幕末動乱と中国マーケット 【1】太平洋の時代 / 「黒船前後・志士と経済」 服部之総より続く
【2】アメリカの太平洋進出と南北戦争
1851年 カリフォルニアクリッパーの太平洋航路開始
1853年 ペリー来航
1854年 日米和親条約
すでに、この頃にはペリー来航に先駆けてアメリカはニューヨーク・サンフランシスコ・広東(上海)を結ぶ太平洋横断の世界一周の三角貿易航路を開拓し、その搬送時間とコストの優位でイギリス船から積荷を奪っている。… 続きを読む
幕末動乱と中国マーケット 【1】太平洋の時代 / 「黒船前後・志士と経済」 服部之総より続く
【2】アメリカの太平洋進出と南北戦争
1851年 カリフォルニアクリッパーの太平洋航路開始
1853年 ペリー来航
1854年 日米和親条約
すでに、この頃にはペリー来航に先駆けてアメリカはニューヨーク・サンフランシスコ・広東(上海)を結ぶ太平洋横断の世界一周の三角貿易航路を開拓し、その搬送時間とコストの優位でイギリス船から積荷を奪っている。… 続きを読む
もともと日本を開国したのはアメリカであったはずである。
ところが、実際に通商条約が各国間で次々と結ばれると、貿易はイギリスにほぼ独占されていた。このことが、明治維新と日露戦争を経て対立関係となる日米関係を読み解くひとつの材料となるのである。
以下、服部之総の「黒船前後・志士と経済」をテキストに用いて整理してみる。
【1】太平洋の時代
… 続きを読む1845年 カリフォルニア共和国独立
1846年 メキシコ戦争
1848年
吉本隆明では、当然ながら初期の詩編が好きではあるけれども、このへんのも好きだ。
吉本の詩で好きなものをひとつだけあげろと言われたら、これをあげることになるでしょう。
この詩は、全集などには掲載されていないのではないかな(未確認)。
「詩の読解」鮎川信夫/吉本隆明 より。
鮎川信夫の選ぶ、現代詩アンソロジー十編のうちのひとつ。
鮎川は黒田善夫の「空想のゲリラ」をあげていたり、吉本隆明は長谷川龍生の「理髪店にて」などをあげている。… 続きを読む
(本文は、皇太子夫妻に跡継ぎが未だ授からぬところから巻き起こった、皇室典範について議論も含む、一連の騒動?を前にして書いたもの。日本中から姑根性丸出しで嫁がイビリたおされていたころ。初出、2006年02月09日)
人の家の世継ぎの話になんでこんなにみんな一生懸命なんだろう。
そして、よくよく考えてみれば、これほど卑しい話はない。
… 続きを読む私は天皇制についても、きわめて日本的な(したがって独創的な)政治的な作品を見るのである。天皇制は天皇によって生み出されたわけではない。
◇「帝国陸軍の“改革と抵抗”」
「帝国陸軍の“改革と抵抗”」は、日本陸軍のいわば国防思想の変遷を3人の人間(桂太郎・宇垣一成・石原莞爾)の「改革」から論じようとした本なのだが、なんだか知らないけど、この「改革」とやらを、小泉「改革」とムキになって重ね合わせようとして無理のある本だった。最近の新書ブームとやらで、こういうロクでもない本増えているのだろうか。
ただし、日本の国防思想の変転をすっきり3人の軸にまとめているところはわかりやすくはある。… 続きを読む
◇日本海軍の終戦工作―アジア太平洋戦争の再検証 纐纈厚
日中戦争から第二次世界大戦に至るまでの外交政治政策を常にリードしてきたのが陸軍で苦渋の決断で太平洋戦争に突入した、というこれまでの通説を検証した書。
政治的なパワーゲームの中で、海軍が積極的に戦争の泥沼を拡大させてしまったという面を取り上げつつ、東条内閣の打倒工作の実状や終戦工作についてひととおりの知識を与えてくれる。
自分が認識を改められたのは、実は東条英機は天皇の肝入りにて任命され、そしてそれゆえに更迭することが難しかったという事実のくだりだ。… 続きを読む
陸軍専任嘱託として太平洋戦争のフィリピンに赴任した技術者が、その捕虜体験の中で書き綴った「虜人日記
」を題材に、山本七平が語る日本論。
日本がなぜ「敗れたのか」をこの書は取り扱ったのではない、日本が「なぜ敗れるのか」という現在形のタイトルがつけられていることに注意するべきである。
本書では、この技術者が目のあたりにした戦場体験をバックグラウンドとして、日本の国家体制の政治と軍事に関して、次のような敗因が分析される。… 続きを読む
◇戦争の日本近現代史―東大式レッスン!征韓論から太平洋戦争まで
日清戦争以降の日本が、安全保障という理由から大陸に進出して、そしてそこから泥沼式に戦争が占領地を拡大し、そしてその占領地が摩擦を呼び、という繰り返しで泥沼に陥ったという流れは、一般的な理解だろう。
本書の卓越は、歴史というのが断絶した出来事の累積なのであり、そしてその中に「深いところで突き動かした力」があるという認識であり、そこから、幾たびも語られたであろう日本の近現代史を検証するところである。… 続きを読む
日露戦争は、「第0次世界大戦」とまでいわれるほど、これまでの戦争スタイルとは違ったものであった。それは戦術や火器の進歩、さらには桁違いの死傷者数などはこれまでになかったものであったが、それとともに大きな違いがあったのは戦費である。
日本が日露戦争で使用した戦費総額は17億円。この当時の日本の国家予算は2億円程度であり、その不足分はすべて外債によってまかなわれている。
日本は日本は戦費の融資を同盟国イギリスに頼んだがこれは断られており、結局は金融市場にて調達するしかなかったのである。… 続きを読む