◇『日本史の誕生―千三百年前の外圧が日本を作った (ちくま文庫) 』
いかがわしさとギリギリで大変楽しく読めた本。
タイトルが「日本の誕生」ではなく「日本史の誕生」となっているところがミソ。
筆者の主張をざっくりとまとめると以下のとおり。
・日本は紀元前2世紀前後(秦の時代)に中国の支配下にあった植民都市のひとつであった。
・魏志倭人伝に出てくるような日本の「国」というのは、中国商人がつくった商業都市(定期市がポリス化したもの)のこと。
・もともと中国でも「国」というの概念は商業都市のことで、皇帝とはその商業権を握る棟梁である。現在の国民国家のように領土という概念は存在しない。
・朝鮮半島も日本も中国による植民都市(国)がつくられていて、それらは相互につながっていた。(山東半島→平城→対馬→九州→瀬戸内海→難波のルート)
・これらの都市国家は中国語を公用語としてつながっていて、「国」は皇帝による勅許の貿易権をもっていた華僑が代々つくってきたもの。これが中国から見た「倭王」の正体。
・BC300年頃に晋がほろぶと中国は混乱。これらの倭王のひとつの河内王朝(後に天皇家の家系に繰りこまれることになる)などは引き続き中国との交易を続ける。この頃には華僑はすでに日本において現地人化。
・やがて朝鮮半島は唐のバックアップにより新羅が統一。朝鮮半島と百済を通じてつながっていた日本は、この危機感から国家統一の方向に動いていく。(アメリカ大陸の各国がポルトガルやスペインやイギリスといった宗主国から独立していくイメージ)
・そのために国家統一の「歴史」が必要となり、出来たのが「日本書紀」
・よって日本書紀はその目的のためにつくられたもので、7世紀以前の記述は日本建国のために都合のよいように書かれたものとみなしてよい。
・播磨王朝と河内王朝も、現在の皇室の祖先とは必ずしもつながっておらず、単に都合のよいように継ぎ足しただけである。
・第十五代応神天皇以前は存在すること自体も怪しい。
・また古事記は文学的価値とは別に、偽作であるのは明らかである。
・平安朝(9世紀)になって出た新撰姓氏録では、当時の首都があった近畿地方の1/3の氏族が外国人であった(中国と朝鮮半島)との記録があるが、その時代になっても依然として日本というのが移民国家の体裁であった。しかも魏志倭人伝の頃のオールドカマーはすでに日本人化してしまっている。
ようするに地政学と比較史料批判で歴史を読み解いていく作業で、このへんはなかなか説得力がある。
日本書紀が7世紀以前の歴史を読み解くうえの「史料」としては、批判的に読むことによってはじめて価値がある程度のものというの認識は、津田左右吉の論考と変わらない。
この人のオリジナルなところは、さらに地政学的に踏み込んだところ、さらには津田左右吉は簡単に「日本民族」という概念について簡単に肯定してしまっていているところをひっくり返しているところにある。
なおばっさりと切り捨てた古事記については、江戸時代の国学者周辺から出た偽書説がいまだ根強いが、それでも同じ記紀とされていた「先代旧事本紀」が完全に偽書扱いされているのと比べると、まだ全否定には詰めが足りない。これを検証なしでばっさりいくのはさすがに乱暴といえるかもしれない。
ただし、この人の主張の結論についてはそれなりの力があることには変わらない。
いわく、日本という国の成立自体が、実は中国という巨大なパワーにいかにして対していくかから始まったもので、長らく鎖国に近い状態だったのはもともと日本の歴史がそういうところから始まったものだからである・・・というもの。
それなら倭寇とか豊臣秀吉はどうなのよ?という疑問がすぐに湧き出てくるのだが、まあこれもおいておこう。
「われわれ日本人は、7世紀の建国以来、19世紀にいたるまで、つねに中国の存在を意識しながら、しかも中国と深い関係になることを避けてきた。いわば鎖国は、日本の建国以来の国是であった。それが日本の地政学的な必然であり、それが日本の歴史である。関係を避けきれなくなって中国に巻き込まれて失敗したのも、また日本の歴史である」
このへんは昨今の事情に直結するだろうし、作者が中国異質論で昨今はいくつも本を出しているところとつながる。
ちょっとおもしろかった。
かつて宗主国から独立していったアメリカ大陸の国々のように、原住民と移民のハイブリットな連合が、大陸の混乱にひとつの国家として独立した、それが日本という見立てもできますね。
続けて、同じことの人が書いた『世界史の誕生』というのも読んでみるつもり。
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