さて、まず告白しておきます。自分はアニメーションの映画を劇場でみるのはなんと30年ぶり!最後に観たのは『伝説巨神イデオン』(劇場版)という体たらく(笑)
この『伝説巨神イデオン』というアニメの凄さについては、またいつか語る日も来るのではないかと考え、ここでは省きます。
いずれにせよ、そんなところからして、自分にアニメ映画を語る資格はないと思うのですが、肌にあわないので仕方ないんです。
デジタルになってからも、セルアニメと同じく背景と前景(動く部分)が分離していて、ジブリというなんだか偉い人たちの作品になってからも、この手法はかわることがない。
前景の陰影は2色で表現され、光は色指定されたカラーコードで表現される。映画は一生懸命、光と色をどのように表現するかで苦心惨憺としてきたのに、こんなのでいいのかよ!
生意気にも、高校生あたりから、そんな素直でないことを考えるようになってしまったんですね。おりしも、ミニシアターブームの頃。さらにはついに今年廃刊になって「ぴあ」の全盛期です。アニメについての自分の不満を書き表しだすと、止まらなくなる可能性があるので、このへんでやめておきます。
言いたかったのは、そんなアニメ不感症の自分が、本作『コクリコ坂』からをなぜ観に行ったかという理由です。
それはただ一点、舞台がヨコハマだからということにつきるということを説明するためです。そして以降は、そんな不純な動機でこの作品を観た人間のたわごとと思ってください。
1960年代、ヨコハマは映画の街といっていいくらい、たくさんの映画が撮られました。
自分が大好きなのは、例えば篠田正浩の初期作品『涙を獅子のたて髪に』『乾いた花』、中平康の売れっ子時代の作品『月曜日のユカ』。
さかのぼって50年代の名作だったら黒澤明の『天国と地獄』。時代を経て80年代だったら藤田敏八の『スローなヴギにしてくれ』。さらには、かつて映画の町の横浜に対するオマージュとして『我が人生最悪の時』をはじめとする濱マイクシリーズが、90年代に撮られます。
『スローなヴギにしてくれ』の舞台は福生ですが、少女(浅野温子!)の実家が黄金町。
横浜出身で猫好きで奔放な女のコに振り回される男という設定は、どうしても名曲『港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ』を思い起こさざるをえません。
ちなみに、『港のヨーコ』も『スローなヴギ』も本作に重要な影響を与えていると思われる松任谷由美の『海を見ていた午後』も全部1974年!
そんなわけで、古き60年代のヨコハマが舞台の映画だとしたら、これはもう観に行かねばなりません。例えそれがアニメだったとしても!
そんなわけで、本当に30年ぶりにアニメーションの映画のために横浜ブルク13桜木町に向かいます。
そして・・・・・観に行ってみると・・・
もやもやもやもや・・・・・
いやね、別にいいんですよ。映画の舞台がジブリの世界であるのは、本当にいいですよ。それでもね、この映画のヨコハマは存在しないヨコハマですよ、自分にとって。
自分の中のヨコハマの60年代を表徴する大量のヨコハマの映画群に多少なりのリスペクトも感じられなかった映画となってしまいました。残念。
なにがダメかといえば、あの海の色。
ヨコハマとかヨコスカに生まれ育った港育ちの人ならば、みんな海が青いものなど思っていません。
白黒の画面の中でも、色を感じさせることはできます。皆、よくわかっています。あんな色を感じさせる映画はヨコハマの古き映画にはありませんでした。
『夜霧よ今夜も有難う』『霧笛が俺を呼んでいる』というやはり60年代の大ヒット作があります。
ヨコハマは当時、夜霧の街でした。ロマンチックに聞こえる話ですが、本当は光化学スモッグ現象と似たようなものだったらしいです。工場の粉塵が夜霧を発生させていたんですね。
そんなところに青い海・・・うーんどうなんですかね。オレは違うと思います。
