腐って発酵したリンゴは凍った手を温めてくれた / 吾妻ひでお「失踪日記」


◇「失踪日記」吾妻ひでお
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以前、鴨川つばめがどのようになってしまったかを、その本人のインタビューで知ったときには大変な衝撃を受けた。
鴨川つばめの場合、あの名作「マカロニほうれん荘」の最後は明らかに作品そのものもおいつめられていて、リアルタイムの連載を追っていた小坊の自分でさえ、そのただならぬ気配に連載の終わりを察知することができた。
その後にマカロニほうれん荘は「2」としてよみがえることになるが、その筆致は最後まで回復することがなく、そして鴨川つばめは本当にいなくなってしまった。
天才というのは、天才であるが故に追い詰められるときがあるのだと思う。
ランボー、ジミ・ヘンドリックス、ジャコ・パストリアス、皆天才であるが故に世に出たときから晩年を迎えていたかのような人生を歩んだ。
吾妻ひでおの書き下ろし失踪日記が凄いという話を聞きつけて、さっそく取り寄せてみたのだが、本当にショッキングなマンガであった。
ショッキングというのは、必ずしもその取り扱った題材のことだけではない。
確かにその漫画には、作者本人が「全部実話です」と言い切って語る、自殺未遂・失踪・浮浪者生活・アルコール中毒の日々が書かれている。
が、そこにはひとつの悲惨さや悲哀は感じられないばかりか、なぜそのような生活に至らねばならなかったかすら書かれていない。
吾妻ひでおの例の自分を模したキャラクターが、ひょうひょうとまるでキャンプ生活でも繰り広げるかのように、浮浪者生活やアルコール中毒で強制入院された姿が書かれているだけだ。
言葉にすると難しい。悲惨さはこの漫画からはいっぺんも伝わってこない。それぐらいに、このマンガは「ポジティブ」である。伝わらせないことを表現とするということもあるのだな、と思う。
吾妻ひでお特有のまんがのディスクールは、もちろんこんな悲惨を書くことには向いていない。だから可能だったとも思う。鴨川つばめも、こうして自分を客体化して遊べる余裕があれば・・・とも思う。
この漫画は何も主張しない。何も言い募らない。そして、時折だけ詩的なシーンを垣間見せる。
深夜に町を徘徊し、明日の食べ物を探してゴミ袋をあさり続ける日々、あるとき団地のゴミ集積所で腐ったリンゴを手にする。その腐敗したリンゴは微生物の生命活動のせいで暖かいのだ。
そんなシーンが、本当にさりげなく埋められている。
何事もなかったかのように物語は展開され続け、そして、それは読むものに何かを忘却させたまま、マンガならではの愉楽をつくりだすなか、そんな詩的で物語的なシーンは、ひときわ輝く。
シケモクを探して深夜の路上を徘徊する作者は、あるとき何かの犯罪者と間違えられて警察に捕まる。取調べの中で、この人が「吾妻ひでお」と知った警察官に色紙を求められるシーンもいい。色紙のキャラクターの横に一言添えてほしいと書かされた言葉は「夢」。
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そうか、このマンガは現代の「夢」を語ろうとする話だったのか、とこのシーンを見て本当にうなったよ、オレは。
(初出2005.12.04)

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