『終わらないオウム 』上裕史浩・鈴木邦男・徐裕行
オウム真理教事件の村井刺殺犯 徐裕行と、その凶行のターゲットの一人だったという上裕史浩との対談を中心にした一冊。序文での鈴木邦男は本書を「奇跡の書」と称する。
義憤に駆られてオウム真理教の幹部を殺そうと思いついたという徐。麻布のオウム真理教の支部の前で、居並ぶマスコミにまぎれこみながら、犯行に使われた包丁を隠しもっていたとき、そのターゲットとしていたのは対談の相手である上裕でもあったという。むしろ「上裕さんを狙っていた」とのこと。その二人の対談だから緊迫する。村井刺殺についても、「素直に謝るつもりはない」、と断言する。
構成は、その徐と上裕、さらには鈴木邦男という、それぞれがかつて「テロリスト」であった人たちであり、この立場からオウム真理教をふりかえりつつ、そこから現代の新しいオウム的なものを論じて行く。
オウム真理教は連合赤軍は同傾向をもつとしても、それのコピーではない。そこから少し外れたところで、同じようなことが起きて行くのではないかという指摘はなるほどという感じがする。カルト宗教→通り魔殺人→排外主義という流れを仮説として立てている上裕はなるほど賢いと思う。
また、オウムの求心力の中心に「陰謀論」と「被害妄想」があったことが繰り返し上裕は述懐する。そして現在の状況について以下のように語る。
「日本の経済が低迷し、中韓に追い上げられ、それに震災という大きな災禍が加わって、日本人が自尊心を見失う中で、強い日本とか、それを感じさせる強い指導者がほしい」
「そういった人たちは、オウムに対するシンパシーはもちろんないだろうけれど、無自覚的にオウムと同じような精神構造に陥っているかもしれません。(中略)強い自己愛と外部に対する攻撃的な姿勢については、似た精神構造があると思います。」
「バブルの時は金持ちになれるかもという幻想があったけれど、今は経済が低迷して、特に若者はワーキング・プアというように貧しく夢を持ちにくい。そうした状況で、自己価値を見出す先がナショナリズムというのはいつの時代も同じ」
「そういう人たちは自分の価値を感じるために、批判・攻撃できる悪い奴をつくることになる。在日朝鮮人だけではなく、自分とは異なる価値観を持つマイノリティは批判・攻撃の対象になる。そのうえ、ネットなどが進歩して、情報が拡大するスピードは格段に上がっている」
非常に正確かつ、この人がいうと説得力がありすぎる。
その上裕は現在、オウム直系の後継団体アレフから離れ、自ら主宰する宗教団体を立ち上げている。その中でサリン事件の遺族などへの賠償を今でも行っているとのこと。ちなみにアレフそのものは賠償を無視しはじめているらしい。
もともと麻原教祖に対して、唯一ご注進をできるのが上裕だったとのこと。これがなければロシアに「左遷」されてなかったため、自分自身もサリン事件や弁護士一家殺害事件などに加わっていたかもしれないとのこと。
徐自身は北朝鮮の拉致問題の支援活動にたずさわっているとのこと。もともと総連系の学校に通っていたという徐は、現在の日韓のコンフリクトや在特会のようなカルトが生まれたことには、歴史や認識のすりあわせがお互いにかけていることに原因があるという。これについては在日コリアン側にも問題があるという。日本人の大半が朝鮮半島の歴史を知らないが、逆に在日コリアンも朝鮮学校などにいると日本の歴史は知らない。それをお互いがすりあわせて、解決していなかないと、次々と疑心暗鬼の陰謀論が生まれてくるだけではないか、と。
鼎談でありながら、余計なことはしゃべらないスタンスでありながら、ここぞという時はキチンと筋道立てて説明する徐の印象からして、公判で出てきたように上部からの指令で犯行を行ったというところは少し見出し難い。とはいうものの、この部分には触れないまま。公判にて彼は最初上層部の命令だったと供述していたはずだが。ここだけ多少ながら不満が残るものの、ポストオウム論として秀逸な1書でした。
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