岡田武史バッシングのレベルの低さに唖然とさせられる3つの理由

東アジア選手権での「失態」により、岡田武史監督の更迭論が噴出していて、ちょっとした騒ぎだ。
これを受けて、JFAまでもが、急遽事態の沈静化に動いている。

□岡田監督でワールドカップを戦う
ワールドカップで優勝に導いてくれるというなら、それだけ投資しても起用する価値はあるのかもしれませんが、それが分からないのがサッカー。いくら名将と言われる監督でも、その監督のコンセプトややり方がチームに根付くのに一定の時間を要しますから、いずれにしろ、非常にリスクを伴うものなんです。

このような続投宣言が出されることも少し異例のこと。協会も、相当の突き上げをくらってきているのでしょう。
自分もそういう世論めいたものをひととおりチェックしているわけですが、なんだか違和感が最初から強くあり、そのうちエキセントリックでほとんど意味をなさない批判や、ほとんど個人攻撃に近いようなネタまで出てきはじめて、だんだん不愉快になってきている。
なんといっても、自分は岡田武史とともに、サポーターと監督という遠い距離ながらも、4年間喜びも悲しみも共有してきたことがまずはある。
そして、なによりも、4回もこの人に頂点に立たせてもらった恩義がある。
この感覚は、この時期にヨコハマをサポートしてきた連中と、J2から昇格してきた経験のある札幌の連中とで、共有するものと、まずは信じたい。
しかし、その個人的な感情や想いはさておきながら、この東アジア選手権からの采配否定・・・いや、それだけならまだしも、トンチンカンな当てこすりや代表監督に求めることかというようなものまで押しつけられて、そのうえでワールドカップの4ヶ月前で監督を変えろなどという話になっているのは、さすがに少しどうかと思い出した。
この違和感とツバをはきかけたくなるような個人攻撃の不愉快さの出所をまずは整理してみたいと思う。
(1)まずは、この試合に真剣になる意義があるのか?
「東アジア選手権」といっても、オヤジである自分には今ひとつピンと来ない。
ああ、ダイナスティカップのことね!というところで、この大会の意味がやっとみえてくる。
1990年代、ダイナスティカップは、現在のように豊富な国際マッチが組めなかった時代には、それなりに重要な試合だったのを思い出しながら。
それは懐かしい時代の話である。
その頃のダイナスティカップはマルボロがスポンサーだったりしたのをまずは愛煙家の自分は想起する。
さらには、代表の強化のために海外遠征するのはいいが、クラブチームと試合をやっていた時代のことも。
その頃はなんとも不思議に思わず、むしろ夢ふくらませる話だったのであるが、ユーベやミランやレッチェとやって、しかもボロカスにやられていたのである。
代表が、「国際試合」として、海外のクラブチームと試合をやらなくなったのは、90年代中盤からの話である。
そんな時代の本当のナショナルチームとの国際試合だから、ダイナスティカップには、それなりに気合がはいっていた。
押入れをひっくりかえすのが面倒なので引っ張り出しはしないが、95年のダイナスティカップは「市販」の大会ビデオをもっていたはずだ。ダイナスティカップで公式ビデオが販売できる、そんな牧歌的な時代。
そして、その頃は、だからこそ本気だった。
そういえば、チェヨンスが日本-韓国戦で同点ゴールを決めたあと、日本のベンチ前に挑発に来たのが問題になったのも、ダイナスティカップだったはずだ。

◇ダイナスティカップ
1990年 第一回(北京) 0勝3敗0分【4位】
1992年 第二回(北京) 2勝0敗1分【優勝】
1995年 第三回(香港) 2勝0敗1分【優勝】
1998年 第四回(日本) 2勝1敗0分【優勝】

時代は変わって、ポストワールドカップ日韓大会。
その頃には、すでに旧式のナショナルゲームを戦わなくてよいようになっている。
正直、公式戦といっても、キリンカップと同等に、東アジア選手権の価値も暴落している。そこから、当たり前のように結果はついてきていない。

◇東アジア選手権
2003年 第一回(日本) 2勝0敗1分【2位】
2005年 第二回(韓国) 1勝1敗1分【2位】
2008年 第三回(重慶) 1勝0敗2分【2位】
2010年 第四回(日本) 1勝1敗1分【3位】

日韓の定期的な試合も、すでにこの頃は、ファンの間で、韓国のあまりのラフプレーに煙たがられるような存在になっていたし、中国のラフプレーはさらにアジアカップやACLを戦うなかで、知られてきている。
自分は、2005年のACLで反日気運が政治問題化しつつある最中に山東に岡田武史監督時代のヨコハマのサポーターとして行き、そのすさまじいラフプレーを目の前で見ている。
すでに、このような大会で本気を出す理由はなくなってきているのである。
2010年のこの大会は、時期はこのクソ寒い2月。
しかもナイトゲーム。
オフシーズンのど真ん中でコンディションは保証できない中、自分が監督だったらまず考えるのは、本戦に向けてケガ人を出すのはマイナス以外なにものでないということ。

