炭酸飲料水 / 「蘇える金狼」  村川透  【映画】

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「ハードボイルド」という世界観が、自分には昔からよくわからない。
ハードであるのは、そうであるべき理由があるはずなのに、それを全部ぶっとばして、すでに『そのように』世界がつくられている。
この用語がかぶせられた映画については、テイストが重要であり・・・というか、そのテイストのみが映画を構築し、さらには、そのテイストは時代に密接に関係しているものが多い。
例えるならば、炭酸飲料。
炭酸飲料はテイストだけが、ひたすら進化したビバレッジである。
栄養にもならないし、むしろ体には害としての効果のほうが強いだろう。
コカコーラの喉ごしや舌に触る炭酸に感触、それを包み込む不思議なテイスト。
それがハードボイルドだ。
70年代の炭酸飲料といったら、ファンタのゴールデンアップルもあったし、ドクターペッパーもあった。今でも賛否両論の声のはざまでしっかりと生き残るドクターペッパーのようなものもあるし、円高とグローバリズムの進行で、安くて手軽に家庭ですら飲めるようになった果汁100%ジュースの煽りをうけて、なくなってしまったファンタ・ゴールデンアップルのようなものもある。
70年代の後半から80年代にかけて、いまや古典となったメディア・ミックスの手法を駆使して、日本を席巻した角川映画というブランドは、やはりこのハードボイルド的な映画の炭酸ドリンクを多種多様に発売した。
そのひとつが、この「蘇る金狼」。
そして、この映画は、どちらかというファンタ・ゴールデンアップルな映画である。
テイストのみで成立する映画の弱点である面を露呈させるだけさせてしまっている。
こんなこともやっちまうんだぜ、ここまでやってみせるぜ!というのは、時代に対するマッチョイズム、つまり炭酸の部分だけれども、それゆえに、今観るとツライ、残念ながら。
あまく味わい深い果汁であるはずである風吹ジュンも、ほつれ毛とウェーブしてうねった髪型が厳しく、破天荒な濡れ場シーンの興を冷ます。ここで興奮できないとやはりキツイだろう、炭酸飲料映画としては。
唯一、松田優作。
ここだけは本当に光輝いていて、彼が不世出の俳優だったことがわかる。
あんな演技が繰り出し続けられる役者は、彼ひとり。ワン・アンド・オンリーの存在であったことが再確認できる。
回顧趣味で見れば、それなりの映画なのかも知れませんが、初見だとこんな感じの感想になってしまいます。
時代とともに炭酸飲料は気が抜けるものなのだ。

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