サラエボとアルゼンチンの反米思想のライン /「マラドーナ」 エミール・クストリッツァ

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ブログを移転して、はじめてサッカーネタに触れます(笑)
クストリッツァのドキュメンタリー映画、「マラドーナ」です。
さて、映画の中で、「マラドーナ教」(“神の手”教)というのが出て参ります。
聖なるマラドーナを讃え、洗礼の儀式は神の手ゴールを信徒が再現するし、ファン同士の結婚式まで執り行ってしまう。
そのときの安っちょい祭壇に安っちょい格好で出てくるマラドーナ教の司祭が、聖典として手に持つのは、”Yo soy el Diego”(邦題:「マラドーナ自伝」)です。
これは自分にとっても聖典ともいえるものなんですよね。やはり、マラドーナは手放しで好きです。
だから、映画としての出来はもういいんです・・・。
ここは目をつぶりたいところです。
クストリッツァが、米州首脳会議のデモに出かけて、演説をうつマラドーナやウーゴチャベス(反米のラ米主義のベネズエラ大統領)やモラリス(ボリビア初の先住民出身の大統領。社会主義者)などと同じ演説台にいるところが、スクリーンで映っている奇跡だけを賞賛したい。
クストリッツアも、このドキュメンタリーでは単なる一ファンの視点。これで良いドキュメンタリーが出来るはずもありません。きまぐれなスケジュールに振り回されて、自宅前のロケバスで待機し続ける姿や私生活のやんちゃぶりに付き合わされるのも、これはこれで彼のサッカーファンとしての夢だったのでしょう。(クストリッツアのリフティングはそこそこいけてましたね。)
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この映画は、1995年から97年くらいまでのマラドーナのドキュメンタリー。
映画の中のクストリッツァのナレーションにあるとおり、これは彼の主人公をマラドーナに見出している監督自身の歓喜をハンディカメラの映像で追ったドキュメンタリーです。
そういう意味でも、この映画については、3つの前提知識が必要となり、それがないと監督と同じく、そして自分と同じ歓喜には至れないことになります。
まずひとつは、マラドーナのサッカー人としての歩み。
ほとんどの人は「5人抜き」「神の手ゴール」のマラドーナは知っているだろうけど、それがフォークランド紛争とどのように関係があったのか、ナポリで神とあがめられているところまでは知っているだろうけれど、それ以上のことは知らないのではないか。
まあ、これは「マラドーナ教」の経典「マラドーナ自伝」でも読んでくれるといい。
映画では、あまりいい映像では現れません。市販のマラドーナのDVDとかのほうが良いかもしれない。
もうひとつは、南米の反アメリカ思想の高揚のこと。
19世紀のモンロー主義の昔から続く、アメリカ合衆国の棍棒外交(ようするに南米は合衆国のものというジャイアン政治のこと)、そして近年では90年代にアメリカから押し付けられた新自由主義が招いた経済的混乱から、現在まで南米は反米の傾向が続き、政権も中道左派まで含めるとほとんどが社会主義傾向が強い。
この撮影の期間は、オバマ就任前。ベネズエラ、ニカラグア、ボリビア、エクアドルなどは、完全にアンチ=ブッシュの反米政権が民主的な選挙で確立されていたわけです。
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そして最後はクストリッツアの祖国セルビアがユーゴ紛争時に、国連の承認のないまま、やはりアメリカの後ろ盾によるNATO軍による空爆を受けていること。
そのへんを踏まえて、クストリッツァが、新しい時代のリーダーの肖像をマラドーナに見出したかったというところは理解できます。
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この映画がそういうところまで踏み込める出来だったかは、観客の皆さんにご判断いただくことになりますが、少なくとも、以上のような背景をもとにして観れば、ブレブレのハンディカメラの手ぶれ酔いにも耐えてみることも出来ると思います。
なお、ラテンアメリカの反米化については、項をあらためて書きたいと思います。
FWF評価:☆☆☆★★

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