「ナポリのマラドーナ」 北村 暁夫


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サッカーは中心のない空虚なゲームである。

勝敗は絶えず繰り延べされている。勝ったチームには明日の試合が待ち構えており、カップや盾を勝ち取ることは、絶対的な意味をなさない。歴史はテキストに書かれたところにだけある。その中心にいるものにとっては、唯一明日のゲームが永遠に待ち構えているということだけだ。

しかしゲームそのものは、中心をもたない「遊戯」であるからこそ、様々な意味を付与される。そこには、人生や文化や共同体の行き場のない熱情がいつも渦巻いている。

「ナポリのマラドーナ―イタリアにおける「南」とは何か」は、いわゆる「カルチュラル・スタディーズ」の手法で、1990年のイタリア・ワールドカップの準決勝のひとつの試合が、国民国家イタリアの政治・経済・文化にわたる「南北問題」を浮き上がらせる試合であったことを解説している。
イタリアにおける南北問題も、サッカーの真空状態がもつ引力に引き寄せられたものであり、そしてその引力をあやつるマラドーナが悪戯な微笑みを浮かべている。
90年のワールドカップ・イタリア大会。前回のメキシコ大会の優勝後、これまで一度も経験したことのなかったスクデットを2回ナポリにもたらし、さらにはUEFAカップとコッパ・イタリアを勝ち取ったマラドーナを悩ませたのは、度重なる怪我と連戦によるコンディションの不良だけではなく、その大会がまさにイタリアで行われるということだった。

初戦のカメルーン戦は、マラドーナのいたナポリの宿敵だったミランのホームスタジアムでのカメルーン戦。ミランのイタリア人は、マラドーナのチームとして成立していたアルゼンチン代表に壮絶なブーイングを投げかけた。
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だから、マラドーナはこの試合の終了後、マラドーナは彼らしい皮肉でインタビュアに答えた。

「今晩、唯一喜ばしかったのは、僕のおかげでミラノのイタリア人たちが、人種差別主義者でなくなったとわかったことだった。今日はじめて、やつらはアフリカ人をサポートしたからね。」(マラドーナ自伝)

この試合、アルゼンチンはカメルーンに番狂わせの完封負けを喫している。

「そして最後に最悪なこと。僕の敗戦を望む多くの人の存在。それは信じられなかったし、受け入れたくもなかった。」(マラドーナ自伝)

しかし、一方、マラドーナが王として君臨するナポリは違っていた。サン・パオロ・スタジアムでのグループリーグ第二戦のソビエト戦では、イタリア語の発音によるマラドーナとアルゼンチンのコールが聞こえてきたのだ。

さて、ここまでは自分も知っている話であり、イタリアの南北問題がのっぴきならないことになっていたことも聞き知っている。
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例えば、「狂熱のシーズン―ヴェローナFCを追いかけて」では、人種差別主義者と謗りを受け続けてきたヴェローナのサポーターが、黒人・ユダヤ人とともに標的にするのが南部の人間だ。「テローネ」と南部の人間を言うのは一種の差別用語であるのだが、それがこの小説の中の会話では頻繁に繰り返される。

「貴様らのために、俺たちの税金で払ってやってるんだ」
「てめえら、俺たちなしじゃ生きていけない。」

ナポリ戦では、サポーターグループが旗や紙吹雪の代わりに客席に配布したのは、一万枚の白いマスクだった。そして、そのマスクを一万人がつけながら歌う。

「なんてにおいだ、イヌだって逃げるぞ、ナポリ人が来たぞ」
「俺たちはエラスのティフォージ、俺たちには夢がある、南イタリアを焼き尽くせ」

(狂熱のシーズン―ヴェローナFCを追いかけて)

この感覚は、地域ナショナリズムの意味からなんとなくわかる気はするが、しかし南イタリア人があくまでも差別される対象して扱われている意味が実際のところわからない。

歴史と言語を共有し、そしてファシスト政権もあったにせよ、統一国家として成立してきた国の中でどうしてこのような差別的言辞が成立するのだろうか。

90年大会、アルゼンチンはブラジルを僅差に破り、ストイコビッチ擁するオシムのユーゴスラビアにもPK戦で勝つと、今度はマラドーナとアルゼンチンをもっとも暖かく迎えてくれる町であるナポリの準決勝に向かう。

