『ノンフィクションの「巨人」佐野眞一が殺したジャーナリズム 大手出版社が沈黙しつづける盗用・剽窃問題の真相 (宝島NonfictionBooks) 』
政治家 橋下徹は、なんともはやいつも困惑させられる存在である。
だからいつもケースバイケースで評価していくしかない。もっとも政治家なんてそんなもんだとも思うのだが。
その橋下にまつわる騒動で、唯一これは完全な正論を言っていると評価したのが、被差別部落問題に対する対応。最初から最後まで非の打ちどころがなく、かつ積極的な対応だったと思う。
実は薄学にして佐野眞一という人を知ったのはその時が最初。なんなんだ、この人の人権感覚は?とtwitterでつぶやいたら、けっこう同情論の反応が多い。特に出版関係の人からそういう反応が顕著であったのが不思議だったのだが、その一人からこれ読めということで佐野眞一の『あんぽん 孫正義伝 』を推薦された。
さっそく読んでみると、これがもう圧倒的。鳥栖の駅前の在日朝鮮人の集落で生まれ育った孫正義の家系にぎっちりと喰いこみ、そしてそれに仕方ないことでしょうと逃げも隠れもせず孫正義が正直に答えていく。出てくる人物はドス黒い逸話をもった人間とて極めて人間的だ。それを糾弾する視線で佐野眞一が追いかけて行くのだが、そのうちにどこかでその人そのものに魅せられていく。これは確かに傑作だ。
橋下の出自問題が朝日出版の謝罪でおさまってからほどなく、宮崎学が「橋下徹現象と部落差別 」を刊行する。全く橋下の政治には反対の立場と断りながら、宮崎は全面的に橋下の本件に関する対応は正しいと評価。たった一人で部落差別で戦ったと称賛した。
その「橋下徹現象と部落差別」で、もともとは佐野眞一の「ハシシタ」は上原善広の先行する記事があったことを知る。
上原善広なら記憶にある。そのデビュー作「被差別部落の食卓」というとてもリリカルなルポタージュで印象に残っていたジャーナリストだ。この人の主張のコアは、隠すなかれ、それが差別を再生産するというスタンスだ。これが普通のブラックがかったジャーナリストの考えなら眉唾なのだが、上原自身が部落出身者だからことは複雑だ。いわば自分自身と格闘しながら書く手法。そして、その人が橋下徹の出自を最初に『新潮45』で書いた。
実は、その記事が先行してあったからこそ出てきたのが「ハシシタ」で、本来ならば訴えられたら勝ち目がないような孫正義の出自にふれた作品で高評価を得て、そしてさらに上原の先行するルポがあった。そこで登場したのが佐野眞一という見立てはおおよそ正しいと思う。
ちょっと前置きが長くなった。本書『ノンフィクションの巨人 佐野眞一が殺したジャーナリズム』は、その佐野眞一の問題は、そこだけにあらずという、すさまじい告発の書。すさまじいというのは、その追求の執念がまずひとつ、そしてもうひとつは佐野眞一の剽窃癖のそれ。
きっかけは同業者であるノンフィクションライター出身の猪瀬知事のツィートから。猪瀬は「ハシシタ」騒動に触れながら、突如「そもそも佐野眞一は記事の盗用を繰り返している」と暴露。そして実際にその盗用部分について具体的に指摘しはじめたのだ。
これはこれで話題を呼んだが、さらにガジェット通信の記者がこれを検証。過去の作品から、盗用として指摘され、本人による謝罪があったものを続々と調査しリストアップ、さらには指摘がなかった過去の著作をすべて調べ上げると膨大な盗用が発見されたという流れ。
本書はその「調査結果」を140件をすべてリストアップしたうえで、盗用元と佐野本との対照表までつけている念の入れよう。さらには、過去指摘されればその都度盗用を認めて謝罪をしていた謝罪文まで複数掲載している。さらには佐野眞一と仕事をしたデータマン(取材だけ行う記者)の対談から、「佐野ブランド」に追随してきた出版社への公開質問状まで、まさしくいたれりつくせり(笑)
本書の編著は、ガジェット通信の担当記者の荒井香織と、こちらは佐野眞一以上の巨人といえる溝口敦。溝口敦は池田大作のルポを剽窃された経緯があった。しかし、長年それを封印してたのが、今回の橋下ルポの反社会性に怒ってこれを公開し、本書の出版となったとのこと。確かに溝口クラスの人がいないと、各出版社をも敵にまわしかねない本作は出せないかもしれないし、関係各所からの証言もとれないだろう。
いやはやなんともはやな一冊。。。
『ノンフィクションの「巨人」佐野眞一が殺したジャーナリズム』 溝口敦・荒井香織 編著
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