『黄禍論と日本人 – 欧米は何を嘲笑し、恐れたのか』


黄禍論と日本人 - 欧米は何を嘲笑し、恐れたのか (中公新書)
昭和天皇独白録の述懐の中でも有名なもののひとつに、太平洋戦争の理由を述べたものがある。

いわく、太平洋戦争の遠因は、それからさかのぼる20数年前の第一次世界大戦終了後のパリ講和会議で、日本が提出した人種差別撤廃条約のアメリカとイギリスによる否決したことうんぬん。

当時の情勢を振り返る。ドイツのヴィルヘルム2世は、日清戦争の勝利の前後から欧州の権益を損ねるアジア人種は脅威であると、いわゆる「黄禍論」を打ち出す。ちょうど中国のナショナリズムが萌芽期に入ったころ。

カイザーは自らアイディアを出して有名な「ヨーロッパの諸国民よ、汝らのもっとも神聖な宝を守れ」と題した風刺画を新聞紙上で発表させる。
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ここらから、はじまる欧米のアジア人にむけられた新聞の政治風刺画をまとめながら、黄禍論の中で日本人がどのように描かれてきたのかをまとめたのがこの本。したがって、タイトルは「風刺画の中の黄禍論」とでもつけるのが本来正しい。

しかし時系列に並べるとよくわかるのは、黄禍論というのが必ずしも単純な人種差別ではなく、政治的な背景がもとになっていること。

カイザーの黄禍論は、欧州内でも眉唾なもの(単に遅れてきたドイツがアジアの権益を狙っている)とされてきて、数々の風刺画のパロディを生み出してきたこと。

風刺画の中で、イギリスとアメリカは日本に対して一貫して好意的だったのが、日露戦争を境に徐々に日本人を悪く書きはじめてきたこと。

特にアメリカが満州の権益を期待しながら国債の購入や講和の労をとってきたのに、なにひとつ彼らの利益はアジアに確保できなかったあたりから、急激に増えだしていた日本人移民の排斥運動がはじまるあたりはわかりやすい。

人種差別撤廃の流れは、その後にむしろそのアメリカが実現してきたというのがこれまた皮肉な話。カイザー流の民族論はその後ナチスに受け継がれるのだが、そのカイザーは第一次世界大戦後に亡命したオランダからナチスの呼びかけにも関わらず離れることはなく、ゲッペルスにはユダヤ人認定されるというおまけまでついている。

 

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