この映画、つまるところ「ハートブレイク・リッジ」(クリント・イーストウッドの監督・主演/1986)の2008年バージョンというところですかね?
あの映画では、1勝1敗1分(つまり第二次世界大戦は勝利、朝鮮戦争は引き分け、ヴェトナム戦争は負け・・・ということ)を引きずった鬼軍曹が、レーガン政権下のグラナダ侵攻を舞台に、まだまだアメリカはやれるんだ!ということをアピールした映画でした。
もう思いっきり、レーガン保守政権の世界政策とかぶった、強いアメリカです。
あの軍曹も、さまざまな家庭の事情や現代っコの気質と悪戦苦闘しながら、自分の魂を伝えていくというテーマがありました。
今回はさらに時代が進行しています。
今回はグラン・トリノという1972年のビンテージ・カーがうまく筋まわしに使われています。そもそもマッチョあらんとしたアメリカのマイノリティの臆病な子供が最初に盗もうとしたのが、そのクルマです。
ハートブレイクリッジとからめて語るならば、この1972年という年は象徴的な仕掛けがあると思う。この年、アメリカが唯一の敗北を喫したヴェトナムからの撤退を開始した年。
イーグルスのホテル・カリフォルニアでは、「1969年からこの店ではスピリット(蒸留酒と魂をかけている)はおいてません」とバーテンダーに語らせるわけですが、この映画ならさしずめ、「1972年のグラントリノでアメリカの古き栄光は終わってしまい、今ではガレージでカバーをかけられています」というところでしょうか。
家の庭にアメリカ国旗を翻しながら余生を過ごす爺さん。朝鮮戦争では第一騎兵師団、退役後の仕事はフォードの自動車工。
まさに古きアメリカの象徴。
そしてさらにポイントは、彼がカトリックのポーランド系アメリカ人であること。これはすなわち、彼自身も被差別されてきたマイノリティの家系であるということ。
主人公は人種差別バリバリに見えるも、実は知り合いもアイルランド人やイタリア人のマイノリティ。
これもアメリカの出自らしい展開ですね。
そして、すでに、グラントリノの栄光(古きアメリカの自動車産業の栄光)は過去のものとなり、息子は日本車のセールスマンだし、近所はすべて黒人と中国系とラティーノのチンピラが幅をきかせて、白人の軟弱なボーイフレンドは彼女の前で恥をかかされる。
そんななか、ちょっとしたきっかけで、マイノリティのアジア人家族を助けることになってしまい、そのまわりにうごめくチンピラと戦っているうちに、ダーティー・ハリーの昔から続く、クリント・イーストウッド独特の、いつ悪の側に反転してもおかしくない世界の警察官的正義感が炸裂していき、それがまた暴力の連鎖を生む・・・とここまでは、またしても、90年代までのいつものクリント・イーストウッド。
その確信犯的な「正義の名の下に暴力を行使する」意味を背負いながら、主人公は決してハッピーにはならずに消えていく。
この映画でもきっかけは、クリント・イーストウッドの独自の暗い正義感。これが、かえって悪の世界から縁を切ろうとしていた少年を巻き込んで、大事件につながっていく・・というのが物語の後半での展開。
そして、ラスト。ここだけが、かなりこれまでのクリント・イーストウッド監督主演の主人公との違い。
アメリカは世界の警察官である・・だから、暴力はその部分で行使することはありえる、もちろんそれは肯定は決してされないし、それをするものは決して幸せにはなれない・・・これが、「許されざるもの」の隠れたテーマだし、ハリー・キャラハンの反動的なかっこよさだったわけです。
聞くところによると、クリント・イーストウッドは、これ以上ない露骨な世界警察官的な軍事侵攻だったイラク侵攻には反対だったそうな。
おおよそ、この10年くらいの傾向として、クリント・イーストウッド本人が出演するのは予算少なめ映画、本人以外が出るのが大作・・・と考えていいですかね。この作品も小品です。そこまで。
「チェンジリング」の後に、少しリラックスしていつものクリント・イーストウッドの定型物語をつくろうと肩肘はらずに撮ってみたというところでしょうか。
「許されざるもの」「ミリオン・ダラー・ベイビー」「チェンジリング」そういう作品をつくりあげられるクリント・イーストウッドですが、自分は皆さんほどこの作品については高くは評価できません。
FWF評価:☆☆☆
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