しかも相手は中国と韓国だ。
何が何でも勝つ・・・特にワールドカップの本大会の出場権がない中国は、ここに狙いを絞ってきている可能性は高く、それなりのリスクをかけて試合に臨まなければならない。
後述のとおり、岡田武史のチームマネジメントは選手を徹底的に変えない。
むしろチームの錬度やフィロソフィーを共有することで、ブレイクスルーを狙う、不器用なものだ。
だから、ここではケガ人は怖い。
リアリストとして最後の結果を出すことに狙いを絞る勝負師であるならば、賢い選択をするだろう。
つまり、この大会は、麻雀の勝負に例えるならば、最初からおりてていい。

ACLで全試合本気でいったときに、チームがどのように解体されてしまうのか、ヨコハマの監督とサポーターは知っている。
勝ちに行くのは、全力で行かねばならないのはまだ先のはずだ・・・勝負師ならば、そういう計算は普通のことだろう。
勝敗にエキセントリックになっている人は、ノックアウトの大会の怖さも戦術も、多様なものがあるということを果たして理解しているのだろうか。
(2)岡田武史のサッカーを知っていて代表監督として追認したはずでは?
岡田武史が代表監督に就任の報を聞いてからしばらく、自分はまわりの人間にこのように感想と予測を吹聴していた。
つまり、岡田武史はクソつまんねえサッカーやるぞ、戦術とか采配とか一切期待してはいかんぞ、そして最後の最後には根性サッカーでやりとげようとするぞ、と。
それは、岡田武史にヨコハマでの4度の優勝を一緒に体験したものとしての正直な感想であった。
今回意外なのは、そして少しでも岡田采配やそのサッカーを、少なくともサッカーの玄人の立場で見ている人は百も承知の話かと思っていたのだが、それは全く違って、結局岡田武史のサッカーを4年間、彼らは何も見ていなかったということだった。
岡田武史はいつだって愚鈍なサッカーしかしなかった。札幌も横浜もそれはよく知ってるだろう。
愚直なサッカーでありながら、そしてリアリストとして最後の最後に結果を出してきた。

