魂は救済される、例え悲恋だったとしても / 「愛より強く」 ファティ・アキン 【映画】

◇「愛より強く」公式サイト
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ファティ・アキンの映画の基本パターンがまずはある。これを、ギザギザとした破壊衝動の絵の具で塗りつぶしてみた作品。
まずは、ファティ・アキンの物語構造。
ドイツのイスラム世界(トルコ人世界)からはみ出して、遠くそこから逃げるそぶりでありながら、過剰な愛の衝動に導かれてトルコ(故郷)に到達する。
見出した愛に、あるときは太陽に抱かれたように包まれるエンディングになることもあれば、親子の古典的なエゴイスティクかもしれない愛にもどっていくこともある。
この作品に関しては、その愛に導かれた物語が、破壊衝動にひずみながら、破滅ギリギリで救済されていく。
いや、ちょっと待て、この物語は救済の物語なのか?
お互い自殺未遂で精神病院に押し込められているときに出会った自分勝手な女に翻弄され、最後は殺人を犯してしまい、そのあげくにはあっさりと捨てられてしまう物語。
しかし、それでも、主人公は故郷に帰っていく。まったく救いのない失恋譚なのだが、あたかもそこに場所を見出したかのように、主人公は悔恨もひとつも見せず、むしろ嫁を亡くして自暴自虐になっていた頃から、魂が抜けたかのように透明な振る舞いのまま映画から消えていく。
おそらく、この映画のキー・ポイントは、映画のはざまで唐突にさしはさまれる、絵葉書にでも出てくるようなイスタンブールの海岸の光景をバックに歌われる(この歌の歌手の女の人、これって「太陽に恋して」のメレク役の女のコですよね???)曲に関係あるんじゃないかと。
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書割のようなイスタンブールの光景のなかで、これまたお人形のように整然とならんだトルコ音楽の楽団は、きっと、そういう悲恋のお話が、むしろ通俗的な話であると暗示しているのではないかと考えました。
愛し合ったはずの男女が結ばれず、しかしそれが男の破滅からの救済をもたらす・・・そんな物語は世界のいろんなところにあるのではないかと。
映画のポイントは、以上のような筋立てに、暴力や淫猥な光景が現代風に描かれているところ。けれど、オレはあんまり納得できなかったなあ。
久々にレオン・カラックス観てしまった後に見たからかも知れないです。。。
誰かがこの映画のレビューで書いていたとおり、暴力シーンや生々しい鮮血に彩られた、80年代のフランス映画の恋愛映画のスタイルはすぐに想起させます。
けれど、自分がファティ・アキンを好きな理由はそういうところではないのです、残念ながら。
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ところで、この監督の映画の舞台仕立てと物語の着火地点は、必ずといっていいほどドイツのイスラム社会への苛立ちや否定的な見解・・・しかもわかりやすく欧米視点での批判的な立場から始まるのですが、これって、実際にそういう批判や反抗をあらわにしながらも、結局はアイデンティファイされる対象のトルコの人たちってどういう風に評価しているのでしょうか?知りたいところですね。

力強い映画のフォースを感じます。
FWF評価:☆☆☆☆

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