今でも中国で有名な日本人俳優の二大巨頭といえば、それは高倉建と山口百恵。
高倉建は「君よ憤怒の河を渡れ」などという奇天烈なハードボイルドアクションで、山口百恵の方は、テレビの「赤い疑惑」にて有名になったとのこと。
ともに80年代に、日本のテレビや映画が解禁になって、それから圧倒的な人気を得ることとなった。
最初、コン・リーを「紅いコーリャン」で、まだ初々しい田舎じみて、もっさりとした顔で出てきたときに、すぐに山口百恵を思い出した。
山口百恵は、そのもっさり顔のおかげで、デビューのチャンスとなったスター誕生では、審査員の阿久悠に歌手は無理と酷評されていたらしい。(そのときの意趣返しで、山口百恵は一曲も阿久悠の作詞をうけなかったという俗説もある)
だが、そのもっさり田舎顔、実のところ、純真無垢でいたいけでありながら、その薄いヴェールを透して、隠しきれない性を溢れさせている。この少女のただものではない聖性に、すぐに人々は気づくことになる。
デビューからほどなく、決して垢ぬけているとはいえないこの少女はきわどい歌詞を、思いつめた純真さと交錯させながら歌うことになる。
「ひと夏の経験」「青い果実」「禁じられた遊び」、この一連の歌曲は「青い性」シリーズと称される。
そうして、山口百恵は中国で爆発的に支持され、それからほどなくして、1987年にコン・リーが「紅いコーリャン」でシネマスクリーンに姿を現す。ユングの共時性理論や平岡正明のようにオリエンタルな宗教偶像の姿をかけあわせた文化伝播論を持ちだしたくなるような話だ。
コン・リー、この少女は、故郷の村人から「山口百恵にそっくりだ」と言われていて、それで女優になることを決心したという。
しめやかに膨らむ唇と、トロリとした大きな眼差し。素朴さと純真さとは裏腹に、隠すことのできない淫靡さと抗しきれない性的存在感を、これみよがしに燐々と発散して、しかし決して下品に堕ちることがない。そう、コン・リーもアジアの菩薩なのである。
チャン・イーモウ監督は、「紅いコーリャン」でデビュー作にしてベルリン金熊賞をいきなり受賞。それから、たたみかけるようにコン・リーを主演にして続々と傑作を撮り続けることになる。
本作「菊豆(チェイトゥ)」はコン・リーを主演としたチャン・イーモウ監督の3作品目。
「紅いコーリャン」で対日抗戦映画の薄手のヴェールの中で、がっちりと物語元型となっていた、虐げられた無垢な女が美貌と性を露わにしながら、その家そのものに不気味な生命力をもって寄生植物のようにからみついていき、最後にはからめとっていく過程を、いくつも暗示される倒錯的エロスとともに描ききっている。
コン・リー演じる若き妻は夜ごとSMチックな迫害に苛まされていくところから、次第に弱気で少々だらしない親族の男をたらし込んでいき悪女として君臨していくステージに応じて、黄色や赤や緑や青といった原色に染められながらカラフルに展開していく。
山口百恵の青い性が、そのまま悲劇となって消えていかないのが、あくまでもチャン・イーモウのスタイル。そして、それが物語的な重量感を観たもののの心に残す。
コン・リーとチャン・イーモウのコンビは全て素晴らしい。女優としての凄みも徐々に露わにし始めたコン・リーを追いかけていくだけでも幸せな体験だ。
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