『神道はなぜ教えがないのか』 島田 裕巳
日本人の固有の民族宗教は神道となるわけなのだが、これほど曖昧模糊とした「宗教」というのはなんなのだろう?というのが本書。特に著者からの回答もなく、サジェスチョンめいたものもない。
実際、神道をキリスト教・イスラム教・仏教というような体系的な宗教と比較すると、もうなんにもないわけで、「開祖もない、宗祖もない、教義もない」ということになる。
ただ、これ自体は現代に流通する「世界宗教」と比較するからそうなるわけで、例えばゾロアスター教やケルトの信仰のようなものだとやはりないないづくしの宗教になる。それぞれ、多神教の宗教としてニューカマーの世界宗教の壮大な体系からは否定されつつも、それらと共存したり、形を変えてそれらの世界宗教に地域レベルで溶け込んでいるところも特徴。
実際、神道といっても、その最高祭司である天皇は、「出家」したり、仏門を奨励したり、死んだら寺院に葬送されたりするわけである。こういう神仏混淆はつい江戸時代まで行われていたこと。
ようするに神道にはなにも実質的なものが無いのが特徴であり、それだからこそ時代を経ても生き残ってきたということである。
以下、ざっくりまとめ。
・神道には開祖もない、宗祖もない、教義もないし、救済すらない。
・そんなのが宗教なのかと疑問もうまれる。が、それを逆手にとって明治以降の近代社会では神道は法律的に宗教ではないとされてきた。
・神社の中心(本殿)には、神像もない。よくて鏡や依代があるだけ。
・そもそも今のような社殿で由緒あるとされているもの、鹿島神宮や熊野本宮大社のようなものは紀元前からつくられているとされているが信憑性は薄い。
・日本書紀や続日本紀などにも、神社創建の記録がない。逆に仏教の寺院や伽藍の建設については記載がいくつかある。
・仏教は仏像を安置する社殿が必要なので、それの影響を受けて後から神道の社殿が出来たのが本当のところか。
・それまでは岩の上で祭祀を行っていた形跡が多数。山そのものが信仰の対象となっていた例も。
・登呂遺跡や吉野ケ里遺跡の神殿は、考古学者が想像で復元しただけのもので、それがあった証拠はない。
・沖ノ島は島全体が宗教上重要な場所であったらしい。そこでも祭祀は巨大な石の上で行われていた。
・熊野新宮の神社も岩が信仰の対象。これらは仏教渡来以前から行われてきた。
・火を神聖視する祭祀も多いのも特徴。
・日本創世の逸話も、天地は最初から存在していて、そこに後から神々が生まれてくる。ここには世界を説明するための論理がない。
・創造する中心が神ではないから、それこそ八百万の神が存在することになり、死んだ人がそのまま神となる慣習まで出てくる。
・神道の教義のようなものは中世につくられはじめるが、それは仏教の影響が強く、しかもそれを体系化したのは仏教の僧侶である。
・神道と仏教は、片方が生の領域、片方が死の領域という役割分担を果たして共存してきた。
・日本で一番多い神社は「八幡神社」であるが、これは奈良の大仏が建立されたときに歴史にあらわれる。つまり、「大仏を守護する神」ということ。
・八幡神は仏道修行にいそしんでいる「僧形八幡神」の神像でも知られるが、日本で第一の神が、実は仏教の教えに準じる神で、かつ神話の時代に遡らない。
・天満宮の神は菅原道真であるが、もともと道真は藤原氏に左遷されて失意のうちに死んだ人。その怨霊がたたりをおこすとして祀られたのが、神となった。
・その後も、豊臣秀吉が豊国神社、徳川家康が東照大権現、明治天皇が明治神宮、乃木や東郷までもが神社になるなど、特に近代以後、とりとめもなく広がり続けている。
・その代表が靖国神社。
・これらの信仰は、キリスト教やイスラム教の聖人信仰と似ているが、それ以上に日本の場合は神になるための制限が少ない。
・神を祭るための神主も教義がないため特に資格もいらないし、修行らしいものもない。そもそも神社には誰も神主がいないケースすら多数ある。
・中世では天皇が神主らしい役割をしていた。これは現代にも受け継がれている。
・神道の体系化は時代時代で密教の影響を受けたり、儒学の影響を受けたりした。
・江戸時代に国学とよばれる、儒学や仏教を配した神道の理論がはじめてまとまっていく。そして、これが明治以降の天皇制のバックボーンとなる神道の理論となる。
・近代天皇は、神であると同時に祭祀であり、現人神とされた。だが、江戸時代の天皇家では菩提寺もあった。つまり仏教徒だったわけである。明治になってはじめて宮中から仏壇がのぞかれ、祭祀の施設である「宮中三殿」ができた。
今ある神道のスタイル、特に皇室にまつわるものは、江戸の国学が提唱したニューウェーブであり、このほとんど新興宗教に近いスタイルを明治政府が国家神道に仕立て上げたというのが流れである。
コメント
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