ジャン=ピエール・レオーのドワネルシリーズの第四弾となります。
「大人はわかってくれない」から「二十歳の恋(アントワーヌとコレット)」、そして「夜霧の恋人たち」と続くにつれ、だんだんと、笑いと涙の松竹大船調のような家庭ドラマになっていくのだが、この作品あたりは、人々の善意に取り巻かれる幸福なダメ男のお話として、完全に行き着くところに行き着いた感。
前作にて恋が実り結婚し、子供ができているドワネル。仕事といえば、相変わらず胡散臭い商売。花に着色する商売というのも、なんだかドワネルがトリュフォーの分身だとすれば、自分の映画監督の仕事を自ら揶揄していると思えなくない。
ひょんなことから、日本人女性と浮気の関係になり、怒った嫁は別居。そこから縁りを戻そうとドタバタが・・・そんなストーリーです。
愛すべき人たちに囲まれた下町風情のアパートメントから始まり、幸せな風景の中のちょっとしたすれ違いや月並みなトラブルなどを、ユーモラスに描いています。
浮気を発見するきっかけは花束のバラのつぼみにこめられた小さなラブ・レターなんだけど、そこからポロリと落ちる描写と、それを受けての嫁の反応。 そして、その日の帰宅時のコスプレ鬼嫁怒りのシーンなど、ぶっちゃけ、ここまでやっていいのかというくらいの悪ふざけもあります。
ジャック・タチのぼくの伯父さんのユロ氏がホームでなんとなくすれ違ったり、浮気相手の日本人女性から渡されるメッセージが「勝手にしやがれ」など、こういうおふざけノリがひたすら続く、幸せなドラマですよ、これ。
時代は、すでに1970年。とりゅふぉーは、ヌーヴェル・ヴァーグの旗手としての役割から開放されつつありました。
そしてだからこそ、こういうやりたいことをやれる「巨匠」としてのみ力を抜いてつくることの出来る映画ですね、いい意味でも悪い意味でも。
ところで、この映画に出てくる浮気相手の日本人女性役は、松本弘子。
東洋人丸出しのエキゾチシズムが、ひとつのお笑いのポイントになっているわけですが、この人、日本人初のパリコレモデルで、この道の先駆者だったんですねえ。
神保町シアターの「トリュフォー特集」にて
トリュフォーの松竹大船調 / 「家庭」 フランソワ・トリュフォー 【映画】
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