-->「第9地区」 / 差別の物語回路をとおした「アバター」 - Football is the weapon of the future フットボールは未来の兵器である | 清 義明

「第9地区」 / 差別の物語回路をとおした「アバター」

この記事は約2分で読めます。

◇「第9地区」オフィシャルサイト

ようするにブラックな「アバター」ということろでしょうか。
文化や論理が共有できない異人との交流と、それを押しつぶす資本や差別の論理。
「アバター」でも、アメリカの私兵企業であるハリバートンみたいな傭兵をもった企業が出てきますが、この映画でもMNUという名前の企業が、難民である宇宙人を極めて差別主義的な論理を代行するために、宇宙人の難民キャンプを移設しにやってきます。
そして、その任務を遂行するはずだった主人公が、なにかのはずにみ、宇宙人の側についてしまう。
そこには、世界中に存在する移民や、非定住のジプシーのような被差別の問題が取り扱われています。
しかし、なんにしても思うのは、なぜこういうテーマの映画がSFXアクション映画になってしまうのかということ。

アパルトヘイトに苦しんだ南アフリカが舞台ということがひとつのポイントの映画のはず。
差別が被差別者を生み出し、被差別者もまた差別するという、世界中にありふれた差別という回路をめぐる物語です、本来は。
難民や民族エゴイズムもそこには考えられるようにできている物語のはじまりで、そこがなければ、単なるB級SFアクション。変わった宇宙人映画ということになるでしょう。
ああ、どうして結局最後は主人公がランボーのように不死身でスーパーヒーローめいた活躍なぞするのだろう。もったいない。
外部から現れる恐怖の存在である宇宙人は、内にとりこまれると被差別の存在にたやすく転化する。しかし、その弱くなった被差別者は、実は外部とのつながりがあって未知の力や想像しえないような何かをもっている。
それは被差別者の物語としての典型である。そして、この映画もそういうことを抉り出す映画であってほしかった。
まあ、それにしても単なるB級エイリアン映画としてかたづけてしまうのはややおしい気がします。差別の物語を宇宙人を難民として設定した着眼点の勝利でしょうか。

ところで、この映画、またしても手ブレカメラで船酔い現象にやられました。
ハートロッカー」のレビューでも書きましたが、なんですか、アメリカではこういう手ぶれカメラ映像は、もう市民権を得たということなんでしょうかね。。。
FWF評価:☆☆☆★★

コメント