70年代になってから、荒井由美(松任谷由美)が『海をみていた午後』で、根岸の高台のドルフィンというレストラン(現在は観光地化して現存)から、「ソーダ水の中を貨物船が通る」と歌いましたが、これはあくまでも八王子の海のないところの生まれの人のかなりのロマンティックな妄想ですね(笑)
さらに、船の遠近感と動く速度がおかしい。前にある建物とかの比較でみると、船が大きすぎるんです。
これも、港町の人間ならきっとわかってもらえるはず。大きいから、速度も速く感じる。
ところで、この映画の舞台は、おおよそ元町からイギリス山の裏手になるチドリ坂とされている。または代官坂。横浜シティガイド協会が言っているのでれが公式見解で間違いないかと(笑)
しかし、当時のチドリ坂から見える海の光景は、もう山下埠頭の造成が完了に近い頃だったから、あんなに海は近くないし、もし代官坂だとしたら、行き交う貨物船との間に大きな港がありあんな風に牧歌的には船は通らない。
そもそも、映画の中で主人公たちが、桜木町から山下公園まで推定徒歩30分以上歩いてあいびきした後に、そこからわざわざ全く別方向の西之橋から市電に乗る意味もわからない。元山下行きに乗り、そこからチドリ坂とか代官坂に行くのは、それは意味がわからないし、単に電車代がもったいないだけのでは(笑)
このへんはどうでもいい地元ネタです、すみません。けど続けます。
そんなことから、自分はやっぱり、根岸のあたり滝の上の光景かなと思ったわけです。
(つまり自分のうちの近所/笑)
合理的に考えるならば、山下公園のあいびきの後に、なんらかの理由で西之橋付近までうろうろしてしまって、そこからいったん元山下まで戻り、さらに市電を乗り継ぎ根岸方向にむかったと考えるのがよいのではいかと。
ところが、家に帰ってから調べると60年代前半はすでに根岸湾も埋め立てられてしまっている。
ちなみに、荒井由美が歌った「山手のドルフィン」は、まさにこの推測されるコクリコ荘のエリアにあるわけですが、ここからの光景も、実はソーダ色といわれた海までは工業地帯ですよ。
八王子に帰る夜の殺風景な中央高速を、「この道はまるで滑走路、夜空に続く」と歌ったとおりの戦略的な錯視があるわけです(笑)
ただ、その光景はちょっとこの映画で出てくる風景に近い。
それでも、西之橋から「元山下」行きの市電(そんな路線は実際はない)に乗る意味がわからないため、やはり自分は根岸の崖のうえ(根岸森林公園付近)が家であり、学校が元町なのではないかと推測する。
そうすると、根岸から山元町まで山道みたいなところを通学する意味もわかる。
時々買い物に行く魚屋だの肉やさんだのも、このへんの雰囲気に近い。
もしかすると、美空ひばりの生家(魚屋さんです)がある滝頭のあたりかもしれない。
が、そうすると今度は本町に家があるという青年に、遠いところからきていると評するのも意味がややわからない。
元町から根岸と本町なら、距離にしてどっこいどっこい。だけど、根岸から遠いという意味なら、そのセリフも説明つくかな。
もしくは、やっぱり学校そのものが、根岸にあるのではないか。例えば聖光学院とか。
◇西之橋から山下公園、元町あたりの地図
大きな地図で見る
◇根岸のドルフィン(滝の上)・聖光学院あたりから、滝頭まで
大きな地図で見る
まあ、本当にどうでもいい話ですね(笑)
ただ言えるのは、この監督、間違いなく山手のドルフィン(実は根岸にあります)からの海のイメージを、荒井由美で増幅させながら再現させているのではないかということ。
ここからの海の見え方は確かに、この映画の海の光景には近いものがあります。すくなくとも、イギリス山付近からの光景よりも。
さて、映画は続きます。
桜木町駅、山下公園、ニューグランドホテル、氷川丸。観光地コースはひととおりめぐりますが、猥雑で生活に満ちた場所はそんなに出てこない。安全な商店街で魚や肉を買うまで。まるでサザエさんワールド。
なによりも、米軍がいない。当時ならまだベトナム戦争は火種がついたくらいの頃だから、まだそんなに町に米兵があふれていなかったとも言えるけれど、それにしても影のひとつもない。せいぜい、朝鮮戦争のエピソードが主要な話となっているだけ。
