◇「インビクタス」公式サイト
1978年のサッカーワールドカップ・アルゼンチン大会、数々の栄光を手中にしキャリアの頂点にいたはずのヨハン・クライフは、その大会の出場を辞退している。
1976年の軍事クーデターによって、当時のアルゼンチンは軍事政権下にあり、反政府勢力への弾圧により数万人の行方不明者を出していた。「行方不明者」、これはようするに政府に殺害された人と考えてよろしい。
そのため、このアルゼンチン大会は「血塗られたワールドカップ」と呼ばれることになる。クライフが出場を辞退したのはそのためだ。
ヨーロッパやアジアから呼ばれたナショナルチームは、ブエノスアイレスのリバープレートの宿舎に泊まることになっていたが、そこはもともと拷問で何人もの反体制運動家が殺されてきた収容所を改装したところだった。
軍事政権は、この大会で、国内の不満や反政府の動きを封じ込める効果を狙っていた。経済や圧制に対する不満を、スポーツの国家代表を使って懐柔しようとしたわけである。
そして、アルゼンチンはこの大会を優勝する。
ノーベル平和賞を受けたアルゼンチンの平和運動家ペレス・エスキベルはこの大会を「アルゼンチン人民の悲惨と抑圧を隠すために、巨大な舞台セットで作り上げられた」と語った。そして、その舞台での「優勝」に、右派も反体制家も、政治家も人民も喜び街頭に出た。ワールドカップにより軍事政権は国をひとつにすることに成功したのだ。
「2500万人のアルゼンチン人が同じゴールを目指した日、アルゼンチンは一度でなく千回も勝ったのだ」軍事政権の財務大臣はこう語った。
スポーツが国家体制の称揚や政治的な意図によって利用されることは歴史の中ではいくつも観察されている事態だ。
ナチスが「アーリア民族の優秀性と自分自身の権力を世界中に見せつける絶好の機会」として、ベルリンオリンピックを開催したのはもっとも有名だろう。映画では、レニ・リーフェンシュタールの「オリンピア」がこの光景を完璧に見せつけている。
1934年のサッカーワールドカップのイタリア代表は「ムッソリーニのアズーリ(イタリア代表の愛称)」と呼ばれて国威発揚に使われていたこともある。
ブラジルが軍事政権時代、サッカーワールドカップのテーマ曲はその政権のテーマソングともなっていた。
こうしたエピソードは本当に数え切れないぐらい続いている。
この映画「インビクタス」は1995年のラグビーワールドカップ南アフリカ大会を巡る物語。映画は南アフリカにおけるスポーツと国家の関係をうまく捉えつつ、ネルサン・マンデラの人種融和の思想を描き出す。しかし、裏返すとスポーツをナショナリズムの道具に使った政治家のエピソードと片付けてしまうことも可能な題材だ。
クリント・イーストウッドの映画の基調となるボトムラインの旋律は、いつも倫理と反倫理のギリギリの境界線を表現する。
反倫理には倫理ではなく、反倫理で対抗するしかない。そういうマッチョな思想がいつでもあらわになりながら、マッチョさが男の孤独とセットになっていることも忘れずに描写される。
スポーツにより、国民を統合して理想的な国家像に収斂させる政治手法。
それは、ダーティー・ハリーのマグナム44と同じく危険なものである。
この映画のネルソン・マンデラも、ハリー・キャラハンと同じく、その危険な武器を使ってやりぬける。そして多くのクリント・イーストウッド作品の主人公と同じく、民衆の尊敬と愛をつかみとって国家元首となりながらも、家族の愛に恵まれずに孤独で、そしてひとりで決断してひとりでその責任を負う。
ひとりで責任を負うのは、その行為が決して許されるものではないことを承知で行うからだ。
南アフリカ代表チーム「スブリングボクス」のユニフォームを着て満員のスタジアムに現せるネルソン・マンデラは、この倫理と反倫理がギリギリの地点である行為について、ひとりで責任を負う。自分を28年間自分を牢獄に入れた白人の愛好するスポーツのスタジアムに、暗殺の恐れがあるにもかかわらずに乗り込み、ブーイングとポップコーンが頭上に飛び交う中で選手を激励する。
スポーツと幸福なナショナリズムの結合した映画はいくつかある。
自分が好きなのは、サッカーのオールスター選手の映画であった「勝利への脱出」。
そういう種類の幸せなスポーツ・ナショナリズムの映画のひとつとして考えて、スマートな映画のまとまり方を賞賛したい。
クリント・イーストウッドのいつもスパイスがふんだんに使われたところが、さらにポイント。
秘書と大統領警備隊とラグビー代表チームの3つに焦点が当てられている小ぶりな舞台設定も好感。
今年2010年、サッカーのワールドカップは南アフリカ大会。
サッカーでは、「スプリングボクス」ではなく、「バファナ・バファナ」が彼らの代表である。
FWF評価:☆☆☆★★
幸福なるスポーツとナショナリズムの光景 / 「インビクタス」 クリント・イーストウッド
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