幕末動乱と中国マーケット 【2】南北戦争とイギリスの暗躍 / 「黒船前後・志士と経済」 服部之総


幕末動乱と中国マーケット 【1】太平洋の時代 / 「黒船前後・志士と経済」 服部之総より続く
【2】アメリカの太平洋進出と南北戦争

 1851年 カリフォルニアクリッパーの太平洋航路開始
1853年 ペリー来航
1854年 日米和親条約

黒船前後・志士と経済 他十六篇 (岩波文庫) すでに、この頃にはペリー来航に先駆けてアメリカはニューヨーク・サンフランシスコ・広東(上海)を結ぶ太平洋横断の世界一周の三角貿易航路を開拓し、その搬送時間とコストの優位でイギリス船から積荷を奪っている。
さらに決定的に中国との輸出入を有利に行うためには、太平洋をまっすぐに横断するルートを最新の汽船でつくることだ。それが世界経済の中での覇権を左右する貿易ルートだ。
あまり知られてはいないが、すでに1846年にアメリカは、喜望峰廻りのルートで通商条約をもった軍艦を中国経由ですでに一度日本に派遣している
ペリーが完全に砲艦外交の手口で、江戸幕府のタイクーン(将軍)に開国をせまり、アメリカの領事のハリスが在日までしながら通商交渉を進めたのは、その後のことである。
日本をまきこんだこの頃に、太平洋が本格的に商業上の舞台になり、そして同時に、日本が地政学上の背後が、世界経済の切っ先に立たされることになったわけである。
もちろん、日本の目の前にはアヘン戦争の南京条約で決定的に目の前にまで迫ってきているイギリスがあり、ナポレオン3世が即位し拡張政策を開始したフランスが一歩遅れてやってきて、さらには北からはロシアが迫っている。

 1861年 南北戦争
1863年 薩英戦争
1864年 下関砲撃
1864年 南北戦争終了
1866年 薩長同盟
1868年 明治維新成立

ところが、1858年の通商条約による開国後の事情はちょっと違う。ここから幕末史の中でアメリカの存在はとたんに薄れてしまうし、肝心の中国貿易、さらにはここからしばらくして始まる領土を直接に占有していく帝国主義時代になってからも、中国への進出はアメリカはうまくいかなくなる。
1860年にアメリカが経験した最大の戦争である南北戦争が始まっていた。

【アメリカ人の戦死者数比較】
南北戦争・・・・・・・・62万人
第一次世界大戦・・・11万人
第二次世界大戦・・・32万人
朝 鮮 戦 争・・・・・14万人
ベトナム戦争・・・・・・ 6万人

アメリカが経験した戦争でもっとも多大な影響を国内に与えたのは、第二次世界大戦ではない。
南北戦争がそれだ。
この戦争による影響により、いったんは中国貿易で優位に立ちつつあったアメリカの帆船がシナ海から姿を消し、さらには大西洋貿易さえも汽船を導入しはじめたイギリスに遅れをとりはじめることになる。
日本とても同じであった。
当初の横浜の貿易額のほとんどはイギリスのものであり、さらにはイギリスは武力の力と金融力をもとに、武器供与を通じて反タイクーン政府(反幕)の勢力を支援し始めていた
1834年にイギリス東インド会社の中国に対する貿易独占権が廃止されてから、中国をめぐる貿易のコンペティターであったイギリスとアメリカは、このマーケットをめぐって競合関係を日本にまで延長させていたのである。
開国後、日本の金の安値に目をつけた金融商人は、裁定取引で利ざやを稼ぎ、イギリス商人は薩摩や長州に、オランダ商人は幕府に、南北戦争の趨勢とともに市場にだぶつきだしていたエンフィールド銃や最新にミニエー銃を、日本の「南北戦争」のために大量に売りさばいていた。
日米和親条約から9年後の1863年には、すでに長崎横浜の貿易総額は、輸出600万ドル、輸入220万ドルにまで膨れ上がっている。
すでに世界経済の中に日本が組み込まれているのだ。この頃、日本国内は輸出超過による空前のインフレーションがおきている。
これらを主導したのはイギリスであり、そしてイギリスの経済と金融からなる対日本政策は、明治維新の下部構造を規定したのである。
かつての17世紀の世界経済システムの覇者であり、その頃のよしみで唯一江戸幕府のタイクーンの意思決定に影響を及ぼすことの出来たオランダは、すでにアジア・マーケットの「負け犬」となりつつあった17世紀の世界システムの覇者であるオランダは、イギリスの影響力の波及を良い思いで見ているはずもなかった。
そのためもあり、イギリスはオランダの諫言受ける。さらには中国と同じように外国人排斥運動の矢面にたつ。
そのため、早々にタイクーンの権威を見限り、すでに英国含めた近代軍隊の武力に屈していた薩摩と結び、さらには長州とのジョイントまでをもプロデュースし、ミカドの勢力に鞍替えするのだ。
タイクーン政府はこの地(長崎)では純粋な市政事項を除けば絶対的に無力である。内地交通が既に遮断されているのではないかとさえ疑われる・・・・ミカドに赴いてミカドとの間に改訂条約(通商条約)を結ばないかぎり、絶対に満足な対日関係は生じ得ないことは明らかである・・・そして全外国列強がこの目的のために連合しさえした、かつて日英間にその表示を見た待望この上もない”新時代”はついに明けるだろうし、日本みずからは我々によって内乱の禍悪から免れるであろう。
1863年の英国公使に当てた長崎英国領事モリソンからの文書である。
これから、実際に英国の武力が薩摩や長州に直接行使され、そしてしばらくして、スミスアンドウェッソンの最新式拳銃を懐に抱えた坂本竜馬の暗躍が始まる。
一方、アメリカはこの動きに全くついていけない。唯一フランスは、幕府側にまわる動きを見せる。代理戦争である。
だが、結局は幕末日本の「南北戦争」は、グローバルな視点で世界情勢を感知していた日本の賢人たちによって回避される。日本には南北戦争も太平天国の乱もおきなかった。
このことが、その後の日本の針路をアジア唯一の近代国家へと導く大きな要因となる。
来るべき一大内乱に儲けを企み、銃と弾薬を大量に仕入れストックさせていた長崎グラバー邸のイギリス商人が、武器在庫を抱えて破産するのは、その後すぐのことである。
つづく

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