決闘せよとマッチョイズムは咆哮する/「激突」スティーブン・スピルバーグ

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スティーブン・スピルバーグの1971年の初監督
作品。
原題は”Duel”(決闘)
このタイトルは少し注意したほうがいい。
シンプル極まりない作品であるが、かなりこの作品いろいろな仕掛けがある。
タイトル自体もシンプルだが、なにやら仕掛けがありそうだ。


街で働くセールスマンが郊外の砂漠を超えて売掛の集金に向う。
妻の小言をもらってしまい、どうしても急いで帰らなければならない。
赤いコンパクトカーで、どうでもいいラジオの放送を聞いていると、煤煙に黒ずんだ巨大なトレーラーがのろのろと走っている。
トレーラーから吐き出される煙に閉口しながらトレーラーを追い抜くと、今度はトレーラーが抜き返す。また抜き返すと執拗にトレーラーは追いかけてきて、今度は自分に幅寄せしてくるのだ。そこから、トレーラーによる気狂いじみたカーチェイスが始まる。
なんでもない日常の風景の中に埋没しているものが、突如自分に牙をむき、意図不明なまま危害を与えようとする物語なら、まずはヒッチコックの『鳥』がいわずもがなの元祖。
ホラーやサスペンスの常道ともいえる、この手のストーリーは「恐怖」の裏側に仕掛けがしてあります。
恐怖の原因が最後まで明かされないのもポイントです。なんのために彼や彼女は得体のしれない日常の中のありふれたものに襲われなければならないのか。
ヒッチコックの『鳥』は女性が鍵となる物語でした。スラヴォイ・ジジェク(哲学者/精神分析学者)は、映画『スラヴォイ・ジジェクによる倒錯的映画ガイド』にて、ヒッチコックの『鳥』の恐怖の正体は息子を奪われる母性による女へのヒステリックな攻撃性であると、隠された恐怖が配置される物語の構図を分析しました。
スピルバーグの監督処女作『激突』でも、この意味不明な恐怖を同じような手法で軽く分析してみると面白いものが見えてきます。
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ところで、この作品なのですが、タイトルに「決闘」とつけられているわりには、最後の最後まで主人公はひたすら逃げ回ってるんですよね(笑)
「決闘」らしいのはラストシーンだけです。
サングラスにワイシャツの主人公は、黒澤明の『野良犬』にそっくりのシチュエーションで、砂漠の中のドライブインの、ビリヤードに興じる男やビールを呑む運転手たちの中では、明らかに場違いです。
赤いコンパクトカーも、男が乗るにはいささか趣味が悪い。そして、妻には頭があがることなく、彼女の何かの用事のために急いで仕事を終わらさなければならない。
そこに現れるのが、黒く屹立するトレーラーです。運転手はブーツを履いた男。ただそれだけがわかる。それが、軟弱ともいえる男をひたすら追いかけまわす。
カウボーイブーツのトレーラーの運転手は映画では決して姿を現しません。そして、ただ一度追い抜いただけが理由とは全く思えないくらいにひたすら追いかけてくる。
たぶんこの物語は、フロイトならばいうだろう『去勢不安』の恐怖を背後に隠し絵のように配置しています。強い男によって自分が男性としての機能を取られてしまうだろう恐怖。それが嫌ならば、オレと闘え、「決闘」せよ。
強い男を誇るマッチョイズム。男性原理の象徴ともいえるカウボーイは、現代ではトラックの運転手として砂漠を棲みかとしています(カウボーイはもともと牛を運搬する人でした)。ブーツの男は、男性原理の象徴です。黒い威容のトレーラーを男性器に例えるのは、この意味の回路を通すとそんなに難しいことではありません。
それが、軟弱な男を追いまわすのです。あたかも「それでもおまえは男なのか、たちむかってみろ」とでも言うように。
ラストシーン、崖から落ちたトレーラーは爆発し、黒光りしていた巨大なボディは真っ白になり、そして主人公は夕日に包まれます。
この色のコンストラクトがラストシーンでかわるところも面白いシーンです。
夕日に包まれて逆光でシルエットになる主人公の姿。
なんとなく、自分は晩年マッチョイズムに傾倒して、物語と現実を強引に一致させてしまった三島由紀夫の作品『英霊の聲』の崖の上の切腹シーンを思い出しました。あちらは朝日だったと思いますが、男が男を示す究極の表現である切腹が、崖の上で太陽に包まれてシルエットになるわけです。
軟弱で妻に尻を叩かれていた人が、ここではじめて「男」となったのです。
自分に対して禁止を示したりや成長を促すために、異様な姿で現れる存在・・・スラボイ・ジジェクはそれをラカンの用語をかりて『超自我』といいました。その異様なものとの邂逅や対峙や戦い、そしてそれを通じて成長していく男というのは、作品の娯楽性の裏に走るスピルバーグの一貫したテーマだと思います。
だから、そこにはあまり「女性」は必要ではない。そんなわけで、ジュリエット・ビノシュに「あの人は女が描けない」とばっさり出演断られたりするわけです。よくわかってますね。
有楽町みゆき座の「午前十時の映画祭」にて。いやー、このシリーズいいですねー、やっぱり。

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