昭和29年の映画『ゴジラ』、いわゆる「ファーストゴジラ」は、そのゴジラの第一作にして、アーキタイプ(原型)であり、後に続々と作られるゴジラ・シリーズとは異質の魅力を湛えた映画です。
このファースト・ゴジラだけは単なる怪獣映画ではないんですね。
日本人にとって、昭和29年時点での国民的な恐怖であり悪夢とは、すなわち戦争の記憶だったわけです。
ゴジラの襲来について、第一作の映画の中の登場人物は、この映画が撮られるわずか9年前の戦争を重ね合わせています。
水爆によってよみがえった恐怖。それが、疎開しなければならないような事態をひきおこしていく。逃げ遅れて、火の海の中に取り残された母は子供にむかって「これでもうすぐ父親のところに行ける」と語りかけます。父親は、きっとわずか前の戦争でなくなったのでしょう。
さて、ゴジラという映画は、実によく記号論的な解釈を施されるキャラクターです。
その中で有名なものに、「ゴジラはなぜ皇居を襲わなかったのか?」というテーマがあります。
第一作で、ゴジラは田町あたりから銀座を抜け、国会議事堂まで破壊しますが、皇居には何も被害を与えず、そのまま隅田川方面まで抜けて再び東京湾に戻っていきます。
通る場所をすべて火の海に変えながら、この迂回はさすがに不自然に見えます。
これの解釈の中で、もっとも説得力があるものに、東京大空襲のルートをゴジラは再現したというものがあります。
確かに、映画の中の数々のエピソードにその証拠はうかがえます。ゴジラはB29による何万発の焼夷弾の爆撃ルートをそのままたどっているのです。ゴジラが決まって夜に現れるのは、きっとこの夜間の都市爆撃をイメージさせるからでしょう。
(ちなみに、皇居は米軍の政治的な判断により、京都と同様に爆撃されることはありませんでした)
当時のアメリカによる太平洋の水爆実験が意味するものを、日本人が理解できないわけがありません。水爆実験が、再び東京大空襲のような悲劇を招いた戦争を引き起こすことになる・・・それが、ゴジラの「恐怖」の正体です。
ところが、この映画にはもうひとつの物語的な意味の連鎖があります。
ゴジラというのが、もともと日本の島々にいた存在で、志村喬の生物学者や、酸素破壊兵器を開発した科学者は、一義的な「敵」として理解していません。むしろ悲劇的なものとして受けとめています。
映画の中の、このもうひとつのストーリーのつらなりに対して、次のような解釈が出てきます。
すなわち、戦争で犠牲者となった人々の極めて日本的な亡霊なのではないか、と。
死んだものを忘れて繁栄を続ける祖国への恨みをゴジラがはらしにきたというわけです。
確かに、ゴジラは「電車」(テクノロジーの発達)や「国会議事堂」(民主主義)、銀座のビル(経済的な繁栄)を、あたかもターゲットにするかのように襲い続ける様が映画ではクローズアップされています。しかし、天皇陛下のいる皇居にだけは足を踏み入れられなかったというわけです。
ここからさらに論を進めて、人間宣言して神性を失った天皇がいるだけの皇居という真空地帯を中心に、一周することしかできないという悲劇的な存在を見出す論者もいます。
ゴジラは、このあとに続編が立て続けに撮られるわけですが、この後は、この「戦後」とどのように日本人が折り合いをつけていくかをたどっていくようにふるまうゴジラをみるだけです。
あれだけ死と破壊によって、全くの不条理に、戦後日本の繁栄に全否定をした存在だったゴジラは、少しずつ私たちの心強い仲間になっていき、むしろ日本人の側にたって戦う存在になっていきます。
ここに、かつて日本中を荒廃せしめて、多数の死と不条理な戦後を作り出したアメリカをゴジラの姿に重ね合わせることもできるでしょう。
かつて、チェ・ゲバラは広島の原爆資料館を訪問した際に次のように述べたそうです。
「アメリカにこんな目に合わされておきながら、あなたたちはなおアメリカの言いなりになるのか」
ゴジラにあれだけ同胞を殺されて破壊され、それでもゴジラを慈しむようにしていることの意味は、ここにあるかも知れません。
また、ゴジラが戦争の英霊や犠牲者の怨霊だったという解釈においても、なぜ続編以降、あのようなゴジラが勧善懲悪のヒーローのようにふるまったり、またあるときにはコメディアンのような身のこなしをしなければならないのか。
これを人間宣言をした象徴天皇の奇妙な滑稽と折り合っていかざるを得ない日本人や、戦争の悲劇のただ中でのそれぞれの身の処し方を、いたずらに英雄視することで戦争を解釈していく人たちに重ね合わせることもできるでしょう。
いずれにせよ、ファースト・ゴジラの志の高さから考えると、これ以降の諸作はエンターテインメントの怪獣映画なのです。
横浜黄金町ジャック&ベティの「平和映画祭名作プログラム」にて、8月15日に鑑賞。
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