-->「ナッシュビル」 ロバート・アルトマン - Football is the weapon of the future フットボールは未来の兵器である | 清 義明

「ナッシュビル」 ロバート・アルトマン

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ナッシュビル – goo 映画
1972年、アメリカ大統領候補ジョージ・ウォーレスを狙撃して半身不随にした孤独な男が、「時計仕掛けのオレンジ」に触発されての犯行と語ったのは有名だ。
やがて、この男の手記はポールシュレイダーの眼にとまり、街に蠢く孤独な男の禍々しい暴発として脚本化された。これが「タクシードライバー」として1976年に映画化される。これもよく知られている。
この「ナッシュビル」も、ジョージ・ウォレスの狙撃事件に触発されて撮られた作品と思われる。1975年の作品。ロバート・アルトマンは、まさかスコセッシが正面から、あの暗殺犯の狂気を映画化した物語を撮っているとは思わなかっただろう。
なお、狙撃されたジョージ・ウォレスは過激な人種隔離主義でKKKなどをバックに大統領選を戦ってきていた。アラバマ州の黒人入学騒動で、軍隊を動員して黒人学生の入学を阻止しようとしてケネディと対立した知事としても有名だ。
「タクシー・ドライバー」のトラビスは人種的な偏見をもった男と仄めかされているが、こちらのモデルの男は正反対・・・ともいえないのであるのだが。
さて、映画「ナッシュビル」。
20人くらいの登場人物が、脈絡もなくバラバラに田舎町の数日をドタバタと過ごしていく。コミカルとも捉えることもできるだろうが、分裂症患者の妄想のように不気味でもある。
群像劇の傑作・・・という評もいくつか見かけたが、どうなんでしょうか。
ビートルズの「サージェント・ペパーズ・ロンリーハーツ・クラブ・バンド」の中に「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」という曲があります。
荘厳なサイケデリック模様がクライマックスとなるこの曲、プロデューサーのジョージ・マーティンは、オーケストラのそれぞれの楽器に、まわりの楽器を無視して、自分が考えたペースで、各楽器の最高音まで1音ずつあげていかせて、この不思議なクライマックスをつくりました。
曲の最後は最高音に達したオーケストラをしめくくって、ブロックコードの1叩きが延々と続いて、そして消えていきます。
こういうアプローチでは、天才ベーシスト、ジャコ・バストリアスの「クライシス」という曲もありました。
ベースのソロだけを、それぞれにヘッドフォンで聴かせて、それにあわせて数人のミュージシャンが自由にアドリブを演奏し、それを最後にすべてミックスダウンした曲です。
「群像劇」というのが、ただ単にたくさんの人が出てきてそれぞれのストーリーを並行させていくという意味であれば、確かに「ナッシュビル」も群像劇なのでしょうが、自分にはどちらというと、「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」やジャコパスの「クライシス」の強烈な実験性をこの映画から感じました。
てんでバラバラに自分のことだけ考えていく個人と田舎のカントリーミュージックの舞台裏を、ストーリーなんかないように適当にミックスし、最後に茶番劇の政治集会に集約させて、それが意外な結末にドーン!
大統領候補は最後まで出てきません。
けど、それがアメリカだろ?いじわるなアルトマンの意図はここにあるのでは。
ただし、それが麗しき作品として成立していたかどうかといえば、個人的には大いに疑問なのですが。
そういうわけで、カントリー・ミュージックの舞台仕立ても、これは単にアメリカの田舎っぷりをバカにしたものなのではないかという感想がまず最初にありました。でも、みんなこのカントリーミュージックを絶賛するんですよね。うーん。
始末に困る映画というのはやっぱりあるものだなあ・・・と絶賛のオンパレードのレビューを読みながら、ひとり思うのである。
ていうか、そもそもアルトマンのあの緩やかでありながらブラック喜劇テイストの物語仕立てが苦手な自分は、最初から観るなよという映画なのかもしれませんね(笑)

NASHVILLE trailer Robert Altman

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