-->グラン・トリノの親父の荒唐無稽さよりも / 「扉をたたく人」 トム・マッカーシー 【映画】 - Football is the weapon of the future フットボールは未来の兵器である | 清 義明

グラン・トリノの親父の荒唐無稽さよりも / 「扉をたたく人」 トム・マッカーシー 【映画】

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頑固モノの親父が、生活には不満足はなくとも、それでもやらせない孤独につつまれる。そこで期せずして、現代アメリカの民族が混交しあう現実の中、弱者の立場に知らず知らず引き寄せられることから物語がはじまる
・・・と書くと、ヤフーの映画評のとおり、「グラン・トリノ」とは確かに似たシチュエーション。
アメリカはもともと移民社会だったじゃないか?という主張も、似たものでした。
グラン・トリノは、アジア人コミュニティを敵視するかに見えて、実は自分たちも被差別を折り重ねていく、アメリカの後発移民であるアイルランド系カソリックという背景をさりげなく書いていました。
きっと、アメリカでは、このテーマは切実なものになっているのでしょう。9.11以降はさらにこうして声高に語られなければならないほど。
ただし、こちらはグラン・トリノよりもさらに社会派寄り。
抑えられた演出の中で、これみよがしに、移民であり、開かれた社会と自由を尊ぶことによって成立しているはずなのに、なぜこんなことにならなければならないのかという疑問を提示します。
不法移民ゆえに、もうこのゲートから出て行けば、帰ることができない空港の別れのシーンの頭上にはピントをわざとあわせていないアメリカ国旗、シリアと同じじゃないか?というように法律の中でいともたやすく処理されてしまう移民収監施設に貼ってあるポスターには「移民はアメリカの力」のコピー。
こういう問題を、ここまでこざっぱりとした映画で、しかもストレートにつくりあげるアメリカの素直さっていいと思います・・・って、最初の配給会社のクレジットにドイツの地図みたいなアニメがついていたんですが、これってそんな感じの複雑な成り立ちがあるのかな?

映画的にいうと、後半のシリアの花嫁で、夫の頑迷さに耐えるインテリのドゥルーズ派アラブ人を演じていたヒアム・アッバスとの淡い恋愛まじりのストーリーは、ちょっと余分だったかな。あれだと、さすがにリチャード・ジェンキンス、出来すぎですよ(笑)
くすりと笑わせるユーモアも織り交ぜて、決してつらいだけの話にしなかったというところを後半も含めて評価すべきなのかも知れませんが。
あ、あと、フェラ・クティを「アフリカン・ビート」の元祖というのは、厳密に音楽的に言えば、ちょっとムリがあると思いました。
もちろん、ココは政治的な闘士に最後は化した、経済的な多国籍企業をも槍玉にあげたフェラ・クティをも仕掛けにしているという話なのでしょうが。
主人公は経済学。学校や論文やらも経済の「自由化」について騒ぎ立てている風景がさっと描かれています。アフリカン・ビートの闘士、フェラ・クティはこれらを敵視し続けていました。アフリカンビートにはまっていき、どうでもよくなったそういう学問を放棄していく・・・それもひとつの仕掛けでしょう。

総じては、悪くなかったです。よい作品だと思いました。少なくとも、自分の評価は高くない「グラン・トリノ」の方の親父の荒唐無稽な暴れん坊ぶりよりはクールですよ。
FWF評価 ☆☆☆

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