「マ○コを触って1元」の売淫女にわれもわれもと数百人―南昌市
こちらは江西省南昌市、贛江の河原。対岸は南昌の中心街で、林立するビルが垣間見えますが、昼日中のこんな時間に、大勢の人々が押し寄せています。
道路側には電動バイクがずらり。近辺の人々が噂を聞いて、われもわれもと駆けつけた様子が窺えます。遠くからざっと見積もっても数百人。いったい何の騒ぎなのでしょう。
どうやら河原に面した塀のあたりで何か行われているようです。みたところ男性、それもどちらかといえば年かさの男性が多いようです。私も近づいてみることにしました。
群れを過ぎるうちにおおよそのことがわかりました。この先に7、8人のMY(売淫―中国のネットスラング)女がいて、MY活動をしているというのです。
料金は下半身をさわるのが1元、胸をプラスすると2元、手コキは20元だそうです。破格です。
「1元(約14円)でアソコを触らせてくれる女に数百人の男が群がる…中国」 ・・・一時ネットで話題になった記事を見たとき、すぐに野坂昭如の「マッチ売りの少女」という短編を思い出した。
西成は釜が崎のドヤ街の、マッチ1本灯(とも)している間だけ、スカートの中を覗かせる仕事が「マッチ売りの少女」の商い。
「マッチ1本分のご開帳が5円、カキが50円、尺八が200円」だが、見るからに異形な浮浪者の身なりに客もつかない。しかしどう見ても50過ぎにしか見えないその女は実は24歳。
最後は木枯らしの鳴る三角公園で寒さに耐えかねながら、見たことのない父の温もりを思いながら、アソコにマッチの火をあてがった末に、その火が粗末な服に燃え移って死んでしまうというストーリー。
この話は、昭和40年代の話で、しかも実話ベースの話なそうな。
そういえば、自分がこのへんに住んでいた90年代前半でも、とんでもない老婆が客引きしているのが、このへんでは当たり前だった。
このマッチ売りの少女の話も、実話ベースの設定を使った物語。
ちなみに別役実にも同設定を取り扱った「マッチ売りの少女」という戯曲があるらしい。
映画だと、梶芽衣子の「女囚さそり」シリーズの一作に、やはりマッチ一本いくら・・・という売春婦が出てくる。
だいたい今の中国は高度成長まっさかりの昭和40年代の日本にあたるのだろうと思う。ちょっと前だったら、こんなことはニュースにもならなかったはずで、このニュースがニュースとしての価値が出てきたということは、そういう闇の部分が少しずつ払拭されはじめているということを示す。
いつも思う、中国やら北朝鮮のイタイ話って、だいたい時差40-70年くらい前の日本の事情をそのまま繰り返しているだけなのではないか、と。
まるで日本海と黄海に、宇宙みたいな光年の概念とかがあって、今「特定アジア」のバカさを嘲っている人は、まるでその30光年とか70光年先にある鏡を見ているのと同じなのではないかと。
北朝鮮は軍国日本の鏡だし、中国はエコノミックアニマルと名指しされる少し前の高度経済成長の日本。
貧すれば瀬戸際で生きることになるし、富裕な暮らしはそういうものを忌み嫌うことができる。あるのは生と死だけだ。そこでどのようにオレらは振舞うことができるのか。
野坂昭如はいつもそういうシーンを描いてきた。お前らが何事もなかったように隠しているそれをオレは知っている。おまえさんのすぐうらにこれがあんねんぞいうておしえたるんや・・・それが織田作之助流の文体速度で展開される。 露悪趣味なのではない、野坂はいつも徹底的に嘘をつかないだけだ。
野坂を離れて、鏡の話をもう少し。
きっと日露戦争以降の日本を見ていたアメリカとかは、日本を、自分の投影として見ていたのではないかと思う。南米はオレらの庭だと勝手に宣言して、さらにはキューバやパナマ、フィリピン、ハワイと次々にデフレの恐怖に苛まされながら、めちゃくちゃに領土拡張で帳尻あわせようとしていたころの自分の鏡として。
チベットの暴動に対して、「シンパシー」を表明し、中国政府を糾弾している人に、かつての日本が民族主義的な暴動をいくつもいくつも弾圧してきたことを強引に肯定する人がいるのも不思議な話なのだが、こういった人は、ようするに単に中国の「脅威」に苛まされている人だと思う。
つか、チベタン支援運動はずいぶん前から展開されているし、チベット暴動みたいなことは毎日パレスチナで、イラクで、チェチェンで、至るところで巻き起こっているのに、なぜ突然にチベットなのか、非常に利害関係がわかりやすすぎる。これはいつものアメリカ視点の話。 ドルのシニョレッジの保証人をさせられたうえに、今度はこっちに利用させられるのは、いかんとも。
鏡を「特定アジア」において、自らの鏡にむかって非難を繰り返すトリック。
そうしてマッチ売りの少女は、40光年先でわれわれの過去を抉り出すだろう。
今の中国は、コミュニズムの看板をあげたままの絶対主義国家みたいなもので、遠くない将来に「ブルジョア革命」が巻き起こる。そのときに、世界経済は中国を軸に展開しはじめる。
そして、究極の選択肢は2つ。黄禍論ならぬ「シナ禍論」が巻き起こるか、勝海舟のようなグローバリストが夢想していたアジア共栄圏のコンセプトが浮上するか。
ドルの信認はさして続かないという命題をも巻き込みながら、きっとオレが爺になるころには、いろいろなことが巻き起こるだろうなあ。
この歴史の鏡のトリックから慎重になりつつ、そしてはじめて何かが成し遂げられるだろう。
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