県警対組織暴力 - goo 映画
1975年東映作品。「仁義なき戦い」シリーズが立て続けに5本撮られて「完結」後の作品。
さて、まずは「県警対組織暴力」というタイトルがややこしい。
ヤクザと癒着した地元の警察が、政治家と癒着したヤクザにひっぱりだされた県警と対決。
警察(地元ヤクザ+地元警察+ノンキャリア)vs警察(政治家+ヤクザ+キャリア)というのが、その対立の構図なわけで、もうなんというか右も左も前も後ろも、それぞれ敵だらけみたいなアナーキーな状況。両方、悪。
ただし、組織暴力側は敗北するほう。だから扱いがいい。
敗北に美学を付与すると、いろいろなものが視えてくる。
欲望にまみれながら、命をかけて対峙し合う男たち。そして、それが格好よくてはいけない。ヤクザ以上にタチが悪い菅原文太の刑事が川谷拓三をつるしあげる取調室でのシーンは、このカッコ悪さがすごかったのだ。
受託収賄罪および外為法違反容疑の疑いで、時の首相が逮捕されるのはこの映画の翌年のこと。すでに、正義と倫理を突き詰めたはずの共産主義はドロドロの内ゲバに明け暮れて、あげくの果てには無垢な人々を殺傷するまでに落ちている。
本当のことは、カッコ悪い。殺されるほうより、殺すほうがビビッているし、出入りのシーンは殺陣師のようにはいかない。ドタバタと殺す殺されるに必死の形相で、それはコミカルでさえある。それを、深作欣二ははじめて発見した。そして、そのリアルに人々は圧倒されたのである。
「かっこいいことはなんてカッコ悪いことなんだろう」と早川義夫は歌った。もちろん、そこには「カッコ悪いことはなんてかっこいいことなんだろう」という逆措定を許してほしいのだ。それが深作実録モノの正体だ。
「広島弁のシェークスピア」と称された笠原和夫の脚本も唸りをあげる。これもすごい速度だ。仁義なき戦いシリーズ4作目「頂上作戦」を最後に、このシリーズから離れた笠原和夫が、再び組んだのがこのシリーズ。
もともと仁義なき一作目の脚本を書いた笠原は、深作が監督になることを最初拒否していた。深作が監督予定だった「顔役」の脚本を笠原が書いていたのだが、そこで対立したのが原因。だが、この破天荒な実録モノのホンを、前年「人斬り与太」で手持ちカメラの迫真の描写で名を挙げた深作にやらせたかった上層部の意向で、この二人が組む。ひとつも脚本を変えないというのが条件だったそうだ。だから、この作品に関しても同じことになっているだろう。
東映とヤクザとの癒着が警察に問題視され、実際に家宅捜査までされた後の作品がこれだ。警察のほうがオレたちよりひどいことしているんじゃねえのか。そんな啖呵をそのまんま映画にしたような作品でもある。
世評に時折、仁義なきシリーズよりこちらの方が傑作との声もある。強烈なサーガとなっている仁義なきシリーズと比較するのは、すこし酷かとも。この「県警対組織暴力」の戦いは、最初から勝者が決まっている。そのぶん弱いのだ。
銀座シネパトス特集「生誕70年 川谷拓三映画祭 3000回殺された男の美学」にて。
深作欣二の実録モノを観ると、瓶ビールが呑みたくなります。
生ではなくて、しかも冷えてなさそう(!)な瓶ビール。
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