萩之茶屋の思い出と / 「当りや大将」 中平康

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大学を卒業後、大阪に配属ということに決まったとき、まったく縁もゆかりもない大阪なので、大阪出身の大学の同級生から賃貸情報誌を取り寄せてもらった。
家賃が安いわりに交通の便も信じられないくらいに良く、しかもその中の一軒が新築ときたから、即座にそのワンルームマンションに決めることにした。
さすがに下見ぐらいはたほうがよいだろうと、はじめての大阪行きの深夜バスに乗り、その町にむかった。
西成区萩之茶屋。
下町風情の工場街近くの町並みに南海電鉄が走る高架が印象的で、なんだか逆にノスタルジアさえ感じてしまえる。ものめずらしい大阪の下町風景に気もそぞろで、不動産屋の説明もあまり聞かずにいた。
引っ越しを完了して、さあ新しい生活だというところで、大阪の大学の同級生の家に遊びに行った。迎えに出た同級生の母親に、新居の場所を聞かれたので説明すると、はっと顔色が変わる。
同級生が面白がって、あそこは当たり屋もいるからタクシーも行かへんで!とちゃかしてくるのだが、そこまでは全くその意味がわからなかったし、「当たり屋」という言葉もわからなかった。
やがて、そこがいわゆるドヤといわれるエリアで、よい風に説明すると「じゃりんこチエ」の舞台となった町で、ディープな大阪でも深海の底の磁力を持つ町だということが、だんだんわかってきた。
そしてそのパワーも人々のエネルギーも、ほどなくしてわかってきたのだ。
映画の話にしよう。物語のあらすじから。
お調子もののフーテンの大将(桑田圭佑そっくりの長門裕之)はこの西成の町で当たり屋家業で名をあげているお調子ものだ。
ある日、三角公園のばくちで借金をこしらえてしまい、カネに困って、馴染みのモツ屋の未亡人のオカミ(轟夕起子)をだまくらかして、子供を大学に行かせようと溜め込んだ貯金を手に入れてしまう。
そのカネで、生意気な風俗嬢(中原早苗)と豪遊した末に、そのことがばれてしまうと、そのショックでオカミはクルマにはねられてしまう。
それでも懲りることのない大将だが、ある日、オカミがよく歌っていた「雪の降る町」のメロディが夜な夜な聞こえてくるようになる・・・。
当たり屋の映画なら、他には大島渚の「少年」を思い出すが、この映画にそこまでの悲壮感はない。むしろ、たくましい生活の知恵として、生き延びる手段として、健全に見えてしまうのだ。これが、まさにこの西成のパワーである。
西成の風俗や風景もリアルである。
三角公園は、自分がこの町にいた頃には昼間から公園で多数の賭場が堂々と開かれていた。たくさんの店が、串揚げやホルモンを油や醤油や味噌の匂いを撒き散らしながら打っていたが、聞く人言う人、皆、あの肉は犬だか猫だかわからんから・・・とあきれていた。
轟夕起子の、魅力的に肥えた二の腕でつかまれた焼酎は水に薄められているから、つぎっぷりも見事だし、精がつくからと皆が食べているのも豚足なのか、それとも何の動物の足かもわからない。
それらは今でも続いている光景だと思う。自分の生まれる前の1962年の映画であるのにもかかわらず、懐かしい。
黒澤明の「生きる」みたいな結末はどうかと思うけれど、それでも出てくる人物が皆、活き活きと魅力的で、ギラギラと輝いていて楽しい。
映画は残酷だから、世の中の物語を模して、それを補完したり、そればかりか物語を強化してしまうこともある。
横浜の黄金町は、黒澤明の「天国と地獄」で決定的な最悪の場所となってしまったし、西成の当たり屋の話もこの映画がさらに物語を呼んでしまって現在に至るのかも知れない。
だが、それがなんなのだというのか。
中平康のリズミカルな演出や物語の速度が、この町のテンションにはよく合っている。
轟夕起子は、この役は自分にとってすばらしくはまり役だし、中原早苗のあっけらからんぶりも面白い。
1962年作品。
池袋新文芸座「『女優魂 中原早苗』出版記念 中原早苗・深作欣二特集」にて。

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