カリスマ的な人気を誇っていた毛沢東だが、一方では各種の社会主義的な政策がことごとく失敗しており、1960年代前半には権力を失いつつあった。
それに対して毛沢東は民衆を扇動した。理想的な社会主義を目指すには下からの革命が必要と、毛沢東のアジテーションに呼応した学生達は、「紅衛兵」と名乗り、「ブルジョア的」なものに対しての批判をはじめ、そして最初は実業家や進歩的な知識人をやり玉にあげ、それから全国に「革命委員会」という自主管理的な組織をつくりあげ、一種の恐怖政治をしいていった。
西洋的なものは排除され、それを担ってきた学者や文化人はブルジョアとして糾合され、職を追われて、そして地方に強制的に移住させられた。軟禁さらせれたり、牢獄に入れられたりするものもいたし、思想改造のための労働を科せられるものもいた。
党・政府・軍隊、いかなる組織であろうと、いかなる地位であろうと、「革命処置」の対象となれば、それはもう止めようがなかった。「反動派」「売国奴」「修正主義者」と密告されれば、それで地位はとりあげられ、学生達に殴る蹴るの暴行を加えられ、家から連れ去られていった。もちろん多数のものがこれで死ぬことになる。これらの発端は、毛沢東の地位安定を狙った権謀術数が始まりなのである。
革命は農村から行われなければならない、その合言葉をもとに、村々に「下放」されていった学生達は、教育の場を自ら手放して、「反革命分子」を糾弾する革命的処置を広げていった。
村々の中では、昨日まで地道に働いてたものが、突然「資本主義の悪」「搾取行為」と引きずりだされ、全財産を没収されたり、自己批判を強制されたりした。
文革が始まったのは1965年頃、そしてそれが毛沢東の死により終わるのは1976年。
おおよそ10年間の政治的な大混乱は、この世代に大きな爪痕を残した。
反動分子として扱われたものは、皆、映画のジャン・ウェンの町の知恵足らず扱いされる掃除婦がいうように「豚」となって生きなければならなかった。
この主人公も音楽の教師(?)であったために、文化大革命の先駆けとなる1957年の反右派闘争で「五類分子」(地主、富農、反革命分子、悪質分子、右派分子)として扱われて、「労働改造」のために今の地位をおしつけられたものだ。
主人公のリウ・シャオチン(若き日の山口美江に似てます)は、くず米を配給米のあまりとして買い取っていたところから、不正を問われ、繁盛した店が「ブルジョア的」として糾弾され、それが理由で夫は殺されてしまう。
文革が始まると、今度はリウ夫婦を糾弾した女性幹部が今度は「反革命分子」として吊るしあげられ、そして町の単なる町の酔っぱらいが威勢のいいことを吹聴し、やがて革命委員会の幹部として町を取り仕切るようになる。
だが、その女性幹部もやがて復権し、リウとジャン・ウェンの結婚の嘆願を、これまた「反革命的」として、ジャンを地方の強制労働に送り込む。「ブタになっても生きぬけ。牛馬になっても生きぬけ」 ジャン・ウェンの夫は、妻にそう言い残して強制労働の刑に服すためにこの地を去る。
なんといってもこの映画のラストが一番、文革を生き抜いた人達が共感できるシーンだったと思われる。文革終了後、名誉回復されたリウと強制労働から帰ってきたジャンだが、そこで出会うのは、自分たちをここまで追いやった女性幹部。
文革の悲惨と狂気は、結局、「四人組」の幹部以外は裁かれることなく、何事もなかったかのように終わっていったのである。
文革終了後には、それを指導した江青や四人組を批判した映画があったそうだが、この映画のラストは単純な告発ものにとどまらないパワーが付け加えられている。文革期のふるまいや残虐な仕打ちは、中国の人々にとって全く他人事の問題ではないはずである。エンディングのエピソードは重い。
監督は、謝晋。中国第三世代の監督といわれていて、文革前にも監督作品はあるが、もちろん文革期には作品はない。文革期の10年で撮られた中国映画はわずか70数本。内容は推して知るべき内容であろう。文革の中ではヒューマニズムでさえ、革命の敵であった。そんななかでまともな映画は撮れるはずはない。
映画は非常に手堅く出来ていて、ストーリー展開にも飽きることはない。この映画と同年に「紅いコーリャン」で、コン・リーの主人公をレイプして嫁にとる野性的で粗暴な男を演じていたジャン・ウェンが、今度は知識人青年の役どころを見事に演じているところも面白い。
米豆腐の料理が、とてもおいしそうなのも気にかかったままだ。あれは食べてみたい。なお、英訳タイトルは「ハイビスカス・タウン」。まごうことなき名作である。
新宿K’sシネマ「中国映画の全貌2010」にて。この特集はその他にも名作をふんだんに観賞することができました。
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