幕末動乱と中国マーケット 【1】太平洋の時代 / 「黒船前後・志士と経済」 服部之総


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もともと日本を開国したのはアメリカであったはずである。
ところが、実際に通商条約が各国間で次々と結ばれると、貿易はイギリスにほぼ独占されていた。このことが、明治維新と日露戦争を経て対立関係となる日米関係を読み解くひとつの材料となるのである。
以下、服部之総の「黒船前後・志士と経済」をテキストに用いて整理してみる。
【1】太平洋の時代

 1845年 カリフォルニア共和国独立
 1846年 メキシコ戦争
 1848年 カリフォルニアに金鉱発見

もともと、アメリカが何故あのタイミングで、はるばる日本にまでやってきたのかといえば、それは中国に対する中継地点として日本を考えていたからだ。
必ずしも日本との通商が目的であったわけではない。
その頃のアメリカの経済は、大西洋を横断する綿花輸出を基盤として成り立ち、豊富な外貨を稼ぎ出しつつある一方、保護貿易に守られ着実に工業国の地位を築きつつあった。そうした国力の増大は、茶と絹を求めて中国大陸までに、貿易圏を広げていった。1789年に広東に到着した外国船46隻のうち18隻はアメリカの船であったと伝えられている。さらに1842年にアヘン戦争の結果、中国が本格的に貿易開国してからは世界経済の中の中国の重要性がにわかに高まる。
産業革命を経たイギリスでは、砂糖入りの紅茶が労働者の間でも普通に毎日飲まれだしている。砂糖は西インド諸島の奴隷農場から、紅茶はアヘンの売上で中国から。イギリスからしてみれば地球の裏側で、黒人と中国人がつくった産品が安価に大量に出回っていた。
アメリカの独立戦争が、イギリス経由の輸入のため高値になっていた紅茶を巡って巻き起こったことを想起してみよう。
マルクスが、太平天国の乱に際して、これで中国市場が混乱すれば、ヨーロッパに革命がおきる、と記したくらいである。中国がいかに欧州文化圏の経済とのっぴきならぬ関係になっていたかがわかる
インドでつくったアヘンを横流しし、中国に深く食い込んでいたのはイギリス。
これを出し抜きアメリカのビジネスマンが利益を生み出すためには、イギリスが押さえていた大西洋ルートよりも、どれだけコストと時間がかからずに輸送手段を構築できるかがポイントとなるだろう。
蒸気汽船は、その当時は「クリッパー」と言われた最新帆船にはコストの面では負けてはいたものの、技術進歩により着々とその存在感を増してもいた。
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より早く、より安く。ビジネスとしての原則である。
さらには品質もよければ商品はなおさらよい。
中国で積み込まれる茶の香気は、船の中で時間を経過すればするほど衰えていくのだから、物流期間が短ければ短いほど高値がつく。
その当時は、まだアメリカの中国貿易は、ニューヨークからアフリカ西海岸を廻り、インド経由で上海やマカオにたどりつく経路か、それともなければ、逆周りでアメリカ大陸最南端のケープ・ホーンを廻ったオーストラリア経由のルートが例外的にあるだけだった。
(ペリーが日本に来航したときも、太平洋を横断してきたわけではなく、ホーン岬-オーストラリア経由の島づたいのルートであった。)
しかし、太平洋の真ん中を横断していくルートを、しかも汽船で実現すれば、輸送時間を大幅に短縮できる。
汽船は最新の移動と輸送の手段ではあったが、石炭補給基地というインフラが必要となることから、必ずしも完全に移動ルートが整備されていたわけではない。
イギリスも、1845年になってやっと香港までの汽船の定期便ルートをつくったばかりである。太平洋にも当然ながら汽船のルートが開けていない。
イギリスよりも早く海軍の蒸気機関化に着手していたアメリカは、イギリスに海上ルートを握られている喜望峰-インド経由のルートよりも早く貨物が輸送できる対中国貿易ルートの整備のために、先行投資を太平洋に投じる必要があったのである。
こうして、まずは、最新技術によるコストの圧縮と新しい物流ルートの可能性が、意気旺盛なアメリカの商売人と政治家と軍人に、サンフランシスコから洋上の向こうの中国へのビジネスチャンスを想像させたのである。政財軍がひとつとなって、ビジネスを成しえるのは、現在まで変わらぬアメリカの基本的なスタンスである。
そしてさらに、このビジネスプランが現実のものとなる日がやってきた。
そのきっかけのひとつは、メキシコから太平洋岸のカリフォルニアを独立させ事実上のアメリカ領としたことにより、合衆国の領土がついに太平洋に到達したこと(1845年)、そしてもうひとつは、そのアメリカの版図にはいったばかりのカリフォルニアに金鉱が発見された(1848年)ことである。
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アメリカが現在の東海岸から西海岸に至る広大な領土を獲得したばかりの時代であるから、人員や貨物を大量に輸送するための大陸横断鉄道はまだ当然ながら出来ていない。鉄道で東海岸から、まだ未開拓の西海岸が結ばれるのは、金鉱が発見されてから21年後の1869年まで待たなければならない。陸上はまだ幌馬車の輸送手段しかない。よって、このゴールドラッシュが招いた西海岸への大量輸送のニーズは、船舶が受け持ったのである。
ゴールドラッシュ前年にサンフランシスコに入港した船は4艘、しかし次の年には775艘と激増して、そしてニューヨークとサンフランシスコをパナマ経由で結ぶ汽船の定期航路がすぐに開設される。
マルクスはこのことを次のように分析し、世界経済のゆくえを予言していた。

カリフォルニアの金は奔湍となってアメリカ中に、さらに太平洋のアジア沿岸にあふれ出る。そして頑固な蛮民を世界商業に、文明に引き入れる。世界商業のうえに再度新方向が到来した・・・世界交通の重心は中世ではイタリー、近代ではイギリスだったが、今日では北米半島の南半である・・・カリフォルニアの金とヤンキーの不撓の勢力のおかげで、太平洋の両岸はたちまちのうちに・・・商業の天地と化するであろう。
そのときこそ太平洋は、今日大西洋がそして古代中世に地中海が演じたと同じ役割を-世界交通の大水路たる役割を演じることとなるだろう。

このマルクスの予言は、まずは黒船の来航として日本に現れることなるわけだ。
つづく

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