吉本隆明について(1) / 『ぼくが罪を忘れないうちに』 


吉本隆明が亡くなった。87歳。

この人を自分が最初に知ったのは、哲学者や文芸評論家としてではなく、詩人としてだったと思う。
現代詩手帖を読んでいた高校生の時期。

鮎川信夫や黒田嘉夫などとともに、その詩に強烈なインパクトを与えられたのをおぼえている。当時つけていた日記的なノートに、吉本隆明の幾つもの詩篇を書いてコピーしていた。
吉本隆明代表詩選

やがて、「ポストモダン」の哲学ブームみたいなものがあり、おっちょこちょいな高校生は、『共同幻想論』から初めて、多作ともいえる著書をかたっぱしから読みだすことになる。

今ではまったく普通のことになった、サブ・カルチャー的なアートジャンルや風俗といってもいい小説やマンガを真っ向から取りあげていった『マス・イメージ論』も驚いた。もちろんロラン・バルトの記号分析が下敷きになってはいるのだけれど、それはそれで現在を炙り出していくスタイルのオリジナリティが圧倒的であったし、なによりも「現在」というワケのわからぬものに掘削していく力量に本当にあっけにとられた。

当時、『マス・イメージ論』は、華々しくブームにのって現れたが、凝視してみれば奇形の存在だったから、皆にまともに受け取られたとは思えない。しかし振り返ってみれば、現在のサブ・カルチャー批評には絶大な影響を与えていることはがわかると思う。

喧嘩っぱやく、くらいついたら離さないような論争を続けながら、歌舞伎の大見得のような啖呵を切ったかと思えば、内省的で孤独な詩を呟くように発表する。詩篇などと同じく、その生き方にリズムがあって心地よかったし、硬質なるも詩的な表現が頻発する評論を自分は本当に愛した。

「この人の声を、今聴きたい」と思わせる存在であった吉本隆明は、重要な事象があれば必ず何かの反応を世間に示した。しかし、阪神大震災の時にはあれだけの論評を出してきた人が、東北大震災やそれに続く原発問題では、ほとんど何の反応も見せなかった。ちょっとした聞き書きみたいなものが伝わってくるのだが、それはもう吉本さんに書き記する力がないことを証明しているように思えた。

TWITTERで吉本隆明BOTを始めたのは、ちょうどその頃。

好きな詩篇はたくさんあるけれど、今日はこの詩を書きうつしておきます。

たぶん、高校生の自分が最初に好きになった吉本隆明の詩です。

最初のセンテンスの「きみのためにわかるようなことばで」というスタイルは、この後の詩篇の基本テーマとなったような気がします。

ぼくが罪を忘れないうちに

ぼくはかきとめておこう 世界が
毒をのんで苦もんしている季節に
ぼくが犯した罪のことを ふつうよりも
すこしやさしく きみが
ぼくを非難できるような 言葉で
ぼくは軒端に巣をつくろうとした
ぼくの小鳥を傷つけた
失愛におののいて 少女の
婚礼の日の約束をすてた
それから 少量の発作がきて
世界はふかい海の底のようにみえた
おお そこまでは馬鹿げた
きのうの思い出だ
それから さきが罪だ
ぼくは ぼくの屈辱を
同胞の屈辱にむすびつけた
ぼくは ぼくの冷酷なこころに
論理を与えた 論理は
ひとりでにうちからそとへ
とびたつものだ
無数のぼくの敵よ ぼくの苛酷な
論理にくみふせられないように
きみの富を きみの
名誉を きみの狡猾な
子分と やさしい妻や娘を そうして
きみの支配する秩序をまもるがいい
きみの春のあいだに
ぼくの春はかき消え
ひょっとすると 植物のような
廃疾が ぼくにとどめを刺すかもしれない
ぼくが罪を忘れないうちに ぼくの
すべてのたたかいは おわるかもしれない

 

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