今でも忘れられない2004年のACLグループリーグのアウェイ韓国での城南一和戦、その同じ年のチャンピオンシップ浦和戦、この戦いは全く同じ戦いをして、全く同じ人のゴールで勝った。愚直も愚直、浦和を出されてからヨコハマでレギュラーを勝ち取った愚直の志を体現するようなボランチの2つのゴールだ。
それでも人心を収攬し、最後の最後で闘う集団にチームをまとめあげ、結果を出してきたのが岡田武史。
農民のような、ファンタジーから遠く離れたリアリズムが岡田武史の持ち味である。
自分は少し勘違いしていた。
日本のサッカーの今後を憂うような高邁な批評精神を持っている人が、こんな岡田武史についての基礎知識すら欠けているとは!
それをいまさら、あんな練習試合程度の花試合でガタガタ騒いでいるなんだから、それは少なくともJを二年連続して制してアジアで戦ったチームの戦い方について何も知らなかったということではないか!
そういう意味で安易な批判者のサッカー見識を疑わざるを得ない。
その批判が許されるのは、就任した直後だけだろう、プロとして。
2002年ワールドカップの観戦記として出た「蹴球日記」で岡田武史は、「美しいサッカー」のフランスが敗北したことに幻滅を覚えたと述懐しながらも、大会のベストゲームをアイルランド-ドイツ戦としながら、「激しいがフェアなプレー、どんな状況でもベストをつくす闘争心、全員がチームのためにプレーしている姿」に感銘をうけている。
そして、自分はその理想が具現化した姿をこの次の年に見ている。
(3)空席の原因は代表監督が負うものなのか?
日本のサッカーファンも目が肥えてきているというのは、少しずつ実感するところである。
ただし、それはコアやその周辺の人たちに限ってのことなのではあるのだが。
ダイナスティカップの時代ならいざ知らず、このクソ寒い2月の花試合同然のトーナメント戦、しかもナイトゲーム、香港や中国の試合に客が入らないのは、むしろそれだけ選択することができるようになってきたというべきではないか。
そして日韓戦は当然見所が違うから、ちゃんとファンはやってくる。
コアにとっての代表からJのチームへの移項も大きい。かく云う自分もそうなのだが。
サッカーは着実に代表を頼らなくてもよいモデルに強くなりつつある。
代表戦は、いったい年に何試合あるのだろうか。JリーグのTOPから地域リーグにいたる試合は、年に何試合あるのだろうか。
サッカーの発展とか将来を心配するなら、単純な代表によるシャワー効果に頼ることからの離脱をまずは考えなければならないはずだ
ここまでの代表からJへの日本サッカーサポーターのパラダイムシフトの話は、必ずしもそれが正解というわけではないので、相互補完的にあるべき話なのを誤解なきように付け加えておく。
ただし、代表はクラブ文化の発達とともに、いつかは今日のような影響力を失っていく存在になるのは間違いない。
代表に依存するサッカーカルチャーをつくりだすためのマーケティング的申し子を、自分はエルゴラッソの対談か何かでかつて「川淵チルドレン」と呼んだことがある。
それは、川淵前会長の功績でもあり良し悪しの部分がある。自分は肯定的に評価することもある。
しかし、その人たちは大量にあらわれた大量に離脱していく。
ライブやテレビのイベントのようなマス・マーケティングで動員された人は、時にパワーを発揮するが、それは本当のカルチャーとはいえない。そんなことはJリーグの創成期に苦くわたしたちは味わったはずではないか。
ジーコ元監督が起用されたときも、その知名度や人気度というものがひとつの要因になっただろう。
しかし、その頃、そのマーケティング的な代表監督のピックアップをさんざん批判していたのはいったい今どこにいるのだろうか。
まさか、岡田武史のインタビューではマスコミネタにならない、新しい選手を起用しないから観客が減る、定食のようなメンバーにみな飽き飽きとしてそれが客足を遠のかせている・・・そんなことを今になっていっているとしたら、それは唖然とするしかない。
代表監督に、空席の責任を押し付けるのなどは、まさしく愚の骨頂。
いつからそんな客寄せの役割を代表監督が担わなければならなくなったのだ?
オシムのように老獪に箴言めいたことをつぶやくリップサービスが必要ならば、それは代表監督もたいへんな仕事になったものだ。
そんな日本人監督がいるのだろうか、とも思う。少なくとも西野や大木というような監督だったら、もっと口数は少ないだろう。
通訳を経て、饒舌にしゃべる外国人監督だけが、揚げ足やたいしてサッカーのことも知らない記者に囲まれたときに、そのフィルターを利用して、リップサービスをつぶやくことができるだろう。
サッカーを盛り上げていく、100年の長きにわたって文化に成熟させていくための責任は、わたしたちひとりひとりにある。マスコミもサポーターもプレイヤーも監督も、その責任は等しく同様だ。
ましてや、自分が「サポーター」と名乗っているならば、そこから無責任でありえない。
代表監督にマーケティングや客の入りまで背負わせるのは筋違い、そんな当たり前のサッカー的な常識が通用しないほどのエキセントリックな低レベルの論調にイライラする気持ちをわかる人間はいないのだろうか。
挙句の果てには、娘の就職がどうしたのだの、広告契約がどうのだの、下衆な勘ぐりと中傷が大手をふってまかりとおっている。
サッカーの選手や監督は、ウイイレやサカつくのパラメータやキャラではない。
冷静で適格な批判ならまだしも、客が入らないから、サッカーの未来が暗くなるからどうのだの、それは代表監督に求める話しなのか。
いったい皆がほしいのは、サッカーの人気か、選手人気か?それとも勝つことなのか。
トルシエはマスコミに持ち上げられる選手やチームの雰囲気を徹底的に毛嫌いして、スポーツ新聞の一面に選手が出ることすら嫌悪していた。
トルシエのこの発想は、たとえ極北であったとしてもそれなりに尊重されてもいい考えではないのか。
だとしたら、客が入らないから、記事にならないから、そんな理由で代表監督を批判することは、あまりにもアホらしいのではないのか。
犬飼会長の「決断」が、どこまで真意なのかはわからない。
ただし、組織のTOPとしては、極めて懸命な対応をしたといえよう。
今は、内省を欠いたエキセントリックな、言論に対しては守るべきものを守るときだ。
それが例え、裏では万が一のことを考えて準備をしていたとしてもだ。
バッシングもサッカーを盛り上げることというのはわかっているにしても、これらのレベルの低い言論で岡田武史と日本サッカーに対してマイナスになることは避けたいところだ。
今回のこの時点で、唯一、自分が納得できる意見を表明したのは湯浅健二氏だ。

結果は残念なものになってしまったけれど、日本代表が志向しているサッカーのベクトルは大正解だし、逆に「それしかない」とも言える。そして岡田武史監督は、とても良い仕事をしている。もちろん「訳の分からないノイズ」に悩まされることはあるだろうけれど、そこは「鈍感力」で乗り切りましょう。まあ、岡田武史だから、そんなことは言う必要なんてないよね。
-ガンバレ岡田ジャパン」っちゅうニュアンスのコラムになりました

自分は、今でも覚えている。
2004年のチャンピオンシップの死闘、そしてそれを的確にまとめていた浦和サイドの一名のレポートを。
それが湯浅氏であった。

岡田武史はフォックス(したたかな勝負師)だから
□2004サントリーチャンピオンシップ第一戦・・フォックス(したたかな勝負師)岡田武史の面目躍如

愚直でありながら、リアリストの勝負師。
人心を収攬し、それぞれに全力を尽させ、本番一発にかけること。
これらを自分は、4年間立ち会いながら、「サポーターはチームとともに闘うなかで 感動を得る。ファンはお金を払って感動を買う。」 (岡田武史)という哲学を教わり、そしてそれに鼓舞されてきた。
その場に立ち会ったものならば知っているだろう。
このことを体験者として最後に付け加えておきたい。
久々にサッカーのこと書きました(笑)

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