そして相手はイタリア。

マラドーナは言う。

「今になって、みんながナポリの人々に、イタリア人になって代表を応援してくれと頼んでいるのは気に入らないね。ナポリはイタリアから除外されていたんだよ。もっとも不公平な人種差別に遭っていたんだ。」(マラドーナ自伝)

ナポリのマラドーナ―イタリアにおける「南」とは何かは、このワールドカップイタリア大会準決勝のイタリア-アルゼンチン戦が、どんなイタリアの政治・経済、そしてその歴史にとってどのような意味を持つかを解き明かしている。

ナポリでは「エル・ディエゴ」として王として君臨するマラドーナは、それがゆえに、南イタリアと移民の象徴的な存在であったのである。

当時のイタリア北部は、著しい経済発展により外国人労働者の制限を主張する排外的な主張が声高に述べられ始めており、アフリカやイスラム系の移民に対する差別的な言辞がそこかしこで聞こえる環境にあった。

さらに南部からの「移民」を海外移民とともに排斥したり、イタリア北部の自治を強めて貧しい南イタリア地区への公共投資の配分を主張する政党まで現れていた。

そもそも、イタリアにおける南部差別が、19世紀の国民国家的統一の過程で現れたこと。経済的な遅れや中央政府の統率がきかないことや犯罪率の高さが、人種的な劣等から由来するものであるという主張が信じられてきたこと。「マフィア」に代表される犯罪的な集団や行為の跋扈は、セム系人種の特徴で、ギリシア=ローマ人種である北イタリア人とはエスニックな起源の違いがあるため、という「犯罪人類学」もあわせて派生してきたこと。

1959年にイタリアの社会学者が次のように述べている。

「北イタリア人は南イタリア人とその文化に敵対的で、自らと共通した要素があることを否定し、彼らと同化することを脅威と感じている。(中略)彼らが自分たちとは根本的に異なり、否定的に評価される存在であると考えている」

また、そもそもイタリア人にとってアルゼンチンという国自体が、イタリアの南の「さらに南の国」として位置づけられていたということもこの書では資料をもとに解説している。

それは19世紀から20世紀初頭までのアルゼンチンへのイタリアからの大量の移民の存在である。
「グリンゴ」と呼ばれたイタリア移民は、アルゼンチンで大きな労働力となり、例えばブエノスアイレスのボカ地区で一大コミュニティを築いている。また、1934年のワールドカップ・イタリア大会では、ムッソリーニ政権が、これらのアルゼンチン協会所属の移民であるサッカー選手を代表に召集して優勝を果たしたこともある。

多数のアルゼンチン人選手が、アルゼンチン人でありながら、イタリア国籍を持ちEU圏内選手として外国籍選手としてカウントされていないのは、アルゼンチンが移民を経済発展のために寛容な政策をとってきていたためで、二重国籍が許されるためである。

(もっともレコバとヴェロンが、このことを悪用し、イタリア国籍を証明するパスポートを偽造したチョンボについても記憶に新しい)

マラドーナとアルゼンチンが、ナポリの準決勝で体現したのは、このような事態である。

国の経済・文化・政治の主導権を握る北イタリアから見れば、南の南であるアルゼンチンが、これまで差別してきた南イタリアと結託し、イタリアという国民国家の分裂を唆している

というイメージがここで読み取れる。これまで人種差別をしてきたイタリア国家へ反旗を昼換えすのは今なのだ!

イタリア人はこの試合にわれわれとは全く違った意味を与えていたことは、イタリア国内のマスコミが次のような反応を示していたことからもわかるだろう。「この準決勝に限っては、新聞紙上を賑わせるのは試合内容への期待や結果予想ではなく、試合の外部に展開する政治的・社会的な言説ばかりであった。」

マラドーナは、南と移民の問題をはっきりとイタリア社会に、今ここにある問題として提示したのである。
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サッカーは中心になにも意味をもたないから、様々なものを引き寄せる。

が、その意味を相対化する作用もはたらかせることもある。

ナポリでのイタリア-アルゼンチン戦の日を自分自身もよく覚えている。

日本のテレビの特派員は、ナポリの町に「今日だけは大人しくしていてくれ、ディエゴ・マラドーナ」と横断幕が掲げられていたことをレポートしていた。

その頃、ナポリのゴール裏のリーダーは次のように声明を出したという。

「イタリアが勝つように応援する。でも、アルゼンチン人たちに敬意を払い、拍手をしながらだ。」

トリックスター・マラドーナの悪戯な試みの結果は、歴史をどのように動かしたのだろうか。本書では、その後については書かれていない。

 

 

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