ヨコハマは、アメリカと対峙してきた街です。外圧に屈した幕府が、東海道から離れたところに出島的に埋立地をつくり、そこに外人を隔離しておこうとした。それが横浜の始まりです。それから100年後、今度は横浜大空襲で焼け野原になったヨコハマの中心部のほとんどがアメリカに接収されて、幕末以来再びヨコハマは外人に占領された街になる。
そんな街から外せないですよ、外国人は。
中華街は今では中国料理の町ですが、昔は違ってました。外国人の船員のための町でした。山下公園から西之橋の市電の停留所に行くまで、しかも夜ならば、治安はよろしくなかったはずです。
60年代のヨコハマは東京よりもオシャレでカルチャーもこちらの方がマネされる立場でした。当時のハマっこは、「東京のカッペ」と呼んでいたそうです。
それならば言わせてもらいますと、これは東京のカッペの映画ですね(笑)
観光地ノスタルジーです。
そんなわけで、こういういわば粗さがしをするとキリがないので、そろそろやめておきますが、ディティールが観たかった自分としては、まあ残念感が強いわけです。こんな映画の観方はダメですね。
でも、プロモーションでヨコハマの映画だからヨコハマ市民観にいってください的なことやっていたので、それならちょっと違うんじゃないかといえるんじゃないかとも思います(笑)
さらには、映画の中で、「古いものを尊ばないものに未来はない」と生徒さんに言わせているわけじゃないですか!
それが本当だったら、この宮崎息子にも未来はないですよ!
それにしても、これ、アニメでやる必要あるんですかね?
実写でロケとかやりながらつくれば、それなりに面白い映画になったような気がしてならないです。そうすれば、あの海の色が決定的に違うということに気づかざるをえないでしょうし。
まあアニメっていうのはそういうもんだと言われれば、もうなんにも言えませんけれど。
久々にアニメみました。勉強になりました。さて、60年代ヨコハマ映画をまた探しに名画座めぐりに行きますか!そんな感想の映画でした。
https://www.youtube.com/watch?v=DwH8ydeQSik
FWF評価:☆☆★★★
コメント
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1955年から、58年ごろ、ほぼ毎週末横浜の野毛山動物園のすぐ下あたりで過ごしていましたが、小学校へ上がる前の自分が家の2階から見た海の風景とそっくりだ、と思いました。
60年くらいから、横浜の海の風景はどんどん変わっていったんじゃないでしょうか?
坂や、学校の位置、唐突に「西の橋」が出てくるあたりはやはり違和感を覚えましたが・・・
本牧、根岸、山手駅から降りてきたあたりがごっちゃまぜになってますかね。
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改めてパンフに載っている駿さんの文章を見たら、確信犯的に時代考証や風景の考証を実際とは変えた旨、載っておりました。
知ってて変えたんじゃ、『ラスト・サムライ』と同じで、現場合わせをしてもあまり意味ないですね。
そういや、徳間書店の社長室のあったビルの内部1980年前後のアニメージュ編集部があった、別館によく似てました。
あの場面で描いてあった『少年愛の美学』は1963年にはまだ出版されていなかった、と思いますし、もしそうであれば、「あえて」時代考証は無視しているよ、というメッセージだったのかも知れません。
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たびたびすみません。
吾郎氏が一生懸命横浜の風景を再現しようとすると、駿氏が昔の練馬の風景を入れろと言ってきた、というインタビューを見つけて笑いました。
どっかに練馬が混じっているようです。