-->アメリカの福祉制度改革 / 「プレシャス」 リー・ダニエルズ - Football is the weapon of the future フットボールは未来の兵器である | 清 義明

アメリカの福祉制度改革 / 「プレシャス」 リー・ダニエルズ

この記事は約4分で読めます。


義父に性的虐待をうけ、その父の子供を2人身ごもる。ひとりはダウン症の障害児。
母はサギまがいに生活保護を受給していて一歩も外に出ることはなく、彼女を家庭で虐待している。
100キロはゆうにあろうという黒い巨体で数学を得意とするが、一方で英語は読めず、やがて妊娠が学校にバレて退学処分となる。
さらには義父がHIV感染者とわかり、案の定彼女までもが感染していた。
1980年代中ごろのニューヨークのハーレムの考えうるかぎりの弱者の社会状況の悲惨なケース・スタディともいえる映画の設定。
ポイントが、この映画が20数年前の物語というところだ。
では、現在ではアメリカはどのようになっているか・・・そんなことを考えざるを得ない。

1996年にアメリカでは大規模な福祉制度の改革が行われた。
それは、この映画のモニークが演じる母親のように福祉制度にすがった家庭がかえって福祉制度ゆえに貧困や家庭の問題を再生産してしまうのではないかという反省からだった。
シングルマザーで生活保護を受けている女性を「ウェルフェア・マザー」と呼ぶらしい。
そして、このウェルフェア・マザーが、実はその生活保護ゆえに自立の阻害要因となってしまい家庭の崩壊を招く80年代の状況は、この映画によく書かれている。
一方で、これらの女性や児童が、深刻なメンタルヘルスが必要な状態に追い込まれていたり、就学の機会が与えられずに、結局は元の「ウェルフェア・マザー」や子供たちもウェルフェアマザーになるべく育ってしまう環境から抜け出せないという問題もあったという。
96年の福祉改革により、受給要件や受給にもとづく義務を厳格化したため、生活保護をうける世帯は激減した。しかし、それらが事態の改善に結びついたかといえばそういうことではなく、ただ単に本格的な貧困に陥る家庭を増やすだけになるだけと予測されていた。
未就学児童に対する教育の機会創出や、虐待児童に対する保護機関、メンタルケアのための施設など、たぶんこれは80年代にアメリカがチャレンジしていた社会的プログラムのことで、もし生活保護による貧困の連鎖を止めるためには、このようなことがさらに必要になることは明らかだ。
実際に生活保護の受給条件の厳しい州ほど、児童虐待のようなDVや家庭崩壊を招いていることになっているだろうことは、そういう意味では想像できる話だ。
なお、生活保護の受給条件は黒人のようなカラードが多い地区ほど厳しいとのこと。
なお、アメリカでは600万人の人が無収入に近い状態でフードスタンプ(食料を無償でもらえる制度)をもらっている。
この映画は、上記のような考え方をほぼ踏襲してつくられた映画である。
生活保護にすがること貧困と暴力の連鎖を断ち切るためには、自助努力が必要である。
そのために社会的なプログラムを整備して、この映画の主人公プレシャスのような人にも自立できるような手助けを与えるようにしなければならない。
オバマの医療保険制度の改革(国民が全員医療保険に入る、日本ではあたりまえの制度)がアメリカで大きな賛否をまきおこし、オバマは社会主義者だ!と真剣に批難される国が、実はアメリカの実態なのである。
しかしまた一方で、アメリカのセーフティーネットが、たくさんの慈善家やボランティアやNPOによって進められている事実もある。
この映画で出てくるEOTO(Each One Teach One)のような教育支援制度や、マライア・キャリーが実に自然な演技で好感がもてる役を演じた児童虐待などの家庭問題をケアするソーシャルワーカーなど。
この映画は、最初から最後まで徹底的に女性による女性のための自立をモチベートする仕掛けになっているところも見逃せない。
まともに出てきた男性はレニー・クラビッツのナース(!)のみ。レズビアンの教師も女性だけでの自立をはかっている存在であることにも注目しよう。
96年の福祉改革からすでに14年の時間を経ても、この80年代の問題は依然として現実にあるのだ。貧困と抑圧と暴力に苛まされた女性よ、自立せよ。そういうメッセージがこの映画には大きなテーマとして扱われている。
映画の女性主人公の悲惨に目を奪われすぎると、このテーマは見えてこない。
以上が、この映画を観るにあたってポイントとしておさえておきたい前提知識。
それでは、自分がこの映画に納得して観たのかといえば、クエスチョンマーク。
ぶっちゃけ、この主人公女性に対する上から視線のようなものが、たえず気になって仕方なかった。
この映画が、このオバマ政権下の時代に出てくる政治的な意味を繰り込むと、どうしてももやもや感がのこって仕方がない。

マライア・キャリーもよかったし、何よりもレイン先生役のポーラ・パットンが素晴らしい。
しかし、ダウン症の子供を含めて2人を育てる黒人のHIVキャリアのシングルマザーに、自立しなさいというメッセージだけが適切なことなのだろうか。
もやもやもやもや。

FWF評価:☆☆☆★★

コメント

  1. 『プレシャス』('09)

    社会の底辺、人生の底辺、いや、ドン底にもほどがあるだろうと、ガツンドカンとやられる。
    とりあえずおおまかなあらすじは↓な感じです。
    <あらすじ>
    実父によって妊娠を2度させられ、母親(モニーク)からは精神的にも肉体的にも虐待を受ける16歳の少女プレシャ

  2. 『プレシャス』’09・米

    あらすじ1987年のニューヨーク、ハーレム。16歳の少女プレシャスのお腹の中には子供がいた・・・。感想アカデミー賞脚色賞『ファット・ガール 愛はサイズを超える』のモニー…