制定されるときに、それに反対した最大の勢力でした。軍隊がなければ「日本の自主独立」は出来ず、外国からの侵略戦争に 立ち向かえないというのが反対の主旨です。これでいいのではないんじゃないでしょうか。
不思議なことに、自民党もこれで結党以来の党是を実現できることになります。
六、独立体制の整備
平和主義、民主主義及び基本的人権尊重の原則を堅持しつつ、現行憲法の自主的改正をはかり、また占領諸法制を再検討し、国情に即してこれが改廃を行う。
世界の平和と国家の独立及び国民の自由を保護するため、集団安全保障体制の下、国力と国情に相応した自衛軍備を整え、駐留外国軍隊の撤退に備える。
この自民党の結党時の綱領に述べられている「集団安全保障」というのは国連による安全保障のことを指しています。自衛軍と国連の安全保障のもと、駐留外国軍隊に撤退してもらうということです。これ、ベストな選択じゃないですか?
自民党も大筋で反対はできないはずです。こうして左派リベラルの改憲論は現状無敵のワイルドカードとなります。むしろやりようによっては、憲法改正に反対する自民党という構図すら出来上がるわけです。
本当の「デモクラシー」とは -憲法9条を「原理」として再確定させるために
しかし国民の憲法改正の是非の世論は拮抗しています。柄谷行人は、憲法第9条が日本人の「超自我」として働いて内面の規範となっていると言います。
戦後日本の憲法、特に戦争放棄を掲げた第九条が占領軍によって押し付けられたことは明らかである。だが、そうなら、なぜそれを改定しなかったのだろ うか。先ず、この憲法を強制したアメリカ自体、中国での革命と朝鮮戦争という切迫した状態のなかで、日本に再軍備を要求してきたのである。ところが、日本 政府はそれを拒否した。それは安全保障をアメリカに任せて日本は経済再建に専念しようという宰相吉田茂の高等な戦略があったから、ではない。憲法第九条の 改訂が国民の圧倒的多数によって拒否されることが明瞭だったからである。その結果、日本政府は(防衛のみに限定されると称して)自衛隊を作り、事実上なし 崩しに憲法の解釈を変えてきたが、いまだ選挙において、憲法改正を公然と主張することはできない。激しい拒否に会うことが明白だからだ。
一方、平和憲法が左翼のプロパガンダのせいだといわれるが、これも的外れである。マルクス主義者が軍備放棄の政策をとることはありそうもない。たと えば、共産党は戦後日本をアメリカに植民地的に従属しているとみなし、民族独立の軍事闘争を主張した。一般的にいって、戦後左翼はブルジョア国家の軍には 反対したが、人民軍は肯定したのである。。それは新左翼派の多くにおいても同じであった。総体的に、戦後左翼は第九条を保持したというより、それを利用し ようとしただけである。それさえいっておけば、選挙において一定程度保守派に対抗できたからである。したがって、第九条が存続してきたのは、左翼のイデオ ロギーが支配的だったからではない。その逆に、目本の左翼もまた、第九条を支える「何ものか」に支配されてきたのである。
『定本 柄谷行人集〈4〉ネーションと美学 』柄谷行人
「何ものか」に支配された状態が健全であるのかどうか。柄谷行人は、憲法第9条を押し付けられたのもアメリカからであり、さらに憲法第9条を破棄して再軍備するように押し付けられたのもまたアメリカだという認識のもとに、現在いわば政体が二重化していると指摘します。それが憲法外の力を招き寄せているのではないかということです。
現実に憲法に反することを、憲法に従うといいくるめるような状態は異常であり、外国に通用しないだけではなく、国内的にも危険です。憲法上存在しえないはずの自衛隊が法律上存在するならば、憲法は何も決定しないことになる。法体系そのものが「決定不能」になる。いいかえれば、憲法外の力が優越することになる。具体的に言えば、自衛隊(軍隊)を抑えるものが法的に存在しなくなってしまい、海外派兵だろうと何であろうと、既成事実を追認していくことになってしまいます。こういう状態は危険です。自衛隊を文字どおり「自衛」に限定するものとして憲法上確認すべきだと思います。いうまでもなく、それは現憲法を「原理」として確定するためです。
『<戦前>の思考 (講談社学術文庫) 』柄谷行人
法体系が内包する矛盾から決定不能性に陥った例は、戦前では「統帥権の独立」というものがありました。これによって議会も司法も行政もコントロールすることができないモンスター、軍部の暴走が始まったのです
仮に右派のみなさんがいうとおり憲法第9条が押し付けられたものとしても、左派のみなさんがいうとおり再軍備も押し付けられたものとしても、それを自分たちの意思で選択して「原理」として確定させれば、それは自分たちのものです。
そしてそれが本当の「デモクラシー」なのではないでしょうか。そしてそれが日本史上初めて市民が選択したネーションとなるわけです。
左派リベラルの皆さんからすれば、左派から憲法改正なんてありえないという感じになるかもしれません。
ここで想起しましょう。
明治維新は尊王攘夷の志士によって成し遂げられました。彼らは後に文明開化を日本の原理としました。が、彼らはもともとは「攘夷」の外国人排外主義者だったのです。
韓国の安重根を「テロリスト」と認定する右派の方も多いでしょう。確かにテロでした。しかしよくよく考えてみれば日本の明治維新を成し遂げた志士たちはほとんど皆がテロリストでした。安重根に暗殺された伊藤博文も幕末には品川の英国公館を焼き討ちするなどのテロを繰り返していました。
そんな彼らが180°変わった。攘夷のテロを繰り返していくうちに外国勢力に散々にやられ、そのうちいつの間にか「攘夷」がなくなり、いつの間にか討幕が目的となりました。それどころか積極的に英国の支援を得てきました。政権が取れたのはこれが故です。
私は、左派リベラルの21世紀の攘夷政策を止め、むしろ自分たちが反対してきたものを「原理」として奪取してしまうことが、賢いやり方と思っています。そしてそれを有権者の2/3は必ず支持するでしょう。
安保法制反対派の左派リベラルの方は、かつてなかった世論の盛りあがり、さらにはこれまでなかった政党との連携が獲得できて、見事に敗北主義を貫きとおしました。
しかし、そんなに甘いものと思えません。
サイバーカスケードの渦に巻き込まれてタコ壺化すると、現実的な流れを読むことが出来ません。戦術的な勝利宣言はいくらでもやっていただいたうえで今の世論を読むことです。そうしないと自分たちの声が共鳴して、あたかも本当に勝ったかのように思えてきてしまいます。
左翼とは理念から出発するのではなく現実から始めるもの、これにて進めていただければと願ってやみません。
左翼とは何かを探しつつあるものだけが左翼なのだ。
『ハイ・イメージ論 』吉本隆明
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