-->ペルシアン・インディーズは本当の反抗音楽だった / 「ペルシャ猫を誰も知らない」 バフマン・ゴバディ - Football is the weapon of the future フットボールは未来の兵器である | 清 義明

ペルシアン・インディーズは本当の反抗音楽だった / 「ペルシャ猫を誰も知らない」 バフマン・ゴバディ

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イスラム教国の戒律の厳しさには、かなりの落差がある。
自分が知っているかぎり、一番厳しいのはサウジアラビア。
至るところに「宗教警察」がいて、破戒した不届きものに対して眼を光らせている。宗教警察のターゲットになるのは何も自分の国の人間に限らない。戒律は外国人にも強制されている。もっとも、この国には商用などの理由がない限り、メッカ巡礼のイスラム教徒以外は入国さえも出来ないことになっているのだが。
たぶん、世界でもこの国と北朝鮮は、かたや宗教、かたや政治面の違いはあるものの、別格な独裁国家であろう。
このサウジアラビアのように、宗教的に戒律が厳しい国は、第二次世界大戦以降に、原理主義的傾向をもつ政権が主導権を握っている。サウジアラビアはアメリカの後ろ盾を得ながら、ワッハーブ派という厳しい戒律を日常から守っている宗派の一族がつくりあげた国だ。
アラブのイスラム教は1,000年以上のあいだ世界で覇権を握っていた。この視点からすると、イスラム教の時代以降の長い間、ヨーロッパなどは単なる辺境に過ぎなかったのである。
しかし、その時代の大半はオスマン・トルコの統治。緩やかな宗教傾向と統治政策で繁栄を築いたオスマントルコの時代のアラブは、むしろ自由な時代だったといえるだろう。
そのトルコは、第一次世界大戦の前後で没落し、日本の明治維新をならって急速に欧州文化を取り入れていくわけだが、逆に今度はオスマントルコに統治されていたその他の地域が、混乱していくことになる。帝国主義時代の中、イランはドイツに接近し、イラクはイギリス、サウジアラビアはアメリカというように色わけされていき、そして決定的な変化は石油がこの地域に豊富に産出されるとわかったところで起きる。
オイルパワーを背景に、ナショナリズムの装置が輪転しだしたところで、逆にこれらの地域の中で、宗教色を強めた排他的な原理主義な傾向を強めていくところが出てきた。
イランはもともとペルシャと呼ばれていて、イスラム教ができるあがる時代から繁栄してきた地域である。アラブのほとんどの国が、アラビア語を話すのに対して、この国だけはペルシャ語であるし、主流アラブと極めて対立したとげとげしい思想をもつシーア派がこの国のメインストリームなところも、その独自性をあらわす。
もともと、王家によって統治されてきて、第二次世界大戦後には親米傾向の政治がおこなわれてきたところで、イスラムの宗教的な揺り戻しがはじまる。1970年代にイラン=イスラーム革命がそれである。
以降、イランは宗教的権威が政治を統括する国家となっている。
もともと、立憲君主国の体裁をいち早く取り入れ、欧米の文化を受け入れてきたイランの人々にとって、イスラム教による宗教的統治はもはやそぐわない面もある一方、それでも大多数はこの統治体制を支持してはいるため、様々な社会的な混乱はおさまることがないのが現状。
現在のイランでは、音楽・映画含めた欧米の文化は基本的に禁止となっている。
欧米的な自由主義と宗教的統治がせめぎ合う様は、この映画の基本モチーフであるのは観てのとおり。
イランの映画はこれだけ名作が多いにも関わらず、キスシーンも男女が手を握り合うシーンもない。女性がかぶるヴェールは、外出するときにつけるもので、家の中では外すのが普通らしいが、映画の中ではずっと女性はヴェールをかぶっている。
基本的に反米であるから、ハリウッド映画もアンダーグラウンドでしか観れないのは、映画の中にあるシーンのとおり。
そんな体制下でこの映画である。

次々と出てくるペルシアン・ヘビーメタル、ペルシアン・ラップ、ペルシアン・オルタネイティブ。レイブのパーティーではトランスが鳴り響き、酒まで供されている。
主人公は、自分達の音楽が「インディロック」と言う。
しかし、申し訳ないが自分の耳にはとても「インディロック」には聴こえない間の抜けたものだ。しかし、実は本当にロックが「インディーズ」なのはこのイランのロックのほうなのだ。
それだけこの国の自由の気風は脈々と生きていて、それがこのようなほとんどドキュメンタリーに近い筋立ての映画が出来る背景となっているともいえる。
この映画すらも、反抗と抗議の映画でロック的であるといえるだろう。監督と主演の2人の俳優は、すでにイランを離れているという。
主人公の悲劇的な最後とは裏腹に、この映画にはヒット・アンド・アウェイ的な反抗のさわやかさが感じられる。シリアスというより、軽快に映画は続き、そしてとってつけたようなラストを迎える。でも、それでいいのかも知れない。
ビビッドなイランの現在が映画館で風のように通り抜けたといったところか。

FWF評価:☆☆☆★★

コメント

  1. 『ペルシャ猫を誰も知らない』

    国家としての体裁と、人としての自由意志。
    音楽という共通言語に国境がないのなら、
    その自由な魂をパスポートに変えて。
    『ペルシャ猫を誰も知らない』 KASI AZ GORBEHAYEH IRANI KHABAR NADAREH
    2009年/イラン/106min
    監督:バフマン・ゴバディ
    出演: