陸軍専任嘱託として太平洋戦争のフィリピンに赴任した技術者が、その捕虜体験の中で書き綴った「虜人日記
」を題材に、山本七平が語る日本論。
日本がなぜ「敗れたのか」をこの書は取り扱ったのではない、日本が「なぜ敗れるのか」という現在形のタイトルがつけられていることに注意するべきである。
本書では、この技術者が目のあたりにした戦場体験をバックグラウンドとして、日本の国家体制の政治と軍事に関して、次のような敗因が分析される。
一、精兵主義の軍隊に精兵がいなかった事。然るに作戦その他で兵に要求される事は総て精兵でなければできない仕事ばかりだった。武器も与えずに。米国は物量に物言わせ、未訓練兵でもできる作戦をやってきた
二、物量、物資、資源、総て米国に比べ問題にならなかった
三、日本の不合理性、米国の合理性
四、将兵の素質低下(精兵は満州、支那事変と緒戦で大部分は死んでしまった)
五、精神的に弱かった
六、日本の学問は実用化せず、米国の学問は実用化する
七、基礎科学の研究をしなかったこと
八、電波兵器の劣等(物理学貧弱)
九、克己心の欠如
十、反省力なき事
十一、個人として修養をしていないこと
十二、陸海軍の不協力
十三、一人よがりで同情心のないこと
十四、兵器の劣悪を自覚し、負け癖がついたこと
十五、バアーシー海峡の損害と戦意喪失
十六、思想的に徹底したものがなかったこと
十七、国民が戦いに厭きていた
十八、日本文化の確立なき為
十九、日本は人命を粗末にし、米国は大切にした
二十、日本文化に普遍性なき為
二十一、指導者に生物学的常識がなかったこと
この日本論と敗戦の原因の追究は、非常に独自の視点で、それは軍人としてではなく、あくまでも民間人として苛烈で壮絶なその現場にいた経験から導き出されている。
「日本文化の確立なき為」とか「日本文化に普遍性なき為」などの言葉は非常に重い。そして、それを肯定する山本七平の戦場体験が、その言葉をなぞりながら、さらに深く問題点を抉り出す。
この『虜人日記』のすべてを通じて、自由人の小松氏が、負の形で描き出したものは結局、自由という精神のない世界、従って「自由な談話(フリートーキング)」が皆無で、そのため、どうにもならなくなり、外部からの強力な打撃で呪縛の拘束が打ち破られて、そのとき、その瞬間だけその通常性の表出を可能にする世界だったわけである-「軍の計画はその意気を示すだけである」・・・これは軍人のそのものの性格ではない、「日本陸軍を貫いているある何かの力が軍人にこうした組織や行動をとらしめているのだ」。
前述のようにこの力が貫いていたものは、軍人だけではなく、全日本人であり、それは今も昔も変わりない。その力はどう作用しているのか、一言で言えば、各人の自由を拘束している、これは、その力なのである。
戦後は「自由がありすぎる」などという。ご冗談を!どこに自由と、それに基づく自由思考(フリー・シンキング)と、それを多人数に行う自由な談論(フリー・トーキング)があるのか、それがないことは、一言で言えば、「日本にはまだ自由がない」ということであり、日本軍を貫いていたあの力が、未だにわれわれを拘束しているということである。
石原莞爾は次のように書いている。
「日本国体をもって世界のあらゆる文明を綜合し、彼らにその憧憬せる絶対平和を与うるは、わが大日本の天業なり」
このような自省なき『思想』がいかに薄弱なものであり、アジアにどのような事態を招いたのであるか、それが未だ亡霊のようにうごめいている現在、われわれには「まだ自由がない」のではないか。
巻末に、附註者からの言葉がのあとがきとしてまとめられている。
兵士であるのに戦場にも着けず、海の中に消え、餓死し、住民に虐殺され、人肉を食らうところまで追い詰められ、また食われた人々。
彼らに「安らかに眠れ」とは言えない。
たとえ若く、鍛えた身体でも、衰弱すれば自ら便を出すことさえ不可能になる。そのような兵士の便を、陸軍少尉山本七平は、ルソンの戦場で掻き出した。その兵士は手を合わせて死んだそうである。
敗因の、原因と責任者の究明は、未だ終わっていない。しかし、それをしなければ、また地獄を見る日が来るのではないか。
このあとがきの日付は平成16年2月。
イラクの情勢に触れながら書き起こしたと付されている。
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