「天皇陛下にささぐる言葉」 坂口安吾 -人の家の世継の話


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(本文は、皇太子夫妻に跡継ぎが未だ授からぬところから巻き起こった、皇室典範について議論も含む、一連の騒動?を前にして書いたもの。初出、2006年02月09日)

人の家の世継ぎの話になんでこんなにみんな一生懸命なんだろう。

そして、よくよく考えてみれば、これほど卑しい話はない。

 

 私は天皇制についても、きわめて日本的な(したがって独創的な)政治的な作品を見るのである。天皇制は天皇によって生み出されたわけではない。
天皇は時にみずから陰謀を起こしたこともあるけれども、概して何もしておらず、その陰謀は常に成功のためしがなく、島流しとなったり、山奥に逃げたり、そして結局常に政治的理由によってその存立を認められてきた。

社会的に忘れられたときにすら政治的に担ぎ出されてくるのであって、その存立の政治的理由はいわば政治家たちの嗅覚によるもので、彼らは日本人の性癖を洞察し、その性癖の中に天皇性を発見していた。

すくなくとも日本の政治家たち(貴族や武士)は自己の永遠の隆盛(それは永遠ではなかったが、彼らは永遠を夢みたであろう)を約束する手段として絶対君主の必要をかぎつけていた。(中略)天皇を拝むことが、自分自身の威厳を示し、また、みずから威厳を感じる手段であったのである。

-坂口安吾「堕落論

藤原氏の昔から、もっとも天皇を冒涜するものがもっとも天皇を崇拝していた。

-坂口安吾「続堕落論

万世一系のその一家は神聖にして犯すべからず。

世継ぎが生めない嫁はいたく傷ついていることだろうけど、そんなものは制度や記号として、あの一家を見ている人には関係ないことなんだろうなあ。実に大権、神聖にして犯すべからずである。

普通の家の普通の話。

だが、制度の中にある現人神の場合、人間としての尊厳や家族の価値といったものは与えられていないらしい。大変なことである。

 

 天皇というものに、実際の尊厳のあるべきイワレはないのである。日本に残る一番古い家柄、そして過去に日本を支配した名門である、ということの外に意味はなく、古い家柄といっても系譜的に辿りうるというだけで、人間誰しも、ただ系図をもたないだけで、類人猿からこのかた、みんな古い家柄であることは論をまたない。

(中略)

国民の沿道の歓呼というようなものを、それを日本の永遠なる国民的心情などとお考えならまことに滑稽千万である。

一種の英雄崇拝であるが、英雄とは、天皇や軍人や政治家に限らない。映画俳優もオリムピック選手も英雄であり、二十歳の水泳選手は、たった一夜で英雄になり、その場に於いては、天皇への歓呼以上に亢奮感動をうけ、天皇と同じように、感動の涙を以ってカッサイせられる。

これを人気という。人気とは流行である。時代的な嗜好で、つまり天皇は人気があるのだ、特に地方に於いて人気がある。田中絹代嬢と同じ人気があり、それだけのことにすぎない。
ところが田中絹代嬢の人気は彼女自身が自らの才能によって獲得したものであるのに、天皇の人気は、そうではない。

(中略)

田中絹代嬢の人気は、まだしも、健全なる人気である。実質が批判にたえて、万人の好悪の批判の後に来た人気だからだ。

天皇の人気には、批判がない。一種の宗教、狂信的な人気であり、そのあり方は邪教の教祖の信徒との結びつきのあり方と全く同じ性質のものなのである。

(中略)

人間が受ける敬愛、人気は、もっと実質的でなければならぬ。

天皇が人間ならば、もっと、つつましさがなければならなぬ。天皇がわれわれと同じ混雑の電車で出勤する、それをふと国民が気づいて、サアサア、天皇、どうぞおかけください、と席をすすめる。これだけの自然の尊敬が持続すればそれでよい。天皇が国民から受ける尊敬のあり方が、そのようなものになるとき、日本は真に民主国となり、礼節正しく、人情あつい国となっている筈だ。

私とても、銀座の散歩の人波の中に、もし天皇とすれ違うときがあるなら、私はオジギなどしないであろうけども、道はゆずってあげるであろう。天皇家というものが、人間として日本人から受ける尊敬は、それが限度であり、又、この尊敬の限度が元来、尊敬というものの全ての限度ではないか。

天皇が人間の礼節の限度で敬愛されるようにならなければ、日本には文化も、礼節も、正しい人情も行われはせぬ。いつまでも、旧態依然たる敗北以前の日本であって、いずれは又、バカな戦争でもオッパジメテ、又負ける。性懲りもなく、同じようなことを繰り返すにきまっている。

本当に礼節のある人間は戦争などやりたがる筈はない。人を敬うに、地にぬかずくような気違いであるから、まかり間違うと、腕ずくでアバレルほかにウサバラシができない。地にぬかずく、というようなことが、つまりは、戦争の性格で、人間が右手をあげたり、国民儀礼みたいな狐憑きをやりだしたら、ナチスでも日本でも、もう戦争は近づいたと思えば間違いない。

(中略)

坂口安吾全集〈15〉 (ちくま文庫)
陛下は当分、宮城にでもとじこもって、お好きな生物学にでも熱中されるがよろしい。

そして、そのうち国民から忘れられ、そして、忘れられたころに、東京もどうやら復興しているであろう、そして復興した銀座へ、研究室からフラリと散歩にでてこられるがよろしい。陛下と気のついた通行人の幾人かは、別にオジギはしないであろうが、道をゆずってあげるであろう。

そのとき東京も復興したが、人間も復興したのだ、否、今まで狐憑きだった日本に、始めて、人間が生まれ、人間の礼節や、人間の人情や、人間の学問が行われるようになった証拠なのである。

-坂口安吾「天皇陛下にささぐる言葉

かくして、東京は復興したものの、人間はまだ復興することはなく、狐憑きは女性週刊誌やらネットに居残りつづけ、礼節や人情は置き去りにされたまま、人の家の跡取りのゴシップに花開き、そうして一家は未だ通行人に道をゆずられないままなのである。

 

 

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