ヒッピーカルチャーとアメリカ金持ち白人 /「ハロルドとモード/少年は虹を渡る」 ハル・アシュビー

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◇『ハロルドとモード 少年は虹を渡る』(Harold and Maude)
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1970年作品である本作を新宿武蔵野館のレイトショーで観ているうちに思い出しはじめたのは、一昨年公開されたショーン・ペン監督の「イン・トゥ・ザ・ワイルド」でした。
その映画は、何不自由なく育った白人の大学生が卒業ととともにお金や就職を投げうって、そのまま旅に出て死んでいく物語です。
雄大なアラスカ(?)の自然の中で、世間知らずのお坊ちゃんは結局不慮の事故・・・というか自分から言わせれば、それはそもそも自殺じゃなかったのか?と思わせる死に方をします。
この映画の中では、時代遅れとも思えるヒッピーのコミューンが出てきます。
その中で、自然に帰り、所有やエゴを捨て去ることに触れた主人公は、さらに自然の中へと自分の居場所を求めていきます。
それは、そこに行くというよりは、どこか自分の居場所を見つけて帰っていくような風情でもあります。
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本作「ハロルドとモード」は、いわゆるヒッピー・カルチャーを背景とした映画です。
自然回帰やオーガニック、所有や物質主義の否定、無宗教と東洋的なアニミズム。
ハロルドが魅かれていく婆さんのモードは、これらの定型のヒッピー思想を次から次へと振りまいていきます。
一見すると変人で傍若無人な振る舞いをするモードですが、伝統や制度を軽々と婆さん特有のユーモアと飄々とした行動力で乗り越え、滑稽な軍人を出し抜いたり、白バイの警察官をやりこめてしまったりします。
それに悩める自我をもった自殺マニアのハロルドが心を寄せていく。
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自然回帰の悲劇的な結末をつけると、これはコメディタッチのあるなしは別として、「イン・トゥ・ザ・ワイルド」と寄り添う筋立てとなるわけです。
1960年代にフラワームーブメントの中で現れたアメリカン・ヒッピーは、コミューンという共同体をくりあげ、この映画のモードのような思想や行動規範によりしばらくは流行のライフスタイルとなりましたし、今でもそのように生活している人がいるのは「イン・トゥ・ザ・ワイルド」をご覧になればおわかりになるかと思います。
そこに集まったのが悩める自我をもったアメリカ白人であり、その中には自己を自殺道化によってしか確認できない自殺マニアもいたでしょう。
どうして、アメリカの悩める自我はヒッピーを志向するのか。
これは自分にはよくわかりません。そして、ヒッピーカルチャーに対してあまり肯定的な印象を持てない自分にとって、果たしてモードは、所有や物質主義を嫌いながらも、あんな生活をする資力があるのか不思議にもならざるを得ません。
ただ、本作の物語にはもうひとつの謎が埋められていて、単なるヒッピーカルチャーにあと一歩といった白人のおぼっちゃん物語ではない、ただならぬ雰囲気を与えています。
それは、自殺マニアの主人公に対置する、本当の死のイメージです。
オーストリア=ハンガリー帝国かオーストリア出身と語られるモード婆さんは、80才で自殺を選びます。あっけなく、簡単に。
まるで自分の命さえも自分で所有することは嘘なんだといわんばかりです。
そして、ほとんど何も語られずに映画の中を通り過ぎる、モードの腕の焼印の番号。
これはナチスによって収容所に送られたということでしょう。彼女はウィーンなどに多数いてしっかりとした生活を築いていたユダヤ人だったのでしょうか?それとも、漂泊の姿が列車の中の家で暗示されるようにロマ人(東欧や中欧におけるジプシー。やはりナチスにより迫害された)だったのでしょうか。
モードの自殺は「80歳で死ぬのがちょうどよい」という単なる美学だったのでしょうか?
それは確かに滑稽で、この映画のコメディタッチに優しく包まれたストーリーにフィットする話かもしれませんが、なんともここだけは不気味な味わいがあり、ハロルドのこれからを様々に解釈を可能にする抽象的なラストシーンとともに、上述のような金持ちの白人がヒッピーと出会って自己を獲得しつつも自滅するだけの「イン・トゥ・ザ・ワイルド」的に終わらない肯定的な何かを感じます。

新宿武蔵野館「ZIGGY FILMS ’70S ’70年代アメリカ映画伝説」にて。

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