スパイク・リーのイタリア固執がここまで / 「セントアンナの奇跡」 スパイク・リー 【映画】

◇「セントアンナの奇跡」公式サイト

スパイク・リーは本当に大好きな監督ですが、この作品については残念ながら評価するのが難しいことになってしまいました。
アメリカ最初の黒人兵部隊のバッファロー・ソルジャーが、実はイタリアの山岳地帯に残る伝説の眠れる人だったという背景をベースに、黒人差別やナチの暴虐をフックに物語を展開させていきますが、細かいところで作りこみを欠いた脚本がそのまま放置されています。
設定はとても面白いです。それを、いつものスパイク・リー節で、白人のバカどもをあげつらうところも自分が好きなところです。
そういえば、第二次世界大戦ではイタリア戦線に日系日本人部隊の投入されていましたね。日本人に対するその頃のアメリカにおける被差別者としてのシンパシーもうれしかったです。
ところが、肝心の黒人兵士の殺人の動機も、その偶然性の不可思議さも、それが最後に救済?されラスト・シーンも、果たしてこれでいいのでしょうか?
ここまで村民を虐殺しまくっていたドイツ人将校が、黒人相手にルガーのピストルを渡すシーンもよくわかりません。あれ、意味わかる人いるんですかね?唐突すぎます。
全体に、脚本に対して非常に残念な思いが残ります。
考えるに、この映画はこの監督にとって、相当転機になるべくつくった作品なのではないかと思います。そういう風に、ポジティブに考えて次作を待つことにしましょう。
戦闘シーンも、弱者に対する視線からつくられていて、それが映画としてパワーを発散しています。ここを肯定的に評価することはできるでしょう。
この監督は、物語の導入に、必ず足元にカメラを寄せて、はいつくばるような視点から物語を開始するのですが、今回も冒頭部分に、そういうシーンがありましたね。
これは、オレは地べたからの視線で映画を撮ってんだから、そういう風に見てくれ!という、一種の監督心意気です。こういうところは大好きです。
が、なんだか流行なのか知りませんが、戦闘がらみのシーンで、デジタル処理で色合いを退色させるのはどうなんでしょうか?
マーチン・スコセッシは、あの「タクシー・ドライバー」で、あまりに流血シーンが多いために、配給元から、これでは残酷すぎて配給できませんと言われて、キレまくりながら号泣しながら、オリジナルプリントからわざと血の色が出ないように退色させたということです。
が、戦争映画で血の色をリアルに出さないように退色させるのは、自分としては今の時代にやるべきことなのかと疑問に思います。
「いのちの戦場-アルジェリア1959」もそうでした。
「チェチェン-アレクサンドリアの旅」も、戦闘シーンが全く出てこない銃後の戦争映画なんですが、これもまた全編退色させていました。蓮実重彦の「全編に緊張感を隅々までいきわたらせる」とか映画評を書いていた「アレクサンドリアの旅」でしたが、なんだかうまくおっさんの宣伝文句にのせられたなあ~と映画館を出てから悔やみました。
いずれにせよ、すみません、この映画は脚本が破綻しています。
・・・さてさて、これまでが映画として単体の評価ですが、見終わってやはり不思議に思うのは、スパイク・リーのイタリア人に対する固執の部分です。
映画のあらすじを見たチラシレベルや予告編で知った段階では、気づかなかったんですが、これは「ジャングル・フィーバー」や「ドゥ・ザ・ライト・シング」で、重要な役どころを得ていた、イタリア人に対するシンパシーがベースになっている物語ですね。
ここはひとつ注目していい点だとは思います。
アメリカで、同じ被差別の境遇にあった白人コミュニティとして、イタリア人を描き出し、その越境するスリルや愛憎を、アメリカの都市部の物語として描き出していたあのスパイク・リーが、ついにイタリア本国に乗り出した!という感想です。
たぶん、スパイク・リーは、いつかもっとイタリアに核心をおいたテーマの映画をつくるんじゃないでしょうか。
イタリアとアフロ・アメリカンの関係という設定が、20世紀のポジションでどのように描けるか・・・そんなことを考えていたスパイク・リーにとって、イタリア戦線のバッファローソルジャーは、撮らなければならないテーマだったのかも知れません。
数年後、それがどこまで踏み込まれるか。ちょっと予言めいた話ですが、個人的に注目してみましょう。
この監督に期待するところが大きい故、採点は辛口になります。
FWF評価 ☆☆★★★

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