-->あの原爆は爆発していない / 「太陽を盗んだ男」 長谷川和彦 【映画】 - Football is the weapon of the future フットボールは未来の兵器である | 清 義明

あの原爆は爆発していない / 「太陽を盗んだ男」 長谷川和彦  【映画】

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横浜黄金町ジャック&ベティの「沢田研二映画特集 ジュリー!!」にて。

カネにも女にも執着はなく、ましてや出世や友情などにも興味のひとかけらも感じられない徹底的に孤独な中学校の化学の教師。それが主人公。都市の片隅にいて均質なゆえに、透明にさえ感じられる存在だ。
それが、みずからを9番目の核保有国となり日本国と対峙することになる。その理由はこの映画ではまったく描かれない。おそらく彼は、ただ単に退屈だったのだ。
「巨人戦のナイターを最後まで見せろ」
「ローリングストーンズを日本に呼べ」
退屈な日本人のしがない夢。それを彼は実現する。あくまでも暇つぶしのひとつとして。
そして、そんな退屈な日常を爆破してするものを手に入れること、それだけが彼の目的だ。
この映画の制作年度からさかのぼることは9年前、三島由紀夫は次のように語っている。
「私はこれからの日本に大して希望をつなぐことができない。
このままいったら“日本”はなくなってしまうのではないかという感を日ましに深くする。
日本はなくなって、その代わりに、無機質な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜け目がない、ある経済大国が極東の一角に残るであろう。
それでもいいと思っている人達と、わたしは口をきく気にもなれなくなっているのである」
実際、日本国はその無機質で空虚な経済的な繁栄を実現しかかっていた。完成したのは80年代。この映画が予言しようとしていたのは、このような事態のなかにあらわれる破壊衝動の形なのではないだろうか。
ひとつ、物語冒頭の小さなエピソードに過ぎないと忘れていた、「天皇陛下に話がある」とバスジャックする老人が気になった。老人も太陽を盗もうとした孤独な一人だ。ただし、その破壊衝動はオールドファッションな天皇制に吸収されている。
9年前に自衛隊の決起という現実感のない夢想を、白昼にこれみよがしに人前に晒して、これ以上ない演出の結果、「劇的に」死んでいった三島をもう一度想起しよう。
空虚な繁栄とそれと裏腹にある喪失感。
まだ日本は占領下にあるという現実を暴露しながら、その豊かさの中で破滅していく主人公を描いた村上龍の「限りなく透明に近いブルー」は1976年の作品。
村上龍は、この作品の後、みなが実は「戦争」を渇望していると喝破した作品「海の向こうで戦争が始まる」を書き上げる。
三島が予言した虚ろな日本人である映画の主人公がつくりだした原爆が爆破しようとしていたのはこのような事態なのではないか。
よりすがるべきものは天皇制にはなく、それは気が狂った老人の幻影だ。だから、プロ野球やロックミュージックといった商品をいったん崇拝してみよう、しかしそれも違う。その答えはどこにも提示されないばかりか、現在まで持ち越されている。
ところで、主人公がラストシーンで、時限装置の秒針の音とともに新宿の歩行者天国に消えていき、最後にきのこ雲が立ち上るシーンは、微妙なカタルシスを生み出すが、しかし本当にあの原爆は爆破されたのだろうか。
wikipediaの記述によると、設計図の詳細から、あの爆弾は効果的に爆破されることはなく、ただ放射能被害を部分的な拡散させる程度であったのではないかと推察されている。
自分も思う、あの原爆は爆破されていない。そうして日本は80年代から続く、うすっぺらな栄華と繁栄を味わうことになっているからだ。

石井聰亙の『狂い咲きサンダーロード』(1980)は、その破壊衝動のみがアクセルを踏み切った速度で展開される。そこでも右翼は現れ、そして結局はそこに破壊衝動はマッチしない。そればかりか、結局は体制の補完物にすぎないことがグロテスクに暴露される。行き場を失った暴走族の反抗が行き着いた先は、畸形や舞踏や音楽に彩られたフリークスの世界だった。そこを根城に、最後の戦いが始まる。
確かに80年代の反抗は、サブカルチャーの中で演じられるフリークスの中でのみ演じられた。拡散し、消滅しかかった破壊衝動は、結局は行き場を失った。
自分たちは、その後の光景に立ち会っている。
さまざまな方法で、散発的に、そして、さらに都市に追い詰められながら、太陽を盗もうとしている男たちと、ニュースを介して対峙しながら。
梶井基次郎は「檸檬」を爆弾に見立てて、京都の町の爆破を夢想した。そして、1979年、檸檬は原爆になり、新宿の街に沢田研二の二枚目のやさおとことともに事件装置の刻む音とともに消えていく。繁栄の都市の中の透明な存在が、太陽を盗む物語は、それから映画はもちろん、小説やコミックや音楽の中の物語を通じて、様々に変奏を重ねた。

「太陽を盗んだ男」は間違いなくその物語群の中の一大傑作のひとつだ。

コメント

  1. 太陽を盗んだ男 ~沢田研二主演~

    1979年に作られた沢田研二ことジュリ―主演の「太陽を盗んだ男」を見たんですが、ギャッフン!!!だ。
    若者の社会や国家への漠然とした不満、という普遍的な題材なので、古い作品にもかかわらずまったく古臭さはない・・・というよりむしろ新しい感じがした。
    斬新…

  2. カワベ より:

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    はじめまして。TBさせていただきました。
    本日これを見てかなりぶったまげたんですが、こちらを読ませて頂き時代背景のことを知って一層興味深いです。
    古い映画なのに古さを感じないというかむしろ新しい気がしたのですが
    「空虚な繁栄とそれと裏腹にある喪失感」
    これが現在にも共通している世相で共感しやすかったのかな、と思いました

  3. 映画 太陽を盗んだ男 をみた

    太陽を盗んだ男 [DVD]クリエーター情報なしショウゲート
    この映画は中学校の理科教師の城戸誠(沢田研二)が茨城県東海村の原子力発電所から液体プルトニウムを強奪し、